唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

玄宗幽閉

2006-07-22 15:28:41 | Weblog
「くそ、馬鹿にしやがって」李輔国は顔を真っ赤にしてつぶやいた。

肅宗を擁立し、飛ぶ鳥を落とす勢いの輔国である。

自分の前では宰相も将軍も頭を下げ、顔色をうかがう

ところが興慶宮の玄宗上皇のもとに行くと、成り上がりの田舎者扱いだ。

玄宗の周りは優雅な側近達が取り巻き、教養のない輔国には理解できないやりとりが続く

「誰が安禄山の乱を鎮定したと思っているんだ」

「軍国のことなら俺が一番しっているんだ」輔国は腹立たしかった。

輔国は肅宗の元に戻ると

「上皇様の側近達は、帝を廃して復位をねらっています」と奏した。

「まさかそんなことはあるまい」と肅宗

「帝の即位は変則でした。上皇様はともかく、側近達は不満に思っています」

たしかに安禄山の乱に敗走の途中、側近達によって擁立された肅宗であった。上皇の京師復帰時には形ばかりとはいえ皇位を辞するようなまねもしなければならなかった。

「悪いのは側近どもです、上皇様と切り離せばよいのです」

「そんなことをすると父上はお嘆きになるだろう」

と煮え切らぬ肅宗を棚上げにして輔国は禁軍に命令を下した。

「側近どもはすべて流罪か隠居」

「上皇は奥殿へ押込め」

肅宗は輔国が怖くてそれをどうすることもできなかった。

押し込められた玄宗は鬱々として楽しまずまもなく崩御された。

土地はない

2006-07-22 09:05:42 | Weblog
「懷(かい)ごときに割ける土地はないぞ」

「しかし、かりにも陛下の舅ですぞ」

「時勢を考えろ、一兵・一銭でも欲しいという時に、あの馬鹿は」

観軍容使楊復恭はあきれてしまっている。

側近の貴族どもは現実がまるでわかっていない。

そして帝もだ。

唐の威光は京師近辺の山間十数州にしか及ばない。

ただひたすら禁軍を再建しようとしている復恭にとって

穀潰しの貴族が、皇帝の義父であるというだけで節度使を要求してくる事など信じられなかった。

「帝の強いご意向です」

「わかったわかった黔中節度使にでもしてやろう」と復恭

側近があわてて「黔中は楊守立に与えるというお約束がありますが」

「心配ない、守立に与える」

「は・・・・、?」

王懷は喜んで一族とともに黔中に向かった。

そして途中の山西で、復恭の養子守亮が渡し船に穴をあけて沈め全滅させた。

帝はこれを知って復恭を憎んだが、いかんともすることができなかった。