徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

入院・手術をする-退院日編

2024-12-28 17:11:42 | 健康
同室の方がガサゴソしてほぼ一睡もできなかったので、何時に起きようか迷ったけれど、その同室の方が5時半には本格的にガサゴソし始めたので、私も6時前には起きて退院の準備を始めた。

6時半過ぎくらいに血圧と体温のチェック。医師の回診は、科によっては7時前から始まるようだったけれど、ブレストセンターはまだ。

朝食は7時半過ぎから配膳。



前日に頼んだように、パン1つ、ジャム、フルーツヨーグルトとコーヒー。トレイ真ん中の銀色の容器にコーヒーが入っている。左の青いケースは朝昼晩夜用の薬ケースで、私は痛み止めが朝昼晩用に入っていた。『退院するんだけど』と言ったら、『家で飲む用ね』と言われた。

食事中、前日に食事のオーダーを確認していたスタッフがやってきて『

明日の朝食もこんな感じで

いいかしら』と言われた。いや、さすがに明日はいないので、『今日この後退院です』と告げたら、『あ、あなた、そうだったわね』と、気づき、同室の方の食事のオーダーを聞きに行った。翌日のランチはハンバーグらしい。

朝食後しばらくしてからブレストセンター長とスタッフ2人登場。センター長は、『ドレーン抜いてもらったら退院していいよ』とだけ言い、

10秒で退室

した。傷口どころか包帯すら見ていない。この医師も「何か質問ある?」はないのか。

さて、胸の包帯をはずしてもらい、手術後初めて自分の胸を見た。
あれ、傷口にテープが貼られていてよく見えないけど、



が見える。溶ける糸?溶けない糸?
そう考えている脇でスタッフがドレーンを抜いて傷口を厚めのガーゼで押さえてテープで止めた。そして、『じゃあ、私たちはこれで』と立ち去ろうとするところを引き留め、『

シャワーはいつからOK?

』と聞いた。『シャワー?今からでもいいんじゃない?あ、シャワージェルはなしで』と返された。そうなのかな、と思っている間にスタッフは退室してしまった。ブレストセンター、「何か質問ある?」は出てこない…
そして私の右手首には

点滴用の針

がまだ刺さっているんだけど、これは誰が抜いてくれるのかしら(おそらく、麻酔科が刺したものなので、ブレストセンターは抜かないのだと思う)。
同室の方のトイレ介助で病棟スタッフが室内にいたので、トイレ介助が終わってから聞いてみた。『あ、抜くわよ』と言われたので待ったけれど、そのスタッフは病室を出て行ったきり戻ってこないので、病室の外に出て別のスタッフを捕まえて抜いてもらった。

よし、これで退院。
オフィスのスタッフにはお世話になったので、お礼を言うためにオフィスに行って『今から退院します。お世話になりました』と伝えたら、『え、あなた今日退院?知らなかったわ。教えてくれてありがとう』と言われ、その場でどこかに電話し、『何号室のあおさん、今から退院です』と伝えていた。清掃とかかな。

これで人生初の入院・手術終了。スタッフは皆さん感じよく、ところどころ「え?」とびっくりすることはあったけれど、びっくりするくらい順調に過ごせた。
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入院・手術をする-手術当日編その3

2024-12-15 16:57:59 | 健康
病室は

ホテルのツインルーム(シャワートイレ付)

のようだった。小さなテーブルとイス2脚もあった。スペースの関係上か、ワードローブ(金庫付き)は1人分ずつ2つあるものの、1か所にまとめておかれていた。そして、

ベッド周りにカーテンなし

なので、プライバシーゼロ。医師の回診の時に見舞客がいたら出ていくように促されるけれど、同室の患者さんにはどこを手術してどんな状態、というのは丸わかり。

私と同室だったのは、80代半ばくらいの女性。
歩行があまりできなく、トイレに行けないようで、トイレ(おまる)は病室でするのだけれど、そのおまるは

私と彼女のベッドの間

にあった。そこで用を足すにはやっぱりカーテン欲しいわ。


さて、病室に到着してしばらくしたら、病棟スタッフが『

コーヒーか紅茶

飲む?』と聞いてきた。内臓の手術ではないので、手術が終わったらすぐに元通りなのか。
というか、安静にする必要もないのか。
水をお願いしたら『

炭酸あり?なし?

