唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

立場の逆転

2006-07-04 14:13:07 | Weblog
「なぜだ?、なぜこんなことになる!」
襄州防禦使裴茂は喚いた。

目の前に旧上司の來填(らいてん)の軍が迫っている。

茂は宦官李輔国と組んで、填を体よく淮西節度使として追い出した。
淮西は広いけれども戦乱で荒れ果てている。
肥沃な山東は自分のものになるはずだった。

ところが填は戻ってきたし、しかもいつのまにか山東節度使に復帰している。
そして茂は反逆者扱いになっていた。

茂の兵達は填の元部下なので動揺して、敵に走ろうとしている。

前皇帝が崩じて、新帝が即位されたことによって簡単に敵と味方が入れ替わってしまった。宦官どもの勢力も逆転したらしい

みるみる軍が崩れていく・・・

茂は捕らえられ、事情を訴えることもできず誅殺された。
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忠臣孫徳昭

2006-07-04 13:44:18 | Weblog
「くそ! おもしろくもねえ」
「宦官どもが正統な帝を幽閉するなんて許せるのか!!」
場末の飲み屋で神策軍将の孫徳昭が今夜も喚いていた。

時は光化の末、唐もすっかり衰えて京師付近にしか勢力が及ばない

それでも昔の余光のおかげで地方の節度使からの献納はまだまだ馬鹿にならない
政府が混乱しているのに乗じて、徳昭も甘い汁をすこしは吸ってきた。

「多少の余得がないと、こんな兵隊家業なんてバカバカしくてやってられねえ」
もともとは地方からの出稼ぎである徳昭には禁軍の將の誇りなどはあまりない

ところが先頃、宦官劉季述達が昭宗皇帝を幽閉し、太子を立てて政権を握ってしまった。

それだけなら、徳昭達にはどういうこともないのだが
一味の王仲先は規律を締め、徳昭達が勝手に官物を流用できなくしてしまった。

急に忠誠心を起こした徳昭、今日も酔っぱらってわめいていた。

「その気持ちは本当ですか?」

急に暗いところにいた小男から声がかかった
ギクッとした徳昭がみると、小男は宰相崔胤の家臣石晉であった。

「もしその気持ちが本当なら、お話があるのですが」

崔胤は宣武節度使朱全忠と結ぶ反宦官派の有力者であったが、今回の変で失脚していた。

「ああ、俺には二心はない、なにをしたらよいかわからんだけだ」と徳昭は言い切った。

崔胤の指示を受けた徳昭達が、劉季述達を斬り帝を復位させたのは、一月後の寒い朝だった。
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