今年は、将棋の話題で盛り上がりましたね。
6月26日には、若干15歳の天才棋士、藤井聡太四段が公式戦29連勝の新記録を樹立した伝説の日となり、12月5日には、羽生善治竜王が渡辺明前竜王との竜王戦七番勝負を制し、前人未踏の「永世七冠」を達成しました。
8つあるタイトルの中、永世称号がない叡王を除く7つのタイトルすべてで「連続5期」「通算7期」などの条件をクリアした大偉業を達成したのです。
正に将棋の神様の誕生でした。
一方で 「将棋界のレジェンド」として知られる現役最年長棋士の加藤一二三(ひふみ)九段(77)が6月20日、「第30期竜王戦」6組の対局で高野智史四段(23)に敗れて、引退しました。
“ひふみん”の愛称で人気があり、最近ではタレント並みにテレビに出演しています。
子供たちの間でも将棋人気が大いに高まっているようです。
この子たちの中から、将来、第二の藤井4段や羽生永世7冠が誕生することを期待したいものです。
さて、将棋は盤上で駒を交互に動かして相手の王将を詰めるゲームですが、このゲームの発祥は、一説にはインドと言われており、日本には奈良時代に遣唐使や入唐僧によって中国から伝わったようです。
その将棋の駒の95%は山形県の天童市で作られていますが、なぜ天童市なのでしょうか?
調べてみると、江戸時代の織田藩が関わっているようです。
山形には群馬から織田藩が転封されてきましたが、その本拠地を天童に定めたのは1800年代半ばです。
生活に困っていた天童の織田藩士を救うため、天童藩主織田信学(のぶみち)の用人吉田大八が、足軽らに手内職として将棋の駒作りを奨励したのに始まります。
当時、織田藩でリーダー的存在だった吉田大八が「将棋は兵法戦術にも通じる」と主張し、米沢から二人の技術者を招き、駒の作り方と将棋のさし方を伝授させたと伝えられています。
それ以降、天童市では将棋駒の製作が庶民の間にも根付いていき、一大産業として発達したということです。
・有名な左駒の置物です。
天童駒は本来、「番太郎駒」に代表される草書体の書き駒でしたが、大正初期、大阪から彫り駒の技法を導入し、今はこれが主流となり、高級駒の生産地としての評価も高まっています。
将棋に使われる木は、柘植や楓などが使われ、中でも国内産の本柘植を使った駒は最上級品だそうです。
また、指し駒だけでなく縁起物の「飾り駒」も有名で、馬の字を逆さまに書いた「左駒」は商売繁盛の守り駒として知られています。
なお、毎年4月、第3土・日の2日間、天童市の舞鶴公園において「人間将棋」が年中行事として行われていますが、これは、天童藩主が人間を将棋の駒に見立てて対局したという故事を、昭和31年(1956年)に再現したものです。