唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

裸の節度使

2006-07-05 18:31:12 | Weblog
「定州で軍乱が発生しました」
「乱兵は節度使の渾鎬様を捕らえています」
「徹底的に掠奪され、鎬様も家人も裸で放り出されているそうでございます」

易州刺史の陳楚の元に次々と知らせが入った。

「苦労知らずの若様だからな」と楚

鎬は建中の名将咸(かん)の子、人柄はよいとはいえ、たいした功績もなく節度使となった。しかも今度の王承宗討伐では、伏兵にあって大敗し、軍の半ばを失っていた。

「兵をいたわるこころがあればな」
「そのようなものは苦労知らずのあの方には・・」
「そろそろ楚様にご下命がおりましょう」
「この寒風の中、裸とは気の毒なことだ」と楚はくすくすと笑った。
「ほとほどにしろと兵達にも・・・」

長く易定節度使であった張一族の縁戚にあたる楚であった。

「節度使として乱を鎮めよという命令が下りました」

楚は定州城に馳せ入り、乱はたちまちに収まっていった。

罪名を問う

2006-07-05 18:28:24 | Weblog
甘露の変で宦官仇士良達は、宰相五人をすべて殺害した。その後も禁軍を出動させ
専権を極め、新任の宰相李石らは制することができなかった。

開成元年三月昭義軍節度使劉従諫は使者を送り問うた

「甘露の変に李訓等は責任があると聞いております。しかし王涯ら三相に罪ありとは聞いておりません」
「涯らの罪名をお伺いしたい」

士良ら宦官達は日頃の威勢はどこへやら、まずいことになったと顔を見合わせていた。

「従諫は近隣の諸鎮とともに入朝してお伺いするつもりです」と使者

返答を翌日に延ばして重臣会議がおこなわれた。

「従諫は本気のようだ」と士良
「禁軍が京師を横行しているような状態が続いています。これでは外鎮につけこまれましよう」と石
「禁軍は引き上げさせよう」
「もう残党狩りはやめる」と士良
「政事も宰相府にもどるということですね」と石が念を押した

士良は憎々しげに石をにらんだがなにも言わなかった。

翌日、従諫の問には返答がなく、位階が進められるとの詔勅がくだった。