徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

学会へ行く-その1

2009-10-25 00:56:28 | 勉強



面白そうな学会があり、ポスドクのOKも出たので、ミュンヘン郊外の小さな街で開催された学会に参加した。当初は、ポスター発表をするつもりで、要約の下書きをポスドクに送ったけれど、

やっぱりスルーされた

なので、発表なしの本当にただ参加、しかも、研究室から誰も参加しない、という、とても気楽な学会だった。ただ、その一方で、研究室から誰も参加しない、ということは、1週間、1人でぽつんとしてしまう危険もある、ということで、誰か知り合いが来ないかどうか、プログラムでチェックした。

微妙だ…

確実に来る人は2人。1人は座長、もう1人は口頭発表する人。どちらも、気軽に話しかけられる相手ではないなぁ(でも結局、2人と話した)。

初日、最初の休憩のとき、トイレで日本人を見つけ、早速、『こんにちは』と声をかけてみた。全く知らない人から声をかけられ、彼女は戸惑っていたけれど、私はドイツに5年も住み、年もとってきたせいか、気にせず『日本の方ですよね?』と続け、

ナンパに成功

彼女が他の日本人にも私を紹介してくれ、楽しい1週間となった。

座長をした知り合いと話をした時、私の今の状況を聞かれたので、『Ph.Dを始めたところです』と言ったら、とても驚かれた。

もうずいぶん長くあそこの研究室にいるよね?

と。確かに、自分でも長すぎるなぁ、とは思っている。

学会自体は、200人を超える人が参加した、とても大きな学会だった。主催者もそこまで大きな学会になるとは思っていなかったようで、会場は若干狭いし、ポスター会場も、細かく分かれ、あまり大きな学会会場向きではなかったように思う。

今回、口頭発表した日本人は2人。やっぱり日本の研究は進んでいると思うので、もっともっと日本人の人がこういう国際学会で発表するといいのに、と思う。

写真は歩いていて見つけた、電気関係の機械のためらしい倉庫(?)のドアに描かれていた絵。
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新しい同僚

2009-08-18 03:25:31 | 勉強
ポスドクとして、中国人女性が研究室にやってきた。出ていく人が続いたこの研究室に久々に人がやってきた。

彼女のポジションは、3月締め切りの募集だった。何人の応募があったのか知らないけれど、私が知る限り、

面接に来たのは彼女だけ

書類選考→電話インタビュー→面接(セミナーあり)、という流れだとは思うけれど、通常、候補者は何人か面接に呼ぶと思う。が、今回は彼女だけ。

面接の後、教授が研究室を案内して、私のオフィスにも来た。

『紹介しようと思って』

と。私は『あ、彼女に決めたんだ』と思って、彼女に、『ここで働くの?よろしくね』みたいなことを聞いたら、彼女が、

教授の顔を見た

え。決定ってわけじゃなかったんだ…
教授は、『うん、働くよ』と言ったけれど、オフィシャルでないのなら、私に紹介せずに、研究室の案内だけにしてほしかった…ちょっとドキドキしてしまった。

まぁ、それでも無事、彼女が採用になり、ドイツに来たからよかったけれど。


なんだかなぁ、と思うのが、机の配置。チーム分けの関係から、ディプロマの学生と同じオフィスになったが、彼は1人でオフィスを使っていたので、窓際に机を横向けで置いている。彼の机の置き方だと場所を取るので、中国人の彼女は

出入り口のすぐ横

見た時、驚いた。集中できないんじゃないのか?スペースがなくて、というのなら仕方がないけれど、以前、そのオフィスには普通に2人座っていたこともあるから、何とかすればいいのに、と思う。

非ドイツ語圏の若い女性、ということで、私もかなりうれしい。仲良くできるといいな。
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Ph.Dディフェンス

2009-07-26 02:51:15 | 勉強
今月2つ目のPh.Dディフェンスがあった。発表者は私に1年以上PCを貸し続けていてくれる人

ディフェンス当日は、私が使っているソフトウェアが新しいPCで使えなくなったので、お昼くらいにDLRの人が来て、コンパイルしなおしてもらう予定だった。が、ディフェンスは午後2時からだったので、急きょ、もう少し早く来てもらうことにした。

で、当日。DLRの人が、いろいろ試したけれど、結局うまくいかなかった。不思議だったのは、彼のPCにリモートでアクセスし、そこでコンパイルしようとしても

エラーが出てコンパイルできなかった

こと。結局、2時直前に、『もうあおのオフィスで試せることはないから』といって帰って行った。

同じ研究室の人に、Ph.DのディフェンスはB11の部屋で行われる、と聞いていたので、その部屋に行った。

ロックされている

ついでにその隣の部屋もチェックしたけれど、ロックされていたり、空き教室だったりし、結局部屋を見つけられなかった。仕方ないので、オフィスに戻った。

そのうちディフェンスが終わり、同じオフィスの人が『図書室でパーティやるよ』と声をかけてくれたので行き、私に『ディフェンスはB11』と教えてくれた人に、『B11閉まってたよ。本当はどこでやったの?』と聞いたら、

