今日21日は二十四節気の一つ「小満(しょうまん)」です。
「小満」とは、「陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る」の意味で、暦便覧にも「万物盈満(えいまん:物事が十分に満ち足りる)すれば草木枝葉茂る」とあります。
麦畑がでは、秋に植えた麦が緑黄色に色づき始める頃です。
そこで今日は「小満」と「麦」について調べました。
・菜園仲間が貸し農園に植えている小麦です。
「小満」の名称については次のように言われています。
田畑を耕して生活の糧としていた時代には、農作物の収穫の有無は生死にかかわる問題でした。
そのため、麦などに穂がつくと「今のところは順調だ。よかった!」と満足したことから「小満」と言う名前がついたと言われています。
現在、大阪など日本の都市部では、麦畑を見る機会は殆どなく、麦そのものを見たことのない人が多いのではないでしょうか?
そこで、家庭菜園の仲間が趣味で少しだけ植えている小麦の写真をご紹介します。
・色づき始めた麦の穂です。
小麦はパンなどの原料となっており、世界の年間生産量は5億7000万トンと言われています。
主な生産国は中国、インド、ロシア、アメリカで世界の生産量の約半分を占めているそうです。
日本の生産量は年間60万トンで、その内、北海道が35万トンの生産量を占めています。
また、日本の年間輸入量は600万トンで年間消費の9割以上を輸入に頼っているのが現状です。
・「麦の穂」はこのような形をしています。
麦は米、トウモロコシと共に世界三大穀物の一つとされています。
我が国では、縄文時代には既に栽培されていたといわれており、室町時代には、下層の人々の主食だったそうです。
このようなことから「麦飯は貧乏人の食べるもの」というイメージが出来上がったようです。
・色づく前の麦の穂です。鮮やかな緑色をしています。
食糧事情の厳しかった戦後の日本は、麦は米と並んで主食であり、生産量も米100に対して、小麦95、大麦85となっていました。
昭和25年には、後に、総理大臣となる池田勇人大蔵大臣が国会答弁で「貧乏人は麦を食え」と言って物議を醸したことがありました。
現在では、裕福な人達の中には麦ご飯を健康食として見直す人もいるようです。
・趣味で栽培しているこの麦は生け花などに使用するようです。
(参考)
池田大蔵大臣の「貧乏人は麦を食え」の国会答弁は、マスコミの報道だったそうで、実際の答弁は次のようです。
「ご承知の通りに戦争前は、米100に対しまして麦は64%くらいであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85と言うことになっております。
そうして日本の国民全体の、上から下と言っては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやっております。
これは完全な統制であります。
私は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副った方へ持っていきたいというのが、私の念願であり
ます。」 (昭和25年(1950年)12月7日、大蔵大臣 池田勇人の答弁)
初夏の花を求めて、久しぶりに大阪熊取の長池公園を散歩しました。
散歩コース沿いに咲く色取り取りの花たちが美しい姿で歓迎してくれました。
今日はその中から「ジギタリス・プルプレア」の花をご紹介します。
「ジぎタリス・プルプレア」は、ゴマノハグサ科、ジギタリス属の耐寒性多年草です。
原産地はヨーロッパ南西部で、日本への渡来は明治12年頃といわれています。
別名は、「キツネノテブクロ」と言い、花の形を狐の手袋に見立てた英名の「フォックスグローブ」を意訳したものですが、この名前の由来については下記をご参照ください。
・花が美しい「ジギタリス・プルプレア」です。
「ジギタリス」の草丈は1~1.5mになり、5月~7月に花筒の内側に斑紋の入った釣鐘状の花を斜め下向きにたくさんつけます。
花色は紅、紫、ピンク、白、淡黄色などがあり、葉は互生し、下部のものほど長大になります。
「ジギタリス」は、鑑賞用や薬用として栽培されており、乾燥させた葉を強心利尿薬や、うっ血性心不全、それから生じる浮腫(ふしゅ:むくみのこと)や虚血性心疾患、心臓弁膜症などに用いられるようです。
「ジギタリス」はイギリスで民間療法薬として用いられる薬用植物であり、1785年にスコットランドのウィザーリング医師が心筋の機能低下に伴う水腫、浮腫の治療薬として導入に成功したそうです。
しかし、日本では、現在薬用としての栽培はなく、鉢植えや花壇で観賞用として栽培されて切り花などに利用されています。
・美しい花ですが毒性があるので注意しましょう。
(参考)
「フォックスグローブ」の名前の由来
「ジギタリス」は紀元500年頃、古代ローマ時代から、炎症に外用薬として、また、腫瘍に軟膏の形で用いられたと記録にあるそうです。
しかし、その毒性も古くから知られていたようで、死者の魂が宿る草とか、妖精の草、更には、濃い紫色の斑点は妖精が毒のあることを知らせるためにつけたもの等、いろいろなことが信じられていたそうです。
このため、イギリスでは、昔は魔よけの花と云われていたようです。
また、狐の尻尾が魔除けに使われたりすることもあって、妖精や狐と花の形が結びつき、「狐と仲のよかった妖精は、狐が晩のご馳走のために鶏小屋を襲う時、足跡から犯人が分からないようにとこの花の手袋を贈った」と云う伝説から、13世紀のウェールズの薬学の本にこの植物は”fox glove”とあるそうです。
これを直訳したのが「キツネノテブクロ」で、この名前が日本の標準和名となっているようです。
今日は、その美しいアヤメの花が私の畑に咲いているのでご紹介します。
アヤメはアヤメ科アヤメ属の多年草で、畑や山野の草地に生え、特に湿地を好むことはないようです。
葉は直立し、草丈は50~80cm程度になります。5月頃に花径8㎝ほどの紫色の花をつけます。
前面に垂れ下がった花弁(外花被片)には網目模様があるのが特徴で、この花の和名の基になっているようです。
・一日花です。前日咲いた花は翌日には萎れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/34/62d6abf30457285e66ba1f71a51d6be7.jpg)
ところで、この「アヤメ」によく似た花に「カキツバタ(杜若)」と「ハナショウブ(花菖蒲)」がありますが、読者の皆さんはこの3種の区別がつきますか?
各々の特徴を簡単にご紹介します。
「アヤメ」の特徴
・花色は紫色ですが、稀に白色もあるようです。
・花には、網目模様が、外側の花弁に黄色い模様がある。
・葉は長さ30~50cmで、幅は5~10ミリの剣状をしており、中脈は目立たない。
・適地は、山野に生え、水とは関係のない畑や乾いたところにも育ちます。
・花期は5月上旬~中旬
・和名の文目(あやめ)は、外花被の基部に綾になった目があることが名前の由来となっているそうです。
・畑のアヤメです。花弁の網目模様が特徴です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/59/a288230e4a9823ff3b4c14b7f7e7d85d.jpg)
「カキツバタ」の特徴
・花色は紫色、白色、紋などがあるようです。
・花には、網目模様はなく、外花被片に白い斑紋があります。
・適地は、水中や湿ったところに群生します。
・花期は5月中旬~下旬
・名前の由来は、「書き付け花」が転訛したものと言われています。
カキツバタは愛知県の県花となっているようです。
これは、三河国八橋(現在の知立市八橋)が伊勢物語で在原業平(ありわらのなりひら:平安初期の歌人)がカキツバタの歌を歌った場所とされていることに由来しているそうです。
その歌とは、
「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ」 (在原業平)
(訳):唐衣を繰り返し着てよれよれになってしまった「褄(つま):長着の裾の左右両端の部分」、そんな風に長年連れ添って親しく思う「妻」があるので、その衣を
永らく張っては着てまた張っては着るように、はるばる遠くへきてしまったこの旅をしみじみと思うことだ。
・カキツバタです。花弁の中心部にある白い斑紋が特徴です。(写真提供は青木氏HPより)
![photo](https://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/PICTs/kakitubata4.jpeg)
花菖蒲の特徴
・花色は紫色、紅紫、紋などがあるようです。
・花には、網目模様がなく、外花被片に黄色い斑紋があります。また、花は大きいものでは直径20cmくらいのものもあるようです。
・適地は、水辺など湿ったところに群生します。
・花期は6月上旬~中旬
・花菖蒲です。花弁の中心部の黄色い斑紋が特徴です。(写真提供は青木氏HPより)
(参考)
なお、「いずれアヤメかカキツバタ」の慣用句は、一般的にどれも素晴らしく優劣がつけ難いという意味で使われますが、見分けがつきがたいと言う意味にも用いられるようです。
今日は畑に植えている「カスミソウ(霞草)」をご紹介します。
カスミソウはナデシコ科ジプソフィラ(Gypsophila)属の一年草または多年草です。
名前の由来は、紅・白などの小花の咲く様が霞がかったように見えるところからついたようです。
まら、属名のジプソフィラ(Gypsophila)は、ギリシャ語のgypsos(石灰)+philein(好む)が語源といわれ、石灰質の土地によく生える性質からつけられたそうです。
