そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

恵まれた環境を「壊す」ということ

2015-01-04 23:20:54 | Diary
9連休という、久々に大型な正月休みもついに終り、明日から出勤。

昨年の元旦に、2014年の個人的テーマとして、「変化を先読みし、楽しみ、チャレンジする」というようなことを書いたが、そういう抽象的な目標を掲げてしまうと達成できたんだからできなかったんだか判然としなくていかんね。
(まあ、判る必要もないといえばないのだが)

しかしまあ、変化だとかチャレンジだとか、贔屓目に見ても実行できなかったな、というのが正直なところ。
家庭も仕事も概ね順調で、2014年は個人的には大過なく過ごした一年だった。

家庭では、コドモたちがさらに成長してだいぶ手がかからなくなる一方、まだかわいさもあり、一番よい時期と言えるのだろう。
これからコドモたちが思春期を迎えて進路の問題が出てきたり、親がますます老いてきたりすると悩み事も多くなってくるんだとは思っているが。

仕事の面でも大きなトラブルもなく順調、周囲の人たちにも引き続き恵まれている。
ただ、順調であるがゆえに、その恵まれた環境に安住してしまっている感はある。

今更ながら自己認識したのだが、自分は周囲の人たちとよい関係を築いて心地よい環境に身を置くのが比較的得意なタイプの人間なのかもしれない。
そろそろ43年になる人生を振り返ってみても、中高の6年間を除けば、殆ど周囲の人間関係でストレスを感じたことがない。
それはたまたま周囲の人に恵まれたという面はあるだろうが、嗅覚が働いて自らそういう環境を無意識に選択する傾向があるのではないかとも思う。
これは良し悪しあって、安らかに日々を過ごせる一方で、その心地よさに安住して抜け出せなくなるというリスクも孕んでいる。
今の状況を維持したいという保守的な感情がどうしても働いて、思い切って現状を断ち切ることができないのだよね。
そんなのは贅沢な悩みだとわかってはいるが、人生折り返しを過ぎようとしている地点にいると、もう一回チャレンジする機会を喪ってしまう恐怖心もあったりする。

「変わる」ために、恵まれた環境を良い意味で「壊す」ということも意識しなければならないな、と思う2015年の年頭である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする