唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

首魁の帰順

2006-07-28 08:33:32 | Weblog
「もう抵抗も限界だ」

「淮西の元濟のようにならないうちにだな・・・」

「しかしどうしたらいいんですか、殿は皇帝から最も憎まれています」

「朝廷になんの手づるもありません」

成徳の王承宗の幕府では、毎日幕僚達との深刻な会議が続いていた。

元和12年ついに淮西の呉元濟が平定された。

平盧の李師道とも連携した反朝廷三道連合も一角がくずれた。

しかも魏博の田弘正によって分断され、幽州の劉總は南下して圧迫してくる。

「もう勝ち目はまったくありません」

「師道がやられるか、殿がやられるかです」と幕僚達

その時参謀の崔燧が言った。

「ただ一人だけ、朝廷に殿を取りなせる方がいます」

「誰だそれは、そんな者がいるのか!」と承宗は叫んだ。

「弘正殿です」と燧

「あいつと俺は犬猿の仲だぞ」と承宗

「弘正殿は儒学の徒、すこぶる公正さを重んじられます。殿が身を低くして願えば厭とは・・・」

「弘正殿なら、皇帝もとりなしを拒むことはできますまい」

「あいつに頭を下げるのか」承宗は呻いた。

「お家のためです。いまのままでは敗北し、殿の家は族滅されます」

「師道をみすてるのか?」

「師道がまだ抵抗している時だから可能性があるのです」

「やむおえまい」承宗が断じた。

係争の地である徳棣二州を献上し、すべての男子を人質に出すという条件で

弘正はとりなし、承宗は赦された。

翌年、平盧の師道は誅殺され、李家は族滅された。
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