』と、至れり尽くせり。

血圧測定は夕食までは1時間おきくらいに3回、体温測定は1回だった。
途中、執刀医が来たけれど、胸に巻かれた包帯をちらっと見て呼吸に問題がないかを確認後、『明日の朝は僕じゃなくてブレストセンター長が来るんだけど、彼が問題ないと判断して退院ね』と言い、

1分ほどで退室

した。「何か質問ある?」は今回もなし。




そして夕食。ドイツの伝統的な夕食はパンにハムやチーズなので、想像通り。
朝廊下で食事について聞かれたときに『パンは小麦のと全粒粉のと両方で』とお願いしたので、1枚ずつ。チーズも2枚。右側のオレンジ色はフルーツかな、と思って食べたら

かぼちゃ(生姜風味)

だった。
痛み止め2錠用意されていたので、服用して就寝。
が、同室の方が一晩中ガサゴソ(引き出し開けたり締めたり、薬を数えたり)していたのでほぼ一睡もできなかった。翌日は自宅で寝られるのでかまわないのだけれど、カーテンがあればまだ違ったのに、と思わなくもない。
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入院・手術をする-手術当日編その2

2024-12-14 18:06:55 | 健康
迎えに来たスタッフに連れられて手術待合室へ。まずは着替え。

2畳分くらいの大きさの試着室のような場所で着替え(スタッフも一緒に入って手伝ってくれた)。大きなプラスチックバッグを2枚渡され、1枚は脱いだ服、もう1枚は靴を入れた。

靴下は着圧タイプかな?と思ったけれど、緩かったので単なる寒さ対策と、着替え後は室内履きなしだったので、そのためだったのかもしれない。
手術着は袖アリだけど背中をひも(1か所だけだった気がする)で結ぶだけのゆるゆるのもの。
キャップとマスク着用。
温めてある大きめのバスタオルをかけてもらって個室の外へ。

連れてきてくれたスタッフが脱いだ服と靴が入ったプラスチックバッグを鍵付きロッカーへ入れてくれ、鍵を受け取りそのスタッフとはお別れ。

麻酔科のスタッフに鍵を渡し、ベッドへ。血圧測定用のベルトを腕に巻き、点滴開始。これが10時半前くらい。

部屋はじっとしている私には少し寒く、バスタオルをもう1枚かけてもらったけれど、気になるのはトイレ。私は手術後は何時間安静なのか聞いていなかったけれど、3時間安静だとすると、手術前に行っておいた方がいいのかもしれない、などと考えていた。

そして11時15分頃、『じゃあ、あおさん、順番が来たから移動するね』と、スタッフが来たのでトイレに行かせてもらった。その後少し待ったので11時半前くらいだと思うけれど、いよいよマスクを外してベッドから手術台へと移動。結局

全身麻酔のための検査はなし

だった。麻酔科医と面談したときの問診(票)がすべてだった。

パルスオキシメーター(心電図はなかった気がする(手術着をまだ着ていたし))を付けられながら名前、生年月日、手術部位、絶飲食(コーヒー1杯ミルクなしはOK)の確認。酸素マスクをかぶされ、10秒くらいで麻酔が効き始め、目が覚めたら手術は終了していた。12時半前くらい。

背中に何か当たっているのが気になったので、体をずらしてみてみたら

ドレーンのバッグ

だった。ドレーンは入らないだろうと(勝手に)思っていたのでびっくりした。
というか、手術関係で聞いていたのは、手術で切る位置と手術時間くらいで、どのくらい切除するとか、全身麻酔であることなどは明言されていなかった(切除部分の大きさは石灰化の範囲から推測したし、1泊2日の入院だから全身麻酔だろうとは想像はしていた)。

麻酔科スタッフが『痛みは

1から10で言うとどのくらい?

』と聞いてくれた。日本でも「1から10のスケール」のようだけれど、ドイツも同じだった。「10の痛み」はどのくらいなんだろうか。と思いつつ、結構痛かったので『7』と答えた。
が、ドレーンのバッグを見ただけで痛み止めを入れてくれなかったと思う。そう思うのだけれど、痛みは徐々に軽くなったのでよかった。

しばらくしたら同じスタッフが『

水飲む?

