自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

パソコン復旧作業

2023-06-18 | Weblog

 金曜の夜からWifi接続が不可となり、ネットに接続できなかった。5月15日に四日市のパソコン病院へ持って行き、治してもらったが、また発病した。自分でやってみようと、ドライバーの一覧を見ると、「Intel(R)Centrire(R)Advanced-N6205」に異常。前の時はMicrosoftのWiFiドライバーも入っていたが、今回はそのドライバーが存在していない。多分だが、不要という事でパソコン病院で削除されたのかもしれない。いずれにせよ、不調のIntel(R)のドライバーを復活させねば、という事で、有線接続にしてから、不調のこのドライバーを一旦初期設定に戻し、更新作業をすれば、復調した。ということで、昨日のサイクリングの記事を書く。

 昨日は土曜日、サイクリストも多い。安楽を登っていると、初心者の方か?追いついて「しんどいね」といいつつパス。峠には3人のロードがいた。鹿深の道で神の峠を越え、油日へ。「宇奈月」開店3分前だが、店の前には8人も並んでいる。そのままスルーして、田堵野から毛牧経由、旧道で上馬杉。土日営業の蕎麦屋「いしばし」こと拓庵さんへ。久しぶりの天蕎麦定食1200円。(写真)
 食後は旧道で、県境越えて東湯船へ。前を何度も通過しているが、初めて「手力神社」に参拝。この地に居館を構えていた上忍、藤林長門守が火筒や狼煙を奉納したことにちなみ、10月17日に花火を打ち上げるとある。

小杉から柘植、加太を通過し、関の西の追分で休息。
関の街中も土曜とあって人手が多い。さて、東の追分を過ぎて、国1号の接する辺り、小万のもたれ松跡がある。今まで立ち寄った事が無かったが、案内板と石碑があり、読んでみて、また、帰宅して調べる。

関の「小万」は父の仇討ちを成し遂げた女性。久留米藩士であった父は、だまし討ちに会い殺される。逃げた相手は亀山藩に召し抱えられたというので、身ごもっていた母親は、 夫の仇討ちに関まできて旅館に逗留していたが、産気づき、小万を出産、肥立ちが悪く亡くなる。小万は旅館の養女となる。15歳のおり、事の真相を養親から聞いて、仇討ちを決意。
 事情を亀山藩士に説明、道場で剣術を教えられる。関から亀山まで毎日通って、年頃の美人であった小万は地元の青年からからかわれることもあり、それを避けるためここにあった松の大木にもたれ、頃合いを見計らっていたという。
 剣術を教えた藩士は、「突き」の所作を集中して教えたという。18歳の時、農婦に変装した小万は、出仕を終え城門から出てきた敵(かたき)を見事討ち本懐を遂げたという。小万は九州に帰らず、そのまま旅館で働いたという。評判を聞きつけた客でおおいに繁盛したとも。その旅館は、現在は「会津屋」と名を変え、同じ場所で営業している。この石碑は、昭和6年、大松が枯れてしまったので、代わりの木を植える際に建てられた。現在は松はない。
 走行95㎞。

 

コメント