唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

牛李の党争

2006-07-24 18:03:50 | Weblog
「維州を放棄するなんて・・・・」

「牛宰相は国益を考えていないのでしょうか」

「この徳裕が憎いということだけだろう」

大和五年、維州守將悉旦謀が唐に帰順してきた。

吐蕃や雲南蠻の侵攻は困難となり、西川節度府は安泰となった

節度使李徳裕の懸命の働きかけが功を奏したのだ

二年前の雲南蠻の侵攻により成都府が陥落した記憶がまだ生々しい

その時も、維州が唐のものであれば侵攻などできなかったはずだ。

ところが宰相牛僧孺は維州を吐蕃に返還し、悉旦謀も送還しろと命じてきた。

「維州の兵は皆殺しになってしまう」

「唐の信用は地に墜ちる。これから誰も降るものはいなくなる」

徳裕は再度訴えたが、中央の決定は覆らなかった。

牛は「外敵とは争わず、藩鎭には干渉せず」という平和策なのだ。

悉旦謀は一族とともに送還され、幼児にいたるまで虐殺された。

「いまにみておれ、政権をとったら、牛党の奴らにこの悔しさを味あわせてやる」

徳裕ははるかに北、京師をにらんでつぶやいた。
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書生あがり

2006-07-24 17:57:46 | Weblog
「奴はしょせん書生あがりだよ」

「そうかな、怖がりすぎたかな」

「御史中丞をお授けになるんだぜ喜ぶはずだ」

「まあ、なんとでもなるか」

反乱した朱の部将牛雲光と、の家奴蘇玉の会話である。

雲光は幽州兵を率いて隴州に駐屯していた。

朱が反乱すると、臆病者の刺史郝通は逃げてしまった。

留守居役は判官韋皐である。

そこで雲光は簡単に隴州を乗っ取れると思ったがうまくいかず
退却途中で、使者の玉と会ったわけである。

「もう一度行って説得しましょうぜ」

「ダメなら攻め落とせばいいんだし」

二人は隴州へ戻っていった。

皐は二人を歓迎し、の命を受けた。

「だから言わないこっちゃないでしょう、しょせん文官は臆病者でさ」と玉

「さあ兵士達を城内へ入れてくつろいでください」と皐に言われ、

二人は武装を解きいそいそと宴会に出てきた。

兵士達も武装を解いたのをみて、皐は悉く誅殺した。

そしてただちに皇帝に帰服し、隴州の節度使に任命された。

しかも兄弟を人質として皇帝のもとに送り、その忠誠に揺るぎがないことを示した。
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