え?B11だったよ

と言われた。『ロックされていたんだけど』と言ったら、『

あ、あの部屋ね、力強く開けないとドア、開かないんだよ

誰かがノブをカチャカチャやったの、気づいたんだけど、あれ、あおだったんだ。でも、ちょうどそのとき、教授が話していたときだったから、開かなくて良かったかも』と言われた。うん、開かなくて良かったかも。どうせディフェンスはドイツ語だから聞いても分からなかったし。

今日ディフェンスをした彼は、この後もしばらく研究室でポスドクとして働くらしい。よかった。


同じ研究室のオーストリア人は今日が最後となった。無事、Ph.D論文に教授のサインをもらえた。彼が次に来るのはディフェンスの日。1年弱、彼と同じオフィスで過ごし、分からない数式や、内挿法とか、いろいろなことを教えてくれた。

彼が去るのはとても寂しい。

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Ph.Dディフェンス

2009-07-14 02:06:57 | 勉強
今年に入って3人目のPh.Dディフェンスがあった。彼はライダーグループで私と同じグループだったけれど、実際何をしているか

知らなかった

ので、彼のプレゼンは英語で行われたにもかかわらず『全く分からず』だった。彼はデータ分析、というよりはテクニックがメインだったようで、ライダーのテクニカルな部分の説明がほとんどで、測定結果はほぼなしだった。

彼は外国人だけれど、ドイツの市民権を持っているので、このままドイツに滞在して仕事を探す、という。

彼もまた、研究室から出て行ってしまう…

ディフェンスには彼の弟が来た。兄弟そろって身長が

2m近く

顔はそれほど似ていなかったなぁ。Ph.Dを取った本人は端正な顔立ちだけれど、弟はかわいい感じ。でも、2人ともとても面白かった。

夕方からはグリルパーティ。公園で開催したので、サッカーボールやフリスビー、バドミントンなどが登場した。私は見ているだけで十分、だったけれど、フリスビーに誘われ、フリスビーを

4年ぶり

にし、

翌々日、筋肉痛

筋肉痛が翌々日に出るなんて…

とても楽しいグリルだったけれど、これでもうおしまいかぁ。本当、大学って通過点なんだな、と感じる。
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DLRへ行く

2009-07-13 02:43:17 | 勉強
ドイツ版NASAのDLRへ教授と一緒に行った。前日、秘書さんから電車のチケットを渡され、

教授も一緒に行くのよね?

と聞かれた。教授も多忙で、メールを送っても送っても返事がない状態だったので、翌日DLRへ教授が行くのかどうかは

私が知りたいこと

だった。

電車のチケットは朝7時過ぎが予約されていた。正直、『DLR相手にドタキャンとか、そういう失礼なことはしないだろうけれど、次の電車で来る、とかそういう可能性60%』と判断した。

当日、

電車発車5分前に教授登場

素晴らしい。
よくよく話を聞いてみたら、私の知らないところでプログラムが組まれ、

お偉いさんとランチ

もあった。遅刻するわけがなかった。

午後は私たちもセミナーをし、DLRの人もセミナーをしてくれたけれど、彼らの研究はとても興味深かった。彼らのテーマは『飛行機と気象』という感じで、テーマが身近な分、面白い。

新しくポスドクできた日本人の人もいておしゃべりできて楽しかった。DLRの人いわく、『そのポジションはPh.Dの学生でもよかったんだけど、Ph.Dの学生だと3年後に論文書かないといけないでしょ。でもポスドクだと論文を書くプレッシャーが

自分たちにない

からポスドクにしたんだ』と。まぁ、そうですよね…3年後に必ず論文、というのは面倒見るほうもプレッシャーですよね…


帰りの電車。
もちろん指定席は取ってあったけれど、教授が、

食堂車で夕ごはん食べよう

と言ったので、食堂車で夕ごはん。とデザートを食べた。

教授のおごりで

で、その食堂車のメニューはシェフが月替わりなようで、シェフの顔写真とドイツ地図がプリントされていた。教授が、

ここは何州?

