自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

阪内不動滝

2011-10-25 | Weblog
 日曜のサイクリングで行ったが、松阪の細野峠に登る手前に阪内不動堂がある。県道から山道を600mほど登る。ここは北畠の家臣(分家)の坂内家が支配していた土地。不動堂は坂内家の菩提寺の奥の院にあたるという。落差30mの滝がある(写真)。近くに城跡もあるらしい。
 坂内家も北畠一門であり、織田により滅ぼされている。北畠は信長に攻められて和睦の条件に信長の次男「信雄」を世継ぎに迎えている。信雄(茶筅丸)11歳の時。しかし、信雄が北畠の家督を継いだ翌年(18歳の時)の11月25日、信長の意向により、隠居した北畠具教(祖父に当たるが49歳)の三瀬谷の館を襲撃し、3歳、1歳の子どもとともに殺害。同じ日、信雄の居城田丸城の宴に呼んだ具教の次男、3男、坂内の7代目である坂内具義の妻子ともども数十名を殺害している。具義19歳。翌日には坂内城は攻められ落ち、12月5日には北畠の霧山城は落城している。霧山城では名前が判っているだけで90名以上の男女が死亡。ここに北畠氏の係累はほとんど息絶えることとなった。
 しかし、鈴鹿の神戸氏もそうだし、和睦の条件に息子を養子として家督を継がせれば内紛・不満の起きるのは火を見るより明らか。それを口実に滅ぼすのであるから容赦ないやり方だ。北畠の嫡男(具房)は信雄の11歳上だが、その養子としたのである。
 ガイコツ峠という案内板が県道の傍らにあった。城跡の近くにあるらしい。坂内家の家臣のガイコツが出たのかもしれない・・・。往時を偲んで滝の音を聞く。500年前も同じ滝の音であったのではないか、と。
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