大阪府岬町の多奈川駅をスタートした今回の「歩く会」は、今日ご紹介する和歌山市加太の淡島神社に参拝した後、加太駅まで歩いて全行程を歩き切りました。
参加者17名は脱落することなく、全員無事に加太駅に到着し、電車で和歌山市駅を経由して帰途につきました。
「友が島}
加太海岸の沖合には、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の四つの島があり、これらを総称して友ヶ島と呼んでいます。
この島は、明治時代から第二次世界大戦まで、軍事要塞として使用されていたそうで、現在でも、その歴史を彷彿とさせる砲台跡などがあります。
・左の島が沖ノ島、その沖の島の奥に隠れて神島があり、沖の島の右端に虎島があります。そして右の島は地ノ島でこれら4島を総称して友が島と呼ばれています。
「淡嶋神社」
御由緒によると、
その昔、神功皇后が三韓出兵(新羅、百済、高句麗への出兵)からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。
沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ」とのお告げがあり、その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。その島が友ヶ島です。
島には少彦名命と大己貴命(おおなむちのみこと)が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、経緯を御聞きになり、「島では何かと不自由であろう」と、お社を対岸の加太に移され、社殿をお建てになったのが加太淡嶋神社の起こりとされています。
・淡島神社の鳥居です。
淡島神は住吉神の妃神で、婦人病にかかったため淡島に流され、そこで婦人病を治す誓いを立てたとする伝承から、婦人病を始めとして安産・子授けなど女性のあらゆる下の病を快癒してくれる神社とされています。
かつては祈願のため男根形や自身の髪の毛などが奉納されていたようですが、現在はそれらに代わって自身の履いていた下着(パンツ)を奉納する女性が多いそうです。
境内奧の末社には絵馬などと共に多数の女性用下着が奉納されているそうです。
・本殿です。
雛流しの神事で有名な淡嶋神社の拝殿には所狭ましと人形がぎっしりと並んでいます。
ここは薬の神様とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神とし、婦人病や安産祈願など「女性のための神様」として、昔から信仰を集めています。
・拝殿にはたくさんの人形が奉納されています。
淡島神社は人形供養の神社としても有名で、境内には供養のために納められた、無数の雛人形や市松人形、そしてフランス人形までもが所狭しと並べられ、異様な雰囲気をかもし出しています。
境内地下には無数の霊現象を見せる人形が安置されており、そのため心霊スポットとしてマスコミに取り上げられることがあるそうです。
・本殿の周りにも人形が安置されています。
本殿の周りにはこのようにぎっしりと人形が安置されています。
「針塚」
針供養の神社としても有名で、同神社境内には針塚が建てられており毎年2月ごろに全国から集められた針を供養しています。
近年では縫い物をする機会が少なくなっていることから、供養に奉納される針の数も減っているそうです。