と聞き始めた。まずい。自分が住んでいる州以外にはバイエルンしか知らない。まぁ、日本地図も、自分の出身地方の数県は分かるけれど、それ以外は全滅だから、ドイツの州が分からないのもある意味当然。

かろうじで、ベルリン、ブレーメン、ハンブルクだけが分かった…

その後教授は、仕事をし始めた。この人ってやっぱりすごいな、と素直に思った。そして、『私もがんばろう』と。
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パソコンを待つ

2009-06-20 03:09:34 | 勉強
ずいぶん前にオーダーしたPCがやっと先月末、研究室に到着したらしい。で、システム担当の人がいろいろインストールしたあと、私に引き渡しとなる予定。

『今週中にはあおが使えると思うから、

机の上、片づけておいてね

(あおの机の上、散らかっているよね)』とシステム担当ではないポスドクに言われたのがかれこれ

2週間前

しかし、いまだに私のところには届いていない。私的には、別の人のPCを使っているので仕事に差し支えがないので、システム担当の人にプレッシャーをかけることはしていない。

まぁ、私が使っているPCの持ち主は、私が大量にメモリを使い、彼の仕事ができないため、

相当不満

らしいけれど、私がその持ち主に『本当、申し訳ないです。PC使うでしょ?』と聞いても、

今はメールくらいしか使っていないから。あおのPCが届いたら、『届いた』と連絡くれればいいから

という返事のみ。その一方で、ドイツ人同僚には不満を漏らしている。そういうやり方が私は不満。私には『不満ないよ』らしきことを言っておきながら、第3者に『あおが…』というのはありなのか?

彼自身、仕事が進まなくて困っているのなら、私に直接『もう少しPCの使い方を何とかしてほしい』とかいうのが筋だと思うし、なによりてっとり早く自分の仕事を進められることになると思うけれどなぁ。

でも、私自身、彼の不満を知ってしまったわけだから、一応、彼がPCにログインしているかどうか、たまにチェックするけれど、

今まで一度も彼がログインしている瞬間に出会ったことがない

彼が『あおが重いジョブをかけているから』と思って遠慮しているのでしょうか。


日本では、PCの入れ替えなどは担当の人がサクサクとやってくれ、2日もあれば元の環境で作動するようになったけれど、ドイツ(私の研究室)って違うのね。使用する人がプレッシャーをかけないといつまでたっても使えるようにならないのね…
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引き継ぎ

2009-06-16 02:53:51 | 勉強
同じオフィスのオーストリア人が今月末で契約終了となる。まだPh.Dを取っていないから、希望すれば契約延長ができたけれど、彼は

延長したくない

と言い、研究室を去ることにした。まだ休暇が25日分残っているけれど、結局全部消化はできず、今週だけ休暇を取ることにした。

彼が在籍するのはあと半月、しかも、そのうち1週間は休暇、となった先週、教授から彼にメールが届いた。

モデリングチームのポスドクをサポートしてくれ

と。彼(オーストリア人)の研究のノウハウをそのポスドクが引き継ぐことになったけれど、

そのポスドク、先週末は休暇中

私の感覚では、引き継ぐ人はそういう時期に休みを取らない(しかも、ポスドクが戻ってくるときはオーストリア人は休暇)と思ったので驚いた。

オーストリア人が私にアドバイスをくれた。

たぶん、彼はあおに仕事を振るから、Noって言えよ

と。オーストリア人がポスドクに引き継いだ仕事に関しては私は基本的にはノータッチな部分だけれど、おそらく、私にIDLでプログラムを書いてほしい、とお願いしてくるはず、と。

うまくNoと言えるかしら。でも、散々そのポスドクには

それは僕の仕事ではないから

と言われてきている(ポスドクは学生の面倒を見るのも仕事なはずなのに)から、1度くらいは『それは私の仕事ではありません』と言ってもばちは当たらないかな。

で、そのオーストリア人、今月初めに教授に就職活動用の推薦状をお願いした。もちろん教授はOKを出したけれど、案の定、まだ受け取っていない。

どこまでやるか、作戦を練らないといけないよね

オーストリア人も、教授も、相手の出方をうかがっている。順調にいけば数年後には私にもこういう状況が訪れる、と思うとちょっと嫌だなぁ。

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学会-教授のプレゼン

2009-05-16 03:13:03 | 勉強
私の教授はプレゼンをするのが大好き。時間の融通がきくミーティングの場合、持ち時間が30分だったら1時間くらいプレゼンをするような人。

学会では教授はinvite talkだったので、持ち時間は30分だった(他の人は持ち時間15分)。教授のプレゼンが残り10分くらいになったころ、教授が、別(でも関係ある)のプロジェクトのリーダーに『では、彼に彼のプロジェクトを説明してもらいます』と話を振った。

30分の持ち時間でも短いはずなのに、別の人に数分間あげちゃうんだ、と驚いた。

学会3日目、その別のプロジェクトリーダーのinvite talkがあった。やっぱり残り10分くらいになったころ、私の教授にプレゼンが振られた。そうか。お互いに少しずつ時間を交換したんだ。

