「それから」に続いて「門」を読んだ。
「三四郎」と「それから」の関係に比べると、「それから」と「門」の関係は明らかに後者が前者の続編であると理解しやすい。
「それから」の代助が最後にとった行動が、「門」の宗助が抱えている禍根にそのまま重なる。
宗助の年齢設定は明確には表わされてはいなかったように思うが、おそらく30歳代、現在の自分の年齢とそう離れていないように想像される。
宗助の性格はとにかくダルである。無気力で希望も無く、無為に日々を過ごしている。それは彼が固有に抱える人生の禍根に起因するものではあるのだが、この年代の男性一般に当てはまる面もあるように思う。
20代の頃は、自分には無限とは言わないまでも様々な未来の選択肢がいくつも存在しているように思っていた。が、三十路に入り、いろんな意味で「先」が見えてきてしまい、体力も下降気味になり、守るべきものも持つようになると、かつてのように無理に自分自身を引き上げて先に進んでいこうという気力が落ちてくる。自分の「できる範囲」でそこそこの幸せを維持できれば良しとし、チャレンジ精神が減退してくる。
自分自身、最近そういった傾向を否定できなかっただけに、この小説における宗助の姿を客観的に見ながら、我が身の姿を再確認し思うところがあった。
小説の内容については、終盤、宗助が禅門に入る下りがいまいちピンと来なかった。唐突感がある上に、ラストへの意味的繋がりもそれほど無く、やや違和感がある。
が、それ以外はなかなか気に入った。宗助夫婦の暮らす家の造型が侘しくて良い。二人の過去に何があったのか、肝心なところを直截的に書いていないところも良い。ラストも寂寥感が漂っていて良い。
今回いわゆる三部作を通して読んでみた。自分が気に入った順序をつければ「三四郎」>「門」>「それから」ということになるが、100年以上前に書かれた作品であるにもかかわらず三作いずれもそれぞれの年代における自分自身を重ね合わせてみることができた。おそらく男性なら誰もが何らか共感できる部分があるのではないか。漱石の人間観察力と表現力は、今さらながらさすがと言わざるを得ない。
今回三作とも新潮文庫のものを読んだ。いずれも頁数は300頁弱と同程度に揃っていたが「門」だけ活字のフォントサイズが大きかった。分量が少ない分フォントサイズを調整して、頁数を合わせたとしか思えないのだが、三部作で本の厚さも揃っていた方が見栄えが良いとの配慮なんだろうか?