唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

節度使立候補

2006-07-18 19:59:32 | Weblog
「節度使になりたい奴は」

「誰かおらんのか!!」

練兵場に集まった兵達の喚く声が響く

「李さん、あんたがなったら」

「馬鹿な、俺にそんな度胸があるものか」

「我が儘な牙兵を抑えるたげでも大変なのに、従訓の奴がいるし」

「文弁みたいになりたくないよ」

「羅さんこそ立候補したら」

羅弘信は魏博の將、しかし特に目立った功績はない。温厚なのが唯一の取り柄といえる。

前節度使樂行達は使役が過ぎたため、反乱を招き殺された。

代わって推された趙文弁は、行達の息子従訓が朱全忠の援助を受けて来寇した時に戦わなかったために殺された。

魏博では節度使は危険な地位なのだ。

「いっちょう勝負するかな」と弘信

「俺が生まれたとき、おっかさんは易者からこの子は末は王侯になるといわれたそうだし」

弘信は兵舎を出て練兵場に向かった。

「誰もおらんのか」

「節度使・・・・・」

苛立った兵達が怒鳴りまわしている。

いくら傲慢な牙兵とはいえ、主がいなくては不安でたまらない。

弘信が壇に上がっていくのをみてピタリと静まった。

「俺がやる」と弘信が叫んだ。

「決まった!! 弘信が節度使だ」

「異議のない奴は刀をあげよ!!」

やっと候補が決まり安心した兵達は口々に叫んだ

練兵場にいるすべての兵がいきおいよく抜刀した。

「従訓を伐つ、軍議だ。諸将は集まれ」と弘信

苦労の多い王侯生活が始まった。

蜀の王者

2006-07-18 17:43:33 | Weblog
「王建が漢州を荒らしています」

「蛮族を抱き込んでなかなかの勢力です」

内乱が収まったとおもったら今度は王建か

西川節度使陳敬宣はうんざりであった。

兄の宦官田令孜のおかげでで節度使になれたとはいえ

さんざん中央の政争に駆り出されて

肝腎の足下である西川がガタガタになってきた。

あげくのはてには兄は失脚して逃げ込んできた。

へたをすると兄ごと朝敵になってしまう。

「王建?、あああいつか」と令孜

「知っているんですか」

「知っているも何も、元部下だ」

「なかなかの男だ。手なづけて先鋒にするとよい」

「じゃあ兄貴のほうから手をまわしてくださいよ」と敬宣

令孜が使者を送ると、はたして建は大喜びだった。

「こんな所で山賊まがいの事をしていてもバカバカしい」

「大きな州を一つもらって落ち着こうや」と

蛮族が大部分のもの凄い部隊を引き連れてやってきた。

「王建の軍は・・・・」と報告を聞いて敬宣は青ざめた。

「そんな奴らを西川に入れるわけにはいかん」

鎭将に命じて防がせることになった。

当てがはずれた建は茫然としたが、やがて怒りにまかせて諸州を荒らしまわった。

そして中央に働きかけて田・陳討滅のお墨付きをもらい

西川を乗っ取ってしまうことになった。