らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

崇徳院

2017-12-22 | 趣味

NHKの朝ドラ「わろてんか」を観ていると、時折「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ」という和歌をナレーションの小野文恵アナウンサーが紹介しています。
ドラマでは「崇徳院」という演目の落語のシーンの時に出てくるのですが、実は、この和歌は小倉百人一首第77番に選ばれていて、第75代崇徳天皇が詠まれた歌なのです。

「崇徳天皇」
では、崇徳院とはどのようなお方なのでしょうか?
崇徳院(すとくいん:1119年~1164年)とは、鳥羽天皇の第一皇子で、1123年に5歳で天皇の位を譲り受け、1141年までの18年間、第75代崇徳天皇として在位し、後に近衛天皇に譲位の後、鳥羽上皇の本院に対し新院と呼ばれた方です。
鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立し、保元の乱の争いになりますが、敗れて讃岐(現在の香川県)に流され、45歳で没しました。

・崇徳院が詠まれた小倉百人一首第77番の和歌です。


では、「わろてんか」のシーンに度々出てくる「崇徳院」とはどのようなお話なのでしょうか?
落語の演目『崇徳院』は、小倉百人一首77番の崇徳院の和歌を題材にした、町人の恋模様を描いた滑稽噺です。

       「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」(崇徳院)
       意訳:傾斜のために速くなり、岩に当たって二手に分かれている川の流れが、やがてひとつに合流するように、今別れ別れになっているあなたとも、
           またいつか逢いたいと思っています。
(参考)
『落語「崇徳院」のあらすじ』
商家の若旦那が食欲と体力を失い、重病になった。
医者から「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治るが、放っておくと5日もつかどうか」と言われた店の主人は、出入りの職人・熊五郎を店に呼びつけ、「座敷へ行って、若旦那に『思いごと』を聞き出して来い」と命じました。
若旦那は消え入りそうな声で、熊五郎に以下のような事情を告げたのです。

20日ほど前、若旦那が高津さんへ参詣し、茶店で休んでいると、歳は17~8の、水のたれるような美しい娘が店に入って来たのです。
若旦那は娘に一目ぼれをしてしまいました。
娘は茶店を出るために立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗(ちゃぶくさ)を落とし、気づかず歩き出しました。
それを見た若旦那が急いで拾い、追いかけて届けると、娘は短冊に、「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と、和歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し、去って行きました。
若旦那は、下の句の「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れいたしますが、いずれのちにお目にかかれますように」という意志を読み取ったのです。
しかし、娘がどこの誰なのかわからないので、会うことがかなわずに困っていたのです。

熊五郎はこの事情を、店の主人に報告しました。
主人は「3日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を5軒ゆずり渡し、借金を帳消しにして、それと別に礼金を支払うから」と熊五郎に懇願するのです。

熊五郎は、やみくもに街じゅうを走り回るうちに、はじめの2日間を無駄にしてしまいました。
熊五郎の妻はあきれかえり、「人の多く集まる風呂屋や床屋で「瀬をはやみー」と叫んで反応を見ればいい」と提案し、「娘を探し出せなければ、実家へ帰らせてもらう」と言い放ちます。
熊五郎は街じゅうの床屋に飛び込んでは「瀬をはやみー」と叫びますが、客がひとりもいなかったり、ある客の「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、高津神社にも足しげく通っている」という話を聞くうちに幼い子供であると判明したりするなどして、結局有力な手がかりが得られないまま日暮れを迎えます。

数十軒の床屋をめぐるうち、剃れる髪もひげもなくなった熊五郎は、次に入った床屋の店主に「いっそ植えてほしい」と悲鳴をあげるのです。
そんな中、ひとりの職人風の男が、「急ぎで頼む」と割り込んできました。

男は「出入りしている店の娘が重い恋わずらいになり、今日明日とも知れぬ身だ。お茶の稽古の帰りに神社の茶店へ立ち寄った際、さる若旦那に気を取られて茶帛紗を忘れ、その若旦那に届けてもらったとき、あまりの名残り惜しさに、崇徳院の歌の上の句を書いて手渡して以来、枕が上がらなくなったそうだ。自分は、娘の父親から『店じゅうの者でその若旦那を捜し出してくれ。はじめに見つけた者には大金を与える』と命じられたひとりで、これか遠方・紀州方面へ行くのだ」と店主や常連客たちに語って聞かせるのでした。

これを聞いた熊五郎は男につかみかかり、「やっと見つけた。お前の出入り先の娘に用があるのだ。うちの店へ来い」と叫ぶと、すぐに店へ戻って褒美がもらいたい男は「いや、先にこっちの店へ来い」と言い返し、つかみ合いになります。
はずみで床屋の鏡が床に落ちて割れてしまい、店主が「どうしてくれる」と怒ると、熊五郎は、「割れても末(=月末)に 買わんとぞ思う」
という落ちで落語が終わるのです。