「呼吸器外しに同意」患者家族が自宅玄関に張り紙 (朝日新聞) - goo ニュース
人間は、自分自身で下した決断についてすら「100%の確信」を持つことは難しい。
ましてや、家族といえども他人である。
本当に自分たちは同意したのか?同意すべきであったのか?
混乱と苦悩があって当たり前であり、上記ニュースにある証言の翻意についても、単に世間体云々というだけでなく、そのような家族の苦しい心情が現れているのではないか。
尊厳のある死を迎えたい、という気持ちはよく理解できるし、外科部長がとった行動についても心情的には支持したいところもある。
が、「死」は一旦選択してしまったら不可逆なのだ。
同意書の有無という形式要件は本質ではない。
けれども微妙で複雑で不可逆な問題だけに、明確な形で同意の形跡が残っているかいないかには大きな違いがある。
この外科部長はどこまで認識した上で、行為に及んだのか。
同意書が無ければ殺人の罪に問われることを十分自覚していたのか。
それとも、情に流されただけの熟慮を欠いた行為だったのか。
前者であるならば拍手を贈りたい。堂々と胸を張って罪を被って欲しい。情状酌量もあって然るべきだと思う。
が、後者だとしたら、残念ながら客観的には罪が重いといわざるを得ない。
人間は、自分自身で下した決断についてすら「100%の確信」を持つことは難しい。
ましてや、家族といえども他人である。
本当に自分たちは同意したのか?同意すべきであったのか?
混乱と苦悩があって当たり前であり、上記ニュースにある証言の翻意についても、単に世間体云々というだけでなく、そのような家族の苦しい心情が現れているのではないか。
尊厳のある死を迎えたい、という気持ちはよく理解できるし、外科部長がとった行動についても心情的には支持したいところもある。
が、「死」は一旦選択してしまったら不可逆なのだ。
同意書の有無という形式要件は本質ではない。
けれども微妙で複雑で不可逆な問題だけに、明確な形で同意の形跡が残っているかいないかには大きな違いがある。
この外科部長はどこまで認識した上で、行為に及んだのか。
同意書が無ければ殺人の罪に問われることを十分自覚していたのか。
それとも、情に流されただけの熟慮を欠いた行為だったのか。
前者であるならば拍手を贈りたい。堂々と胸を張って罪を被って欲しい。情状酌量もあって然るべきだと思う。
が、後者だとしたら、残念ながら客観的には罪が重いといわざるを得ない。