らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

南紀の旅(その4)

2015-10-11 | 旅行

紀伊大島にはトルコ記念館の他にもアメリカに関する記念館もありました。
「日米修好記念館」がそれで、ここには、黒船の浦賀入港より62年も早い寛政3年(1791年)3月に2隻のアメリカ商船が寄港した経緯となる資料が展示されています。

「日米修好記念館」
日米修好の歴史は、現在のところ1853年(嘉永6年)に、アメリカのペリー提督率いる黒船の浦賀入港がその始まりとされていますが、それより遡ること62年前の1791年(寛政3年)3月に2隻のアメリカ商船が日本に寄港し、貿易を申し込んだと云う史実がアメリカの文献により明らかにされました。
この記念館には、その商船の模型や歴史的文献、アメリカから贈られた資料などが展示されています。

アメリカの文献とは、<マサチューセッツ・海事史1783-1860>で、それによると、1791年、ボストンのレイディ・ワシントン号(船長ケンドリック)がニューヨークのグレイス号(船長ダグラス)を伴って、ラッコの毛皮を交易しようと、南日本の港に入港しました。しかし住民は毛皮の使用方法を知らなかったので商売にならなかった。
と記録されているようです。

その後、この日米初の接触の舞台となった南日本の港は、日本の文献などから、和歌山県串本町大島地区であることが確認されています。
この記念館は日米親善の幕開けという事実を永久に後世に残すため、また、日米両国のより大きな友愛と協調を願ってこの地に建設されたそうです。



「タカノス園地(海金剛)」
海金剛は鷹の巣台地の50m眼下に広がる海中に、ピラミッド形や獅子頭のような奇岩が浮かぶ豪快な海岸美です。
海金剛の名称は朝鮮半島の名勝金剛山からその名をとったということです。
この景観はマグマからできた岩が太平洋の荒波によって削られてできたそうです。
岩の割れ目の大きさや傾き方の違いによってピラミッド型のものやドーム型のものなど、様々な形を見ることができます。
この名勝地は昭和58年(1983年)1月、朝日新聞が公募した「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれています。



「風化的岩漿岩」
岩漿岩(がんしょうがん)とは、マグマが冷えて固まった岩です。
柱状の岩から丸い岩まで、割れ目に沿って風化が進んだ岩石の連続的な変化が見られます。



「橋杭岩」
橋杭岩は大島に向かって大小40ほどの岩が約900mにわたってそそり立っている岩群です。
これは地下から上昇したマグマが泥岩層に入り込んで固まった後、柔らかい泥岩層が波に削られてできました。
このさまが橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれ、国の名勝天然記念物に指定されています。
海岸に散在している岩は橋杭岩が壊れたかけらで、橋杭岩から離れたところにある大きな岩は巨大地震による津波で運ばれてきたものと考えられています。

なお、橋杭岩には次のような伝説もあるようです。
弘法大師と天の邪鬼が一晩で大島まで橋を架ける競争をしたものの、負けそうになった天の邪鬼が鶏の鳴き真似をして夜が明けたと思わせたため、弘法大師が橋を完成させることなく杭だけで終わったというものです。