教授が話し始めて数分後、座長が『あと2分』と示した。が、

教授は気付かず続ける

本来の話者が教授をつつき、『あと2分』と教えたが、教授、

そんなのはどこ吹く風

と言った感じで平然とプレゼンを続ける。持ち時間の30分を過ぎたころ、しびれを切らした座長が

教授に近付きプレッシャーをかける

それでも話し続ける教授。まぁ、座長は私の研究室のポスドク=教授の部下だったけれど。
ようやく教授のプレゼンが終わり、また本来の話者のプレゼンに戻った。さすがに本来の話者は残りのプレゼンは流すように終わった。

教授、話長いよ…
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学会

2009-05-15 02:06:16 | 勉強
初日に会場で受付をした。受付で名札、参加費振り込みの領収書を受け取った後、

リュックサック

ももらった。中身は、要旨集、会場案内図、ノート、ボールペンとその街の地図。リュックサックに入れる、というのがドイツだなぁ、と思った。日本ならおそらく、紙袋かエコバッグか、予算によっては茶封筒か、といったところだと思う。

この学会はスポンサーがいくつか付いていて、リュックサックはNECドイツが担当したようで、学会の名前とNECのロゴが付いていた。NECは私だけでなく、おそらく多くの人が『エヌイーシー』と呼ぶと思うけれど、ドイツでは

ネック

と呼ばれているらしい。

この学会、午前に1回、午後2回(そのうち1回はポスターセッション+休憩)休憩があり、コーヒー、紅茶、水、ジュースのほか、ケーキやクロワッサンなどが出された。しかも、毎回違うケーキが出された。すごい。

今回私が参加したのはConferenceと呼ばれるものなので、私が日本で参加した学会とは種類が異なるのかもしれないけれど、今回、『違うな~』と感じたのは、

全員が同じ会場で発表したこと

日本で学会に参加した時は会場は大学で、テーマによって発表する教室が違い、参加者は聞きたい会場に発表ごとに移動し、時には同じ時間に発表が重なり、聞けないこともあった。

全部の発表を聞けるチャンスがあるのはいいけれど、学会が1週間、っていうのは長いな、と思う。全く興味関心のない分野もあるし。


中日の午後、近くのバロック宮殿を見学に行った。チケットが120枚用意されていたけれど足りなかったようなので、少なくとも150人くらい学会に参加したことになる。中には、ポスター発表を申し込んだけれど会場には来ない、と言う人も多くいたので、申込者はもっと多かったと思う。

バロック宮殿はレンガ造りの左右対称な建物。1700年くらいに建てられたらしい。中の調度品はオリジナル。フランスのベルサイユ宮殿をまねたらしい。
ホールの彫刻や絵画や床はとても素敵だった。床は大部分が貼りかえられたけれど、一部オリジナルが残されている。

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学会で-前日

2009-05-14 04:23:59 | 勉強
学会の前日から開催場所へ滞在した。私の研究室からは本当は7人が泊まりで参加するはずだったけれど、諸事情から5人だけになった。

当日、私は教授とポスドクと4人で開催場所に移動した。ホテルにチェックイン後、ポスドクと教授はミーティングを兼ねながら飲みに行き、私は街をうろついた。

小さい町だけれど、私が住んでいる街にはない、かわいらしい雑貨がたくさんあり、ウィンドウショッピングも楽しかった。

何件か見た後、ケバブ屋さんから手を振っている男性2人組を発見した。
1人は同じ研究室の人、もう1人は同じプロジェクトに参加していて、ワークショップで何度もあっていて、比較的仲のいいフランス人。

彼らと合流した後、バーでお酒を飲むことにした。そこでドイツ人が私にナプキンを渡し、

折り紙してみて

というので、風船か鶴を折ろうかと始めたら、フランス人が、

白鳥?紙あげるからそれで折って!

とリクエストしてきた。『いや、白鳥じゃなくて鶴だよ』とは言ったけれど、伝わらなかったのか、彼は最後の最後まで白鳥を期待していて、出来上がった鶴を見て、『白鳥じゃない』、とあからさまにがっかりしていた。

それでも、折りあがった鶴を見て、『すごい!』と喜んでくれ、『僕が知っているのはこれだけ』と、彼も何かを折り始めた。

ものすごく単純に折っていっただけだったけれど、『できた!』といって見せてくれたものは、

王冠→鳥→舟→家

などと、順に変化するものだった。覚えたかったけれど、複雑すぎてあきらめた。


ホテルは会場から徒歩5分くらいの場所で、私の部屋からは

宮殿が見えた

というより、道路を挟んだ向かいが宮殿。でも、5人で泊まり、部屋から宮殿が見えたのは私だけ。当たりを引いたようだ。
部屋は1人1部屋だけれど、ジャーマンツイン(ダブルベッドだけれど、マットはシングル2つ)で、サイドテーブルもソファもあって、広かった。シャンデリアが素敵だった。

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