大杉栄などという訳者の名は高校の時の日本史の教科書かなんかでの記憶しかないが、ネットで調べてみるとなかなか興味深い資料などもある。そのことを書くのは本意ではないが、親父がこの本を姉2人を経て(私にとって伯母の2人)手に入れてたことは外箱に書かれた名前から判る。昭和3年、10歳の時だ。
昔の子供向けの本は、難しい漢字が一杯で、今の子どもではとてもついていけないだろうと思うほど。ルビが振ってなかったら高校生でも読めないだろうと思う。
訳者の大杉は巻頭言を書いているが日付は1923年2月となっている。しかし、このときフランスにいたようで、前年の12月に出国し、7月に帰国している。というとほとんど伊藤野枝の校正(訳)ではないかとも想像する。そんなことは判らないが、大杉に続いて、伊藤野枝の巻頭言もある。その中で「学問というものは、学者と言ういかめしい人達の研究室ばかりに閉じこめておかれる筈のものではありません。誰もかれも知らなければならないのです・・・」と書いている。当時の子ども達は精一杯読んだことだろう。
晩飯前にローラー20分。
昔の子供向けの本は、難しい漢字が一杯で、今の子どもではとてもついていけないだろうと思うほど。ルビが振ってなかったら高校生でも読めないだろうと思う。
訳者の大杉は巻頭言を書いているが日付は1923年2月となっている。しかし、このときフランスにいたようで、前年の12月に出国し、7月に帰国している。というとほとんど伊藤野枝の校正(訳)ではないかとも想像する。そんなことは判らないが、大杉に続いて、伊藤野枝の巻頭言もある。その中で「学問というものは、学者と言ういかめしい人達の研究室ばかりに閉じこめておかれる筈のものではありません。誰もかれも知らなければならないのです・・・」と書いている。当時の子ども達は精一杯読んだことだろう。
晩飯前にローラー20分。
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