唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

粗食

2006-07-17 17:40:04 | Weblog
「倉庫はからっぽです」

「朝廷から送られてくる賜物はいつくるかわかりません」

義武軍行軍司馬の任迪簡にとっては頭の痛いことばかりであった。

前節度使の張茂昭は、易定二州を朝廷に返納して河中へ栄転していた。

長い間の河北の自立の一角が崩れたわけである。

しかし周囲はすべて敵であり、軍士達は不穏な状態が続いている。

現に二回の反乱がおこり、そのたびに迪簡は監禁されていた。

軍上層部は官爵を授けられ朝廷に従うつもりであるが、利益を感じられない中堅以下は不満であった。

「こんな貧乏節度使だから、茂昭は投げ出していったんだ」

「なけなしの財産もみんな持って行ったし」

迪簡が軍士に与える賞賜はろくになかったし、宴会すら開くことができなかった。

「ひらきなおるしかしかたがないかなあ」と
迪簡は府庁の門脇の小屋に寝起きし、粗末な食事を食べて自分にも金がないことを示した。

軍士達もそれをみて
「隠しているワケじゃあなさそうだ。ほんとうに金がないんだろう、賜物がつくまでは辛抱するしかないか」
と静まっていった。
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殴打

2006-07-17 07:37:05 | Weblog
宮城の門横の金雞の下には大赦を受けた囚人達が並んでいる。

寶暦元年正月のことである。

囚人達は最後にここで晒し者にされ、その後釈放される。

前県令の崔發も並ばされていた。

「ここにいやがったぞ」
「こいつか發は」
「ぶっ殺してしまえ」

50人もの宦官達が手に手に棒を持って集まってきた。

發は県令として、百姓に暴力を振るっていた宦官を捕らえただけだ。

多少行き過ぎはあったとはいえ、不法なのは宦官のほうだった。

ところが皇帝は宦官達の告発を受けていきなり獄にぶちこんできたのだ。

幸い、大赦があり赦されることになったのだが。

「やっちまえ・・・」

宦官達は次々と發を殴打した。歯が折れ頭から血が噴き出した。

獄吏があわてて發を連れだし獄に戻した。

さらに帝から發を釈放しないようにという命も下った。

發は獄中で死んだように横たわっていた。

諫官達は次々に、
「悪いのは宦官であり、發に罪はない」と上奏したが
帝は頑なに赦そうとはしなかった。

そこで「ガキにはガキ向きのやり方でいかねばな」と老獪な宰相李逢吉が
乗り出した。

「發は赦しがたい罪人でございますな」

「宰相もそう思うか」と帝
「諌官達は朕が間違っているとうるさいんだ」

「いやいや、發は有罪です。ただ、彼には老母がいて血を吐くほど心配しているのが気がかりなだけです」

「母がか?」

「毎日寺参りをして帝のお赦しを願っているそうです」

母親思いというよりママボーイの帝は、そう聞くと深刻な顔になった。

「今まで誰もそんな事は言わなかった。法律がどうのこうの・・・・」
「赦してやる。母親を安心させてやれ」

發はやっと釈放されることになった。
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