戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか (PHP新書) | |
池田 信夫 | |
PHP研究所 |
Kindle版にて読了。
池田氏のブログなどではお馴染みの議論が並び、新たな知見はあまり得られない。
それはある程度予想できたのだが、せっかく書籍にまとめられたのだから、もうちょっと体系的に頭に入りやすくなっているかと思っていたが、そうでもなく、相変わらず雑多な感じ。
どう整理するかは読者に委ねられている感じだが、おそらく池田氏の頭の中ではきれいにまとまっているのだろう。
氏は頭がよすぎるんだろうね。
と言いつつも、エピローグに総括的な一節がある。
つまり本質的な問題は、官僚機構の実権が大きく、政治家は彼らの立案した政策に文句をつけるロビイストのような存在になっている行政国家にあるのだ。これは明治時代にプロイセンから輸入した制度で、もう百年以上続いているので、変えることはきわめて困難だ。
明治の日本人は偉かった、ところが昭和の初めに軍部が暴走して破滅への道を歩んだ、その反省から戦後平和主義が長く続いた、ここにきて社会全体が右傾化しきな臭くなってきている…といった一般的に受け容れられているイメージとは異なり、もう100年以上前から一貫して日本社会の病理は本質的に変わっていない、と。
戦後リベラルが影響力を持っていたように思われているのも幻想で、みんなが貧しくて且つ高度経済成長で努力すれば報われる環境であったからこそそれなりの存在意義があっただけの話。
リベラルが劣化したというより、元々大したもんじゃなかった、その化けの皮が剥がれただけ。
まとめるとしたら、そんなところか。
リベラル勢力が世の中からそっぽ向かれている一方で、左翼的な考え方にシンパシーを抱く傾向が強い団塊世代(全共闘世代)が高齢化社会で有権者中の一大勢力となっているが故にポピュリズム政治がその存在を無視できない、というちょっと捩れた状況になっているのは確か。
まあ、あと十年二十年もすれば団塊世代も徐々に人数が減っていって状況も変わっていくとは思うけど。
ただ、リベラルだけが悪いわけじゃなくって、最近の国会議員の程度の低い舌禍なんかを聞くにつけて「保守派」を自認する人々の質にも相当に問題があるのも事実だろう。
リベラル勢力は世の中をよくすることについて殆ど何もできなかったけど、世の中が変な方向に行かないようにするための歯止めとしての価値は一定程度あったのかもしれない。
リベラルが退潮して歯止めがなくなった時にどんなことになってしまうのか、その点はちょっと心配ではある。