』と聞いてくれた。「痛み止めは?」と思ったけれど、痛み止めを使うほどでもないかと思い直して言わなかった。
麻酔が切れてすぐに水を飲んでいいんだ、と思ったけれど、のどは乾いていなかったのでお断りしたら『



にする?』と聞かれた。手術後は水分を摂った方がいいのだろうか。

15分くらい休んだ後、病室へ移動するために麻酔科のベッドから病棟用のベッドへ移動。頭痛も吐き気もなく、何なら歩いて病室に行けそうな感じだった。病棟用のベッドに私が脱いだ服と靴の入ったプラスチックバッグがかけられていて、全部一緒に移動。
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入院・手術をする-手術当日編その1

2024-12-12 17:23:51 | 健康
手術当日は言われたように7時前に病棟のオフィスに到着した。

『ちょっと廊下で待っていて』と言われたので、廊下の椅子に座って待っていたら、『今日は乳がん診断の放射線科医のクリニックで

8時に予約

があるんだけど、知ってる?』と聞かれた。そういえば、執刀医と面会したときに、乳がん診断の放射線科医が切除部分のマーキングをすると言っていた。「いつどこでするんだろう」と思っていたけれど、そうか、私が今からクリニックの外来に行くのか。

ということで、7時45分に向かいのクリニックへ。
8時過ぎに医師が

エコーを見ながらワイヤー

を入れた。エコーで石灰化は見えないよね?と思ったけれど、生検の跡は残っているし、生検の時に小さなメタルクリップを入れたので、そこをめがけてマーキングをしたのかもしれない。マーキングに使ったワイヤーは思っていたよりも太めの割としっかりしたワイヤーだった。

マーキング後、マンモグラフィを撮影し、病棟のオフィスに戻った(9時ごろ)。
再び『廊下で待っててね』と言われたので待っていたら、スタッフに『あおさんの病室ね、

今日退院する人がまだ退院していない

から空いてないの。悪いけどもう少しここで待っててね』と声をかけられた。

しばらくしたら別のスタッフがやってきて、『食事の件だけど』と話し出した。『朝食はコーヒー?紅茶?パンはいくつ食べる?バター?マーガリン?ジャム?ハムは?ヨーグルトは食べる?』などと聞かれた。パンは1つ、バター、ジャム、ヨーグルトとコーヒーをお願いした。ジャムよりはハムが良かったけれど、ジャムで頷いてしまったのでハムはお断りした。次入院の機会があったらハムにしよう。

続いて昼食。
昼食?「入院のしおり」を読んだら退院日は「医師の許可の下、朝食後に退院」となっていたので、念のためなのかな?などと疑問に思いながら答えた。メニューはキノコのスープとチキン。

そして夕食。さすがにおかしい、と思い、『それは今日の?明日の?』と聞いた。『

明日の

夕食よ』と答えられた。『…私は明日、退院予定なんですけど…』と伝えたら、びっくりしていた。『でも、念のために聞いておくわね』ということで、『パンは全粒粉?小麦?チーズでいい?』と、聞かれた。

オフィスの外の廊下の椅子に座って待つこと約1時間(10時過ぎ)。
『あおさん、

手術の順番が来た

から、もうすぐ来るスタッフについて手術室へ行って。そのパーカーはここで脱いで』と言われ、荷物やコートなどと一緒にオフィスに預けた。急だな、と思いながら迎えに来てくれたスタッフについて手術室へ。

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入院・手術をする-入院まで編その3

2024-12-11 19:25:06 | 健康
ブレストセンターで指示されたようにまずは病院で入院申し込み。主に病院との手術契約、データ保護関連、緊急連絡先、アレルギーや既往症の確認などだった。

申し込み終了後は書類をカウンターで確認してもらって、麻酔科の問診票を受け取り、麻酔科医に呼ばれるのを待ちながら記入。問診票は身長・体重からアレルギー、既往症、持病、感染症の有無などなど。

1時間以上待った後、麻酔科医と面談。問診票を確認しながら麻酔によるリスクや手術当日の注意事項を受けた。『当日は絶飲食ね。朝7時に病院に来るんだけれど、家を出るときに

水または紅茶、コーヒー(ミルクなし)を1杯飲んで

ね』と言われた。コーヒー(ミルクなし)もいいんだ。
手術開始時間が気になっていたので聞いてみた。『うーん。

分からない

わね。今のところ他に手術の予定は入っていないけれど、何時になるかは不明ね』と言われた。そうだろうと思った。

以前、知り合いが手術を受けるときに麻酔科医との面談(別病院)に同行したことがある。その時はどのように麻酔をかけ始めるのか(人工呼吸の管を入れるときは安全のために意識があるときに入れるから一瞬苦しい)、などの細かい説明があったけれど、今回はそのあたりの説明はなかった。

