唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

殿上の食事

2006-07-20 16:29:08 | Weblog
「お前と俺は殿上で食事をすることになっているんだ」

「よせやい、俺はしがない職人だぜ、お前もただの占い師じゃないか」

「いや、本当の話だ。俺の占いがよくあたるってことは知っているだろう」
長安の一隅で、卜者蘇源明と染坊供人張韶の会話である。

当時若い皇帝は、ポロや狩猟だと騒ぎ、政務など放り出し遊び回っていた。

その噂は長安中に広まっていた。

「殿上での食事といゃあ、まるで皇帝様じゃねいか」

「あんな馬鹿に皇帝が勤まる時代だ」

「そういえば韶はちょっとした男だしな」

「韶が皇帝になるんじゃないのか」
と染工や無頼達は無責任に騒いだ。

「いっちょう、騒がしてやろうじやないか」

「韶が皇帝なら、俺たちも貴族ぐらいになれるんだ」

いつのまにか計画ができあがっていた。

丙申の日、武器を染料の紫草を積んだ荷車の下に隠し
百餘人の無頼達は宮門に向かった。

さすがに宮門では警備兵に疑われたが斬り捨てて突入した

若い皇帝はいつものように遊びほうけていたが、

急を聞いた宦官に抱きかかえられて左神策軍に逃れた。

警備はお粗末で、兵もろくに集まらずあわてふためく
ばかりであった。

そのころ宮殿では張韶と蘇玄明が食事を取っていた。

韶は「本当にあんたの言ったとおりになったぜ」

玄明は驚き「お前はこの先を考えていないのか?」

「この先はどうなると占いにでてるんだ?」と韶

玄明はただ首をふり「俺の占いの結果はここまでだ!」

狼狽した韶らは御殿から走り出たが、禁軍に殺された。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トカゲの尻尾

2006-07-20 16:24:03 | Weblog
大暦12年、京師近辺は大雨のため多くの田畑が被害を受けた。

京兆尹の黎幹はその救済を訴えた。

しかし戸部侍郎韓滉は税金が減るのを恐れてそれを認めなかった。

「渭南県はまったく水害にあわなかったと申しておるが」と帝

「そのような事があるはずがありません、まわりの県は大被害を受けております」と幹

「それでは監察御史趙計を派遣して調べさせてみよう」

ところが、計は韓滉を畏れてほとんど損害がないと報告してきた。

幹はいきり立って、さらに剛直な御史朱敖を送るよう求めた。

やがて「渭南の田三千頃が水没しています」と敖は報告してきた。

帝は怒って、偽って報告した県令や趙計を左遷した。

しかし元凶の滉にはなんの処罰もなかった。

滉を罷免すると税が集まらなくなるためだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする