一昨日、現役時代のOBの会である「歴史探訪同好会」のメンバー8名と忘年会を開きました。
場所は岸和田城のすぐ傍にある「五風荘」です。
そこで今日は岸和田城と五風荘をご紹介します。
「岸和田城」
岸和田城の歴史は古く、楠木正成が甥の和田高家に岸和田古城を築かせたのが始まりとされます。
その後、信濃泰義によって現在地に移築されたとしています。
羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、江戸時代には徳川家康の妹の子である岡部宣勝が入城し、岡部氏13代の居城となりました。
有名な「岸和田だんじり祭り」は岡部氏3代・長泰の時代にはじまったといわれています。
内堀石垣の下部には犬走りを見ることができます。
「岸和田城の犬走り」
犬走りはこのように石垣の外側に沿ってつづく細い通路のことを指しますが、城の防衛という観点では城壁に取りつきやすくなるため非常に不利な構造となります。
しかし岸和田城では、石垣に用いられた石の多くが「和泉砂石(いずみさがん)」という強度の弱い石であったため、石垣を補強するために設けられたのではないかと考えられています。
なお、岸和田の地名は、「岸」と呼ばれていた当地に和田氏が城を築いたことによって「岸の和田」と呼ばれ、「岸和田」へ変化したと言われています。
・岸和田城の犬走りです。
「岸城(きしき)神社」
岸城神社は天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命(ほんだわけのみこと)の三柱を御祭神とし、創建年代は不詳ながら往古より かつての和泉国南郡岸和田村のうち現在の宮本町・上町・五軒屋町の産土神として祀られてきました。
桃山時代、豊臣秀吉より岸和田3万石を与えられた小出秀政が、岸和田城内に社殿を築造しました。
江戸時代はじめの元和5年(1619年)に岸和田城主となった松平康重が、 寛永年間(1624年~1643年)に新たな社殿を建立し、春日大明神・愛宕大権現・天満天神の三社を勧請した。
その後、岡部宣勝が6万石で岸和田城主となり、万治4年(1661年)、宣勝は廃壊していた社殿を修復、 彫物などで美しく飾り立てて再建した。
以後、岡部氏代々の崇敬が厚く、氏子も宮座を組み祭祀を務めたそうです。
「五風荘(ごふうそう)」
五風荘は岸和田城の濠端に佇む回遊式日本庭園ですが、元は岸和田城主岡部氏の新御茶屋跡を、明治維新の後、当地の財閥、寺田利吉氏が10年の歳月をかけて邸宅・南木荘としました。
氏の没後、諡(おくりな)である五風院に因み「五風荘」とその名を変えました
2400坪を超す広大な敷地には格調高い主屋を始め、山亭、八窓亭、残月亭の三茶席が設けられており、優美な庭園が見事な景観を映し出しています。
なお、庭園は一般に開放されており自由に散策できます。
五風荘の管理運営は、平成21年(2009年)度から導入された指定管理者制度に基づき、指定管理者に選定された「がんこフードサービス株式会社」が当施設をレストランとして活用しながら管理運営を行っています。
・庭園から眺めた主屋です
茶室「山亭」
山亭は形の美しい自然石を礎石とし、その上に茶室が建てられているそうです。
茶室「残月亭」
池に張られている紐は白鷺から鯉を守るために引かれているものです。
その奥の建物は茶室「残月亭」です。