・遠くから見ると白く霞んでいるように見える霞草です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/ca/69f846b67b3685fa35093dc370f6a2bc.jpg)
原産地は中央アジア、ヨーロッパで、大きく分けて次の3種類があります。
・カスミソウ(ジプソフィラ・エレガンス)
コーカサス地方が原産地で、日本には大正時代初期(1915年)に渡来しました。
この品種は1年草です。花の色は白、紅色、ピンクで、一重咲きや半八重、八重咲きなどがあり、花が終わるとその後は枯れてしまいます。
草丈は50~80㎝くらいの中型種です。
・宿根カスミソウ(ジプソフィラ・バニクラタ)
地中海沿岸が原産地で、日本には明治12年(1879年)頃に渡来したようです。
この宿根カスミソウは多年草で、毎年、株いっぱいに小さな花をちりばめたように咲かせます。
草丈は1m以上になり、実用種は白花の八重咲きで、切り花として広く普及しています。
・ムラリス種(ジプソフィラ・ムラリス)
この品種は小型種で、草丈は15~30㎝と大きくならずにこんもりと茂るので鉢植えや寄せ植えなどに最適です。
最近のガーデニングブームから人気が出てきたようです。
・五弁一重咲きの宿根カスミソウです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/3f/b62eacf753f892a2d89028671ed7e6f3.jpg)
カスミソウの花は小さく、繊細な小枝に無数の小花をつけることから群集すると見応えがあります。
カスミソウといえば切り花で花束やフラワーアレンジメントなどの脇役として利用されるイメージがありますが、最近では花壇や鉢植えでもよく見かけるようになりました。
・小さな花ですが群れて咲いた眺めは見応えがあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c2/53feded117459d39587d6bd623ddd8a2.jpg)
・「花言葉」 「切なる願い」、「清い心」、「親切(ピンク)」
大阪府消費生活センターから関西消費者協会を通じて「点検商法のトラブルについて注意喚起」のメルマガが届きました。
そこで今日はこのトラブルについてそのままご紹介します。
メルマガのタイトルは、”点検商法にご注意ください!”です。
その相談は、
・「自宅の給湯器を点検に来た業者から水道のさび取り装置を勧められた」
・「『オール電化工事で取り付けた機械はさびが出る』と除去装置を進められ訪問販売の事業者と契約したが、設置メーカーに問い合わせたところ、必要ないことがわかった。どうすればよいか。」
といった相談が寄せられているそうです。
無料点検を装って訪問し、いろいろ口述をつけて不安をあおり、商品やサービスを契約させる商法を「点検商法」と言います。
消費者の不安をあおって契約を急がせる事業者には注意が必要です。
本当に必要な商品やサービス(工事)なのか、価格は妥当なものなのか、他の事業者からの見積もりを取るなどして、慎重に検討しましょう。
訪問販売で契約した場合、工事が終了していても契約書面を受け取ってから8日間はクーリング・オフ(無条件解除)ができます。
また、クーリング・オフ期間が過ぎていても販売方法に問題がある場合等は契約の取り消しができることがありますので、早めにお住まいの消費生活センターに相談しましょう。
3月の相談件数(60歳以上 上位5位)
・工事・建築 14件
・食料品(健康食品以外) 10件
・デジタルコンテンツ 8件
・株(うち未公開株) 7(7)件
・生命保険 6件
・医療サービス 6件
メルマガの内容は以上ですが、点検商法の注意点を書いて置きます。
点検商法とは、点検するといって家に上がりこみ、「布団にダニがいる」、「シロアリの被害がある」などと不安をあおって商品やサービスを契約させるものです。
メルマガのような事例や「床下を無料点検する」と業者が来訪したので見てもらったところ「基礎にひびが入っている」「このままにしていると地震で家が倒れる」などと不安をあおられたので、必要のない高額な工事を契約してしまった。
のような事例があります。
「消費者へのアドバイス」
・ドアを開ける前に訪問目的を確認し、必要なければキッパリと断ってください。
・販売者の名前や連絡先は不明なことが殆どなので、訪問販売ではできるだけ契約をしないことです。
・本当に必要な商品やサービス(工事)なのか、価格は妥当なものなのか、他の事業者からの見積もりを取るなどし、手間と時間をかけて十分検討しましょう。
・高齢者で判断ができない人は、家族や身近にいる人たちに相談してください。
・不安を感じた時は契約前でも消費生活センターに相談しましょう。
クーリング・オフ(無条件解除)
・訪問販売で契約した場合、工事が終了していても契約書面を受け取った日から8日間はクーリング・オフ(無条件解除)ができます。
・また、クーリング・オフ期間が過ぎていても販売方法に問題がある場合等は契約の取り消しができることがあります。
トラブルに遭ったら、すぐに消費生活センターに相談してください。
また、お金を騙し取られたような場合はすぐに警察に届けてください。
点検商法は、消費者の不安をあおる結果を伝えて、高額な工事や商品などを勧める悪質な訪問販売の手口です。
特に60歳以上の高齢者や一人暮らしの人たちが狙われるケースが目立ちますのでご注意ください。
昨日は京都の「葵祭」がありました。そこで今日は「葵祭」について調べました。
「葵祭」は、正式には「賀茂祭」と言い、京都市の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ:上賀茂神社)で、5月15日に行われる例祭で、石清水八幡宮の南祭に対し北祭とも言われています。
「名前の由来」
「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭りが再興されて後、当日の内裏宸殿の御簾(みす)をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、全て葵の葉で飾るようになったことからといわれています。
この「葵祭」は平安後期の装束での行列が有名であり、、7月に八坂神社で行われる「祇園祭」、10月に平安神宮で行われる「時代祭」と並んで京都三大祭の一つと言われています。
「祭りの起源と沿革」
今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨が激しく、五穀が実らず、凶作と疫病に見舞われました。
当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の天若日子神(あめのわかにこのかみ)に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるということで、若日子は勅命を仰せつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人には猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったと伝えられています。
この祭りは、819年(弘仁10年)には国家的行事になったそうです。
・路頭の儀。腰輿(およよ)に乗る斎王代(ウィキペディアより)
「路頭の儀(ろとうのぎ)」
葵祭はかつては「勅祭」と呼ばれ、勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的の祭りで、天皇が京都にいたときは、行列の飾り馬と出立ちの舞を見学したりしていたそうで、この行列を「路頭の儀(ろとうのぎ)」といいます。
路頭の儀(ろとうのぎ)では、平安時代の衣装を身にまとった人々が牛車と共に京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社まで約8㎞の道のりを行列し、行列が上賀茂神社、下鴨神社に到着すると、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納などの社頭の儀が神前で行われます。
葵祭では斎王代が主役と思われがちですが、祭りの主役は勅使代だそうです。
斎王代とは、賀茂神社に巫女として仕えるために皇室から差し出された内親王または女王のことです。
今日5月15日は沖縄がアメリカから返還されてから38年となる「沖縄本土復帰記念日」です。
そこで、今日は沖縄の本土復帰と基地化の経緯について調べました。
沖縄本土復帰とは、1972年(昭和47年)5月15日に沖縄の施政権がアメリカから日本に返還されたことを言いますが、沖縄が返還された後も2005年現在、在日米軍基地面積の23.4%が沖縄に集中し、沖縄本島の19.3%が基地に占められているそうです。
今年は政権が代わって初めての沖縄返還記念日となりますが、鳩山総理が昨年の総選挙の前から一貫して普天間基地を県外に移転することを選挙公約としたことで沖縄県民の方々の期待を大いに煽りました。
しかし、政権発足後は内閣の方針が定まらないことから、その方向性も示されず、加えて、総理の言動が毎日変わることから、アメリカからは信頼をなくし、沖縄県知事とは先月までは全く話し合いもせず、更には、腹案と言われている鹿児島県徳之島への移転も島民の皆さんに反対運動をおこされて交渉の進展は一向にみられません。
沖縄県民にとっては非常に腹立たしい「本土復帰記念日」となるのではないでしょうか?
