Kindle版にて読了。
文科省の有識者会議で「G型大学」「L型大学」という概念を提唱して物議を醸した冨山氏ですが、そもそも氏のいう「G」と「L」の概念と意義がどんなものであるのかを解説した一冊。
非常にわかりやすいし、個人的には極めて合理的だと感じました。
・日本の経済・産業を捉える際、「景気がよくなると人手が不足し、景気が悪化すると人が余る」という昔ながらの製造業中心の考え方がいまだに「常識」としてまかり通っているが、社会の構造が変わり、これまでの「常識」が通用しなくなっている、というのが基本認識。
・今や日本経済の約7割をサービス業が占めており、その世界では「人類史上初」の少子高齢化起因による人手不足が常態化している。
・そして、サービス産業においては、世界で勝負するようなグローバル企業(「G」の世界)ではなく、各地域の小さなマーケットで勝負するローカル企業(「L」の世界)がほとんどを占める。
・グローバル化が進めば進むほど、GとLの分断は深くなり、両者の直接的な連関性は希薄になる。
・G企業が世界トップレベルの競争力を獲得し「稼ぐ力」を発揮して国際経常収支に貢献してくれることは極めて重要だが、G経済圏がどんなに好調でもそう簡単にL経済圏は潤わなくなっているのが事実。
・就業人口を考えれば、むしろL経済圏が豊かになることの方が国民経済的には重要であり、そのための処方箋はG経済圏の競争力強化に向けた処方箋とは全く異なるので、分けて考える必要がある。
・まず、Gの世界で生き残るのはチャンピオンだけであり、あまねく平均的な農家や中小企業などを保護・救済しようとするのは筋が違う。
・グローバル経済圏で勝負することは 、そういうことなのだと腹をくくるべきであり、必要とされるのは徹底的に競争力を鍛えるためのグローバルスダンダードな環境を用意すること。
・規制緩和も法人税率引き下げも、競争力のある企業を日本に囲い込むことを目的とする文脈の中で捉えられるべきであり、日本企業の競争力強化のための課税負担軽減という理屈で法人税引き下げを主張したりするのはナンセンスである。
・この世界ではもはや国籍は重要ではなく、サッカーで言えば、国別のワールドカップではなく、チャンピオンズリーグの優勝チームを日本のリーグから出そうという発想になる。
・一方、Lの世界のサービス産業は、グローバルな完全競争に晒されておらず、同一地域にいなければ競合関係にならない。
・またローカル経済圏の産業は、医療、介護、保育などの社会福祉サービス、教育、公共交通など 、何らかの公共性のあるサービスであることが多く、政府などがある種の介入をする規制市場 、官製市場にある程度ならざるを得ない。
・そのため、産業としての生産性、特に賃金に大きな影響を与える労働生産性は、規制のデザインや市場のデザインの巧拙に大きく影響を受けてしまう 。
・望ましい規制のあり方として、サービス業の最低賃金を引き上げることや労働監督や安全監督を強化することが考えられる。
・完全競争が働く製造業とは異なり、サービス業で最低賃金を引き上げても基本的に空洞化は起こらず、むしろ最低賃金を引き上げることで、生産性が低い会社は人を雇うことができなくなり市場からの退出を促すことができる。
・また、労働基準や安全基準を守らないブラック企業にはその順守を厳しく求めることで退出を迫るべきである。
・Lの世界に必要な施策は、生産性の低い企業を退出させ、新陳代謝を通じて全体の生産性を向上させることであり、すべての会社を潰さないことを求めるのは間違っている。
・人手不足を解消するために、女性や高齢者の就労率を上げたり、移民を増やしたりする前に、まずは生産性を上げることに取り組むべきである。
アベノミクスによる円安で輸出企業(製造業)の業績が向上していても、あるいは、求人数が改善して飲食業やコンビニなど流通業の現場で時給を上げてもなかなかいくらバイトが集まらないくらい人手不足が深刻化していても、日本経済全体の景況感が好転した感じがどうも広がらないのも、このGとLの峻別理論でよく説明することができるのではないかと思います。
アベノミクスの「三本の矢」のうち第三の矢である成長戦略についても基本的にGの世界を対象にした発想であるがために、世の中の大部分を占めるLの世界に生きる人々にしてみるとどこか的外れのように感じられてしまうのではないかと。
逆に、冨山氏がLの世界への処方箋として上げている、最低賃金の引き上げやブラック企業に厳しい労働・安全基準を課すという施策は、世間一般の感覚にも合っている。
Gの世界とLの世界が分断されているというのも感覚としてよく分かる。
海外のM&Aなど華々しくグローバルに打って出ていく一方で、収益の大半は昔ながらのLの世界での事業で地道に生み出している、という企業も多いのではないか(うちの会社もまさにそんな感じ)。
ということで、冨山氏の主張は非常に合理的で実態に即していると思うのですが、この考え方で各種政策を進める上での一番の障壁は、上述の「分断」を国民感情的に受け容れられるかどうかにかかっていると思う。
氏に言わせればGが偉いとかLが偉いとか上下関係があるわけではない、ということだろうが、「一億総中流」意識に慣れた世間からすると、どうしても「G」は一部のエリートの世界で「L」はその他大勢、といった階級意識を以って受け止められてしまいがち。
「G大学」「L大学」への反発もその意識から来ていると思うし、その障壁を国民感情として乗り越えるためには、実態として誰しもがGにもLにも進むことができる間口の広い社会を設計できるかが大きなポイントになるのだろう。