私の故郷、岡山には桃太郎伝説があります。
♪ もも太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたきび団子
ひとつ私にくださいな
桃太郎伝説の鬼退治を歌ったこの童謡はどなたもよくご存知でしょう。
童謡にも歌われている、桃太郎の「きびだんご」は岡山県のお土産の定番となっています。
この「きびだんご」は「吉備団子」と「黍団子」の二つの表記がありますが、どのような違いがあるのでしょうか?
そこで今日は「きび団子」の由来について調べました。
桃太郎と言う歌は、1911年(明治44年)の音楽の教科書「尋常小学唱歌」で初めて掲載されたのですが、この時の表記は「黍団子」でした。
「黍」は五種の穀物(米、麦、粟、豆、黍または稗)の一種で、アワ(粟)よりやや大きめの小さな実をつけるイネ科の植物です。
昔は岡山県ではよく採れる穀物でした。
江戸初期の書物には既に黍を使った団子が登場しており、岡山県の吉備津神社では、「直会(なおらい)」と言う神事後の酒宴で食されたと伝えられています。
当時の黍団子は切り餅のように四角く、あんかけにしたり、汁に入れられたりしていたそうです。
この黍団子を、吉備国の団子、いわゆる「吉備団子」として安政3年(1856年)に売りだしたのが現在も続く廣栄堂の初代・武田浅次郎でした。
黍だけでは味も悪く日持ちもしなかったため改良を重ね、もち米に黍を混ぜて風味を出すと言う、ほぼ現在の形に仕上げたのだそうです。
この浅次郎と言う人物はなかなか商売人だったようで、日清戦争の際、桃太郎の格好をして「日本一の吉備団子」と言うのぼりを立て、駅や港に出向いて兵隊相手に宣伝をしました。
くしくも鬼退治する桃太郎と大国の清国を相手に戦う日本軍のイメージが結びつき、飛ぶように売れたそうです。
現在も岡山の土産としてよく売れている「きびだんご」の表記は、穀物の黍からつくられたので「黍団子」が正式表記であり、「吉備団子」や「きびだんご」は商品名の表記のようです。