「アメリカ軍基地化の経緯」
第2次世界大戦終結後アメリカが沖縄を統治した経緯は、アメリカ政府が「沖縄は独自の国で、日本に同化された異民族」としてアメリカの軍政下に置いたようです。
その後、1950年(昭和25年)、朝鮮戦争の勃発でアメリカ政府の沖縄への見方は「東アジアの要石」へと次第に変化し、最前線の基地となっていきました。
それに伴って駐留アメリカ軍が飛躍的に増加し、軍事力にものを言わせて住民の土地を強制的に接収する「銃剣とブルドーザーによる土地接収」を行いました。
1952年(昭和27年)4月28日に発効した日本との平和条約(サンフランシスコ平和条約)で、沖縄に対する潜在的な主権は日本にあると認めながらも、正式にアメリカ軍の管理下におかれました。
アメリカ政府は「琉球政府」を創設して軍政下におき、各地に米軍基地・施設を建設したようです。
その後、アメリカ兵による事件や事故が頻発し、住民の死亡者も相次いだ事から、県民による「島ぐるみ闘争が」起こりました。そして、この頃から日本復帰を目指して活発な「祖国復帰運動」が始まったようです。
しかし、当時のアイゼンハワー大統領は沖縄を返還する気は全くなかったそうです。
「祖国復帰」
1960年(昭和35年)には、ベトナム戦争によって基地としての沖縄の重要性が益々高まり、更に駐留米軍が増加しました。
それに伴って、アメリカ兵による事件や事故が相次いだ事から暴動が起こり、市民・県民の怒りが表面化し、これ以上アメリカ軍政下におくことは適当ではないことを知らしめました。
そして、1969年(昭和44年)の日米首脳会談でニクソン大統領が日米安全保障条約の延長と引き換えに沖縄返還を約束しました。
沖縄県民らは、日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望みましたが、アメリカ軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還とされ、アメリカの利益を最大限に尊重したものとなりました。
そして1972年(昭和47年)の5月15日に琉球政府は沖縄県となり、日本への復帰を果たしました。
今年は復帰から38年経ちますが、今も沖縄には在日米軍基地が多くあり、日本にある在日米軍基地の75%が集中しているそうです。
冒頭にも書きましたが、2006年(平成18年)に普天間飛行場や那覇港湾施設の返還を含めた米軍再編が決定されていましたが、鳩山総理によって白紙に戻され、5月末日までに普天間基地の移設先を決定すると言いながら、予定地の反対運動にさらされて八方塞となっています。
こうした中、最近、中国海軍による横暴が目に余ってきました。
米軍基地の縮小は日本の危機に直結します。
沖縄県民の負担の軽減も検討しなけらばなりませんが、日本の安全保障の面から米軍基地の必要性も真剣に考えなければなりません。
論語に『民(たみ)信(しん)無(な)くば立たず』があります。
社会は政治への信頼なくしては成り立たない。
孔子が政治を行う上で大切なものとして軍備・食生活・民衆の信頼の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いたものです。
国民の信頼を失った宇宙人の鳩山さんではこの問題は解決できません。即刻、総理を辞していただき、地球人で現実の分かる人に総理大臣をお願いしたいと私は思いますが、皆さんはどのように思われますか?
ナシはお馴染みの果物ですが、ナシの花をご覧になった方は少ないのではないでしょうか?
