本日付けダイヤモンド・オンラインでの辻広雅文氏のコラムがたいへん秀逸です。
日航問題処理を「日本経済停滞の解決モデル」にできなかった民主党政権の限界(辻広雅文 プリズム+one 2009年11月25日)
ぜひ全文読んでいただきたい思いですが、特に感銘を受けた部分を、以下引用。
振り返ってみれば、技術革新を大掛かりな経済成長に結びつける物語は、日本のみならず先進諸国それぞれで語られてきた。新しいサムシングを生み出し、多くの投資機会が生まれ、資金が投下され、画期的な製品が誕生し、社会は飛躍的な生産性向上を遂げる――。
だが、この10年、そのサクセスストーリーは実現しなかった。例えば、IT産業は、確かに歴史的な革命を起こし、ある分野の生産性を向上させたとはいえるし、多くの大金持ちを生んだが、経済全体を底上げし、拡大を牽引するまでには至らなかった。それどころか、政府や投資家の過大な期待と熱狂を支えきれず、2001年にITバブルは崩壊した。ニュー・エコノミーはことごとく打ち砕かれた。そうして、結局は、住宅、不動産、一次産品という古めかしい投資対象に、巨額の資金が集中し、バブルが生成され、破裂したのだった。
あまりに陳腐な表現だが、先進諸国の経済は、巨大化かつ成熟したのだ。もはや、新規投資の機会は失われた。伸び代は使い果たされた。市場が有望産業、成長企業を必死で探しても、果たせないでいる。巨額の財政赤字に陥っている現在の日本で、国債発行が順調に消化されているのは、その明白な証左であろう。国債を買うしか、投資先がないのだ。
この現実を無視して、政府に成長戦略を強要すれば、強引な手段で実現しようとするだろう。政治が有望産業、成長企業を、直接的に生み出すことはできないのだから、マクロ経済政策に負荷をかけ、輸出を拡大し、設備投資を増大させる道に再び進み、生産性の低い設備を過剰に積み上げ、その処理に苦しむ――つまり、バブル崩壊という愚を再現することになりかねない。
そうなのだ。
十分に豊かになってしまった先進国の成長力はすでに飽和してしまっている。
米英は、それを金融技術というまやかしの打ち出の小づちで無理矢理打開しようとして結局失敗した。
そして日本は外需以外の成長エンジンを見つけられないままバブル崩壊後の20年を無為に過ごしている。
農業だ環境だ介護だというが、頭打ちになった製造業や土建業の雇用に対する受け皿に成りきれるとは到底思えない。
一方で、経済・社会に軋みが出ると、昔はよかった、もっと助け合っていた、というノスタルジーにすがりつく。
古き良き「三丁目の夕日」「官僚たちの夏」の時代をいくら偲んだところで、明るい未来に確信を持てた高度成長、一億総中流の時代には後戻りすることは不可能。
グローバル化の流れは不可避だし、必要なことは「変わる」ことなのだ。
既得権益にガチガチに固められた非効率で固定的な社会を解体し、低成長でも犠牲者が最少化するフラットな社会に組み替えていくしかない。
社会全体で、そういったコンセンサスができるまで、ずぶずぶと沈んでいくしかないのかもしれない。
改めてそう思いました。