南紀の旅シリーズ、3回目もエルトゥールル号の遭難から始めます。
「船甲羅」
この辺りの岩礁は船甲羅と呼ばれて、昔から航海者にとって海魔として恐れられていた岩礁地帯なのだそうです。
明治23年(1890年)9月16日、トルコ皇帝から明治天皇への親書と勲章を贈呈のため来日したトルコの軍艦エルトゥールル号が、帰路の途中暴風雨のためこの船甲羅で座礁沈没し、特派大使船長ら乗組員587名が遭難する大惨事となりました。
・エルトゥールル号が座礁沈没した船甲羅と呼ばれている岩礁地帯です。
樫野崎灯台下に流れ着いたエルトゥールル号の生存者は十数メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせたと言われており、恐らくこの辺りの断崖を這い上って来たものと思われます。
・樫野崎灯台下の崖です。
「樫野崎灯台」
樫野埼灯台は大島の東端、樫野の断崖に建つ日本最古の石造り灯台で、今も活躍しています。
現在は自動点灯の無人灯台で内部は非公開ですが、ラセン階段を登り、遠くは太地町の梶取崎まで見通せます。
灯台の高さは10.20m、光度53万カンデラ、光達距離18.5海里です。
なお、2002年にな展望台が完成し、素晴らしい眺望を楽しむことができるようになりました。
「トルコ軍艦遭難慰霊碑」
明治23年(1890年)9月16日、トルコ国皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が暴風雨のため、この慰霊碑眼下の海域に臨む船甲羅岩礁で難破し、69名は救助されましたが580余名の乗組員の尊い命が奪われました。
そして引き上げられた遺体はこの丘に埋葬されました。
翌、明治24年に和歌山県知事をはじめ、有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立され併せて追悼祭が行われました。
この碑は、昭和4年の昭和天皇の樫野埼行幸を聞いたトルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領が新たに慰霊碑を建立することを決定、トルコ共和国の資金により昭和12年(1937年)6月3日に完成したものです。
・トルコ軍艦遭難慰霊碑です。
「ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像」
第一次世界大戦後、分割占領された祖国解放に立ちあがったムスタファ・ケマル・アタテュルクは指導者としてこの戦争を勝利に導いたトルコ国民の偉大な英雄です。
ムスタファ・ケマル・アタテュルクは初代大統領として、あらゆる分野で改革を行い、祖国の近代化を成し遂げた建国の父として今なお国民から深い尊敬を受けているそうです。
この騎馬像は日本トルコ友好の礎を築いた軍艦エルトゥールル号の遭難120年に当たる平成22年(2010年)6月3日、更なる両国友好の発展を祈って駐日トルコ共和国大使館、日本財団を始めとする多くの方々に深甚の感謝を捧げるものである。
と記されています。
像の高さは4.2m、台座部分を含めると6mの巨大な像となっています。
・「トルコ軍艦遭難慰霊碑」を建立したトルコ共和国ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領の騎馬像です。