麻酔科医との面談終了後、再びカウンターで書類をチェックしてもらい、病棟へ。

病棟のオフィスで書類を渡し、緊急連絡先の確認などをした後、鼻とのどを綿棒で拭って多分コロナテストをした。一番最後に、書類を隠され『何月何日に入院しますか?』『何時に来ますか?』の確認をされてすべての手続き終了。

病院到着から

3時間超

かかった。さすがに疲れた。

ホームドクターで血液検査をするなどの指示はなかったので、

事前検査は一切なし

で当日を迎えた。

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入院・手術をする-入院まで編その2

2024-12-10 22:55:27 | 健康
手術を受けたい病院にはブレストセンターがあるので、そこに予約をした。予約は連絡をした日から

約10日後

と、こちらも思ったより早く予約が取れた。胸関連は急患が入らないからスムーズなのだろうか。

さて、予約日当日。
手術日を決める以外に何をするんだろう、と思いながらブレストセンターへ行った。ブレストセンターは乳がん診断のクリニックの隣の建物で、病院の斜向かい。

ほぼ予約時間通りに呼ばれ、執刀医と面会。乳がん診断をしているクリニックと提携しているだけあって、執刀医もカンファレンスのメンバーで、私の状況も分かっていたので、話が早かった。この病院にして正解だったと思う。

乳がんの家族歴やホームドクターなどの基本的な質問後、『手術は1泊2日。手術時間は20~25分くらい。緊急性はないから手術は6~8週間以内に受ければいいんだけど、いつにする?』と聞かれたので、『できるだけ早く』と答え、

約10日後

決定。そして『じゃ、手術日前日までは生活に制限なし。当日は何も飲食せずに来てね。手術の結果は手術日から1週間後の診察で』で、

5分ちょっとで面談終了

。「何か質問ある?」もなかった…
その後執刀医が書類を作成(面談時間より時間かかった)してスタッフに渡すのを待ち、そのスタッフが私に、『じゃあ、今日は病院に行って

入院申し込みをして麻酔科医と面談、病棟に行ってこの書類を渡して

終了ね。当日は何も食べずに

朝7時

に病院に行ってね』と書類一式を渡しながら言った。すること多いな。そして朝7時か。早いな。というか、麻酔のための検査は全然していないけどいいのだろうか。朝7時に病院だから、手術前に血液検査とかするのだろうか、など思いながら斜向かいの病院へ。

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入院・手術をする-入院まで編その1

2024-12-09 18:15:11 | 健康
11月に1泊2日の入院で手術を受けた。人生初の入院&手術だった。

始まりは、9月に乳がん検診(マンモグラフィ)の招待状が届いたことから。日本はたぶん、自分で検診機関を選んで予約をするのではないかと思うけれど、ドイツ(少なくとも私の場合)では、

場所・日時指定

の手紙が届いた。もちろん、都合によっては変更できるし、強制ではないので検診を受けなくてもよい。
私は検診で引っ掛かり、精密検査に行き、生検を受けた結果、『がん、がんの前段階であることは否定されたけれど、

将来がんになるリスクが高いので、その石灰化部分を切除

をするのが良い』ということで、手術をすることになった。
ちなみに、医師からは、なにがどうリスクが高いとか、そういう説明はなかった。ただ病理結果はもらったので、自分で調べて納得して手術を受けることにした。

ドイツはなかなか病院やクリニックの予約が取れない(新患を受け付けていないクリニックも多々ある)のだけれど、乳がん検診は驚きの速さで事が進んだ。

10月上旬に受けたマンモグラフィからの日数は、
マンモグラフィの結果:3日後
精密検査+生検:1週間後
生検結果:1週間+3日後
この結果で手術を受けることが決まったので、もう1か所の石灰化部分(マンモグラフィではカテゴリー2の良性判定で、エコーでも所見なしだったけれど、生検をしてこちらも怪しければ切除)の生検を受けたので、
生検その2:2週間後
生検その2結果:2週間+3日後
と、もう1週間追加された。生検その2の結果は良性だったので、切除部分は1か所で確定。

