らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

日根神社

2015-10-24 | 地元紹介

JR阪和線の下り線は、熊取駅の次は日根野駅です。
その日根野駅から3㎞ほど東に行くと、全国でも珍しい“枕”の神様が祀られている「日根神社」があります。

「日根神社」
御由緒によると、
日本を平定するため日向国(宮崎県)を出発した神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は筑紫国(福岡県)、安芸国(広島県)、吉備国(岡山県)を経て難波の岬(大阪湾)に着きました。
ここから河内国(大阪府)を通り大和(奈良県)へと入ろうとしましたが、激しい抵抗に遭い、進むことが出来ません。

命は「日の神の子である自分が、太陽に向かって戦ったのが良くなかったのだ。日を背にして戦おう。」と一旦退却し、広野に根城を構え、天照大神(アマテラスオオミカミ)と須佐之男命(スサノオノミコト)を奉って戦勝を祈願しました。
その後、進軍を続けた命は無事に大和を平定し、即位して初代の天皇である神武天皇となりましたが、このとき命が戦勝を祈願した地は『日』の神である天照大神と、『根』(黄泉の国)の神である須佐之男命をお祀りした野原であること、或いは『日の御子が根拠地とした野原』であることから『日根野』と呼ばれ、ここに天照大神と須佐之男命の二柱を『日根大明神』としてお祀りしたのが始まりであると言われています。
後に、命の御両親である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)と玉依毘売命(タマヨリヒメノミコト)をお祀りした社が建てられ、併せて『日根神社』となりました。

・日根神社の参道です。


「枕祭り」
日根神社は延喜式や国内神名帳にも登場する古社です。
日本唯一の、枕と寝床を守護する神が祀られており、安眠や快眠の御利益があるとされています。

枕の由来は、子宝に恵まれない村の若い嫁が、子授けを願って奉納した“枕”を祭りの幟(のぼり)にくくりつけて渡御したのがはじまり、と伝えられています。
この言い伝えにより、日根神社では毎年5月5日に行われる「まくら祭り」で、村人たちが色とりどりの飾り枕を奉納して祈願枕にくくって幟を担ぎ、1日かけて渡御しながら“縁結び”や“厄除け”を祈願します。



「拝殿」
掲示されている案内によれば次のように記されています。
日根神社の創建は明らかではありませんが、元正天皇霊亀2年(716年)に制定された和泉五社のうちに数えられ、また延喜式内社、日根郡十座の内に列しています。
なお、延喜式内社とは、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧です。



「本殿」
現在の本殿は社伝によれば、天正年間兵火に焼失したものを豊臣秀頼が再建したものと言われています。
向拝、縁側周りに修理の部分が認められるが細部の手法はよく桃山時代の特徴を表し、斗栱(ときょう:ますぐみ)など見るべきものがある。
社殿としては比較的大きな部類に属し、堂々として雄大な風格を示している、と説明しています。
明治6年(1873年)には郷社定則により郷社に指定され、大正13年(1924年)には府社に昇格しました。
この本殿は昭和47年(1972年)3月31日に府指定有形文化財(建第20号)に指定されています。