唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

自決

2006-07-23 11:59:58 | Weblog
「俺にはどうにもできない」

「死んで帝や父にお詫びするしかない」

田布は幕舎の中で一人繰り返していた。

父弘正が成徳の王廷湊に殺されて半年、

仇を討つために急遽、魏博節度使に転じた。

しかし父の旧鎭である魏博兵は働こうとしなかった。

賞を貰うことになれ、危険を畏れる兵達を、

若い布にはなかなか動かすことができなかったのだ。

しかも宰相達は吝嗇で軍費を滞らせるようになった。

そのくせ次々と使者が到着し督戦してくる。

寒さの中で供給は滞り不満はつのるばかりであった。

年末、ついに軍の大半は自壊して勝手に引き上げてしまった。

諸将を召し出して会議をしても誰も発言しようとはしない。

実力者の史憲誠は、中軍を握り陰で兵をそそのかせていた。

そしてなんの結論もなしに散会したのだった。

長慶二年正月、布は自害した。
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鄭注立身

2006-07-23 08:59:16 | Weblog
「監軍殿より、一言注意してもらえませんか」

「あの鄭注という奴には、がまんできません」

「なぜあんな奸物を、愬殿は近づけるのかわかりません」

「上にはへつらい、下には傲慢になる表裏のかたまりです」

「わかった、愬殿に注意してみよう」

武寧監軍王守澄はうなづいた。

守澄はさっそく節度使の李愬の所に赴くと、聞いてきた注の噂をつげて諫言した。

「名将といわれる殿ですが、文臣をみる目は甘いようですな」

「いや、そう言われるが注は奇才で捨てがたい人材ですよ」

「奸物ほどそういうものなのです。追放された方がよい」と守澄

「明日、注を監軍殿の所に行かせます、一度話を聞いてやってください。その上で問題があるなら追放もしかたがありません」

「話ぐらいは聞いてやりますが・・・」

翌朝、守澄に謁見を求めてきた。

「奴め来たのか、儂を丸め込めるとでも思っているのか」

険しい表情の守澄であったが、注の話が始まると膝を乗り出し
数刻後には会うのが遅かったことを悔やむありさまであった。

翌朝、守澄は愬に言った

「なるほど奇才ですな」

たちまち注は守澄の信頼を得て側近となった。

王守澄はやがて中央に戻り枢密使となり、鄭注も引き立てられていった。
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