病理結果が出るのが早い(カンファランスも含めて3日で出る)。乳がんだった場合、

マンモグラフィから10日ほど

で告知されることになる。結果を待つ間の不安感が短くて済むからありがたい話ではあるけれど、心が付いていけない気がする。

割と聞く話らしいけれど、外国では医師の分業がはっきりしていることが多いようで、私の場合もここまでは

乳がんの診断を専門にしている放射線科医

のクリニックで受けた。

手術は市内にある4つの病院の中から好きな病院を選んで予約をする。私は別にどこでもよかったけれど、このクリニックが提携している病院(クリニックの向かい側にある)にした。
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一時帰国(2024年初夏)-苗木城跡編

2024-12-06 16:04:08 | 日本


中津川3日目は、午後出発予定だったので、午前中に苗木城跡へ行くことにした。苗木城は、木曽川の右岸の山にあった山城。
パンフレットによると、駅から

約3.5キロ、歩いて1時間程度

となっていたので歩いた。道中ところどころに看板が出ていてとても親切だった。

木曽川を渡ると城山麓の大手門があり、四十八曲がりと呼ばれる急な坂道がある。長さ500m、高低差150mらしい。「え、ここを登るの?」というのが正直な感想。竹製のストックが置かれていたので拝借した。必要だった。パンフレットには、「大名の参勤交代もここを用いました」とあるので、大変だっただろうな、と思う。

そんな坂道を登り切って到着した苗木城跡はとても素晴らしかった。
苗木城は岩山に築城されたので、利用できる土地の確保が困難だったため、岩に穴をあけて懸け造り(清水の舞台のような)するなど、工夫がされたらしい。

写真は大矢倉跡。石垣がよく残っている。手前の岩も石垣の一部として利用されている。

天守台や馬洗岩の巨大な岩を見てぐるっと散策した後は再び駅へ。四十八曲がりを下るのは無理なので、飛騨街道を通るルートにした。パンフレットをよくよく見たら、「こちらのウォーキングルートがオススメ」と書かれていた。本当にこちらがおすすめ。



飛騨街道ルートには、顔に見える「おばけ岩」、船や鮒に見える「ふな岩」、弁慶が割ったと言われる「弁慶岩」(写真)の奇岩があってなかなか楽しめた。



そして、飛騨街道ルートと四十八曲がりルートの合流地点付近には1978年に廃線となった北恵那鉄道上地橋梁跡(写真)がある。橋脚の形が違うのが面白い。

中山道は外国人が多かったけれど、こちらはあまり知られていないようで、日本人ばかりだった。飛騨街道ルートで苗木城跡散策はおすすめ。
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一時帰国(2024年初夏)-妻籠馬籠編その4

2024-12-04 18:46:17 | 日本


妻籠宿は馬籠宿よりも町並み保存に力を注いでいるようで、建物は全体的に黒っぽく落ち着いていて統一感があった。そして、私たちが妻籠宿中心部に到着したとき(14時半くらい)は

ほぼすべてのお店が閉店

あるいは閉店作業中だった。
私たちのもともとの予定は、妻籠宿に13時までに着いて、妻籠宿で合流する友人の知人のガイドさんと一緒にお蕎麦でも食べよう、という話だったけれど、道中を堪能しすぎたせいで妻籠宿到着が14時過ぎとなり、食べ物を買えそうな開店中のお店は

おやき

を売っているお店のみだった。『店内で食べられます』の張り紙はあったけれど、「もうお店閉めるから外で食べてね」とお店の人に言われてしまった。それでもおやきを買えたのは良かった。

妻籠宿の中には飲料の自動販売機もあったけれど、

反対側を向いていた

(歩いているときに見えるのは自販機の背面)のも、観光客の利便性と町並み保存の両立を考えているのだろうと思った。
ハイキング途中に立ち寄った立場茶屋の管理人さんの話では、コーヒーを販売し始めたのも数年前とのことだった。

午後3時くらいの妻籠宿は郵便局や一部の無料施設以外は閉店していて、歩いている人もほとんどいなくて閑散としていたけれど、落ち着いた町並みがとてもよかった。

事前にネットで調べたら、妻籠宿→馬籠宿は上り坂が多いので、馬籠宿→妻籠宿のほうが楽、とあったので、馬籠宿から妻籠宿を目指して歩いたのだけれど、妻籠宿がにぎわうのはもしかしたら午前中なのかもしれない。

平日午後3時の妻籠宿に観光客はほとんどいなかったけれど、

ドイツ人グループ(10人ぐらいで家族(親族)旅行ぽい)

とすれ違った。

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