自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

夏目廃寺

2012-10-15 | Weblog
 土曜のサイクリングの起点は名張中央公園。2時過ぎに帰って来て、時間があったので、「夏目廃寺」を訪れた。場所は中央公園内と言って良い。
 由緒ある飛鳥~奈良時代頃の寺の跡、ということしか知らなかった。
 小さな展示館もできていて、ゆっくり見学(大人200円)。他に来ている人はいない。
 この寺は大来皇女(おおくのひめみこ)が父天武天皇の冥福を祈るため創建されたという昌福寺の場所と推定されている(夏目は地名)。また、表向きの理由の他、本当は天武天皇の跡目相続で草壁皇子(正妻の子)と競った(大来皇女の実の弟である)大津皇子(異母兄弟)が謀反の疑いで自殺に追いやられたが、その弟を偲ぶ小堂であったとも言われている。
 確かに、名張の夏目の地は史実の初代斎王であった大来皇女の領地であり、その地に、奈良の方を向いて斜面に建てられた80m四方の小さな寺は父親をというより、非業の死をとげた亡き弟の鎮魂を祈願した寺かもしれないと思うのである。
 考えてみれば、天武天皇は壬申の乱の大海人皇子。後継争いで、負けて首を取られた大友皇子の叔父である。父親に当たる天智天皇(当時は大王;天皇の呼称は天武天皇は初めて使った)は当時、兄弟が跡を次ぐ習慣を変えて長子に跡を継がせようとした。このことが壬申の乱の騒動の元である。大王の長子から勝ち取った権力を、以後は長子相続としたのであるから、親の業ともいえる。
 ところで、大津皇子と草壁皇子の母親は姉妹の関係である。歳は一つしか違わないので草壁の皇子が生まれた当時は内縁の妻であったか?大津の皇子4歳の時に姉にあたる母は逝去。妹で後の持統天皇が皇后となる。
 天武天皇の死後1ヶ月で姉の子の大津皇子は謀反の疑いで捕らえられ、死を賜ることとなる。おきまりの権力の座を脅かす有能な者は消される運命だ。

 ここら辺はNHK韓流ドラマ「王女の男」とよく似た様子。そんな思いで廃寺跡を見て感慨にふける。
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