そこで、今日は我が家の「梨の栽培」とナシについてご紹介します。
ナシはバラ科ナシ属に分類される落葉高木で、主なものとしては、和ナシ(日本ナシ)、中国ナシ、洋ナシの3つがあり、世界中で食用として栽培されています。
日本では、ナシと言えば和ナシを指しますが、この和ナシは中国が原産で、中国、朝鮮半島、日本の中部地方以南に自生する野生種ヤマナシ(ニホンヤマナシ)を基本種としているそうです。
「ナシの歴史」
日本でナシが食べられ始めたのは弥生時代の頃とされており、登呂遺跡などから食用にされたとされる根拠の種子が多数見つかっているそうです。
693年には、持統天皇の詔において五穀と共にナシの栽培が奨励されたことが日本書紀に載っているそうです。
江戸時代には、ナシの栽培技術が発達し、現在の千葉県の市川から船橋にかけて100種類以上のナシが栽培されていたようです。
明治時代には、千葉県松戸市で「二十世紀」の品種が、川崎市では「長十郎」が発見され、ナシの代表格として一時期は栽培面積の8割を占めていたそうです。
戦後になると、1959年(昭和34年)に「幸水」が、1965年(昭和40年)「新水」が、そして1972年(昭和47年)「豊水」がそれぞれ登場し、この3品種は「三水」と呼ばれて普及しています。
「我が家のナシ栽培」
我が家では「二十世紀」と「豊水」の2品種を栽培していますが、植え付けから3年になる今年は共にたくさんの花を咲かせました。
・私が栽培している「二十世紀」の木と花です。
ナシは異品種の花粉を人工授粉しないと着果しません。このため「二十世紀」と「豊水」の花が咲いている間、互いの花粉を筆を用いて受粉しました。
・これが「二十世紀」の花です。
受粉が成功し、たくさんの幼果が着果しました。その幼果は現在直径1cmくらいになっています。
・受粉が成功し、鈴なりに生っている幼果です。
摘果の時期は5月下旬で、ビー玉くらいの大きさになった頃に行いますので、1~2週間後になる予定です。
形の良いものを残し、その後袋掛けを行います。
・直径1cmくらいの「二十世紀」の幼果です。8月下旬から9月上旬には直径10~18cmくらいの果実が生るものと期待しています。
・これは「豊水」の木と花です。低く育てるために周りに竹の枠を作り、枝を誘引しています
花期は4月で葉の展開と共に5枚の白い花弁から生る花をつけます。
・これは「豊水」の花です。二十世紀の花と殆ど変わらず、共に純白できれいな花です。
葉は長さ12cmほどの卵形で、縁に芒状(のぎじょう)の鋸歯があります。
・豊水も受粉がうまくいき、たくさんの幼果が残っています。
・豊水の幼果です。小さいですが果皮は既に梨特有の表面を見せています。
ナシの語源には諸説あるようです。
一つには、江戸時代の学者新井白石が中心部ほど酸味が強いことから「中酸(なす)」が転じたものと述べているようであり、他にも、果肉が白いことから「中白(なかしろ)」或いは「色ナシ」、風があると実らないことから「風ナシ」、「甘し(あまし)」、「性白実(ねしろみ)」などの説があるそうです
梨の栽培方法
1、土作り
植え付けの半月ほど前に、植え付け場所に穴を掘って元肥を施し、土と肥料をよくなじませておきます。
更に、晩秋から冬にかけて、木の周りに穴を掘り、腐葉土や寒肥を施して土を柔らかくします。このときに石灰を混ぜて酸性土壌を中和します。
2、植え付け
「1」でなじませた土に、11月から3月頃に植えつけます。3~4年目以降はこの時期に剪定作業を行います。
3、受粉
品種の違う花粉を筆を使って人工授粉します。
4、摘果
5月中旬、幼果がビー玉くらいになった頃に形の良い幼果を1つ残し、他は摘果します。
5、病害虫予防
3月~10月にかけて黒斑病などの病気予防と害虫駆除の薬剤散布を行います。
6、袋掛け
病害虫や野鳥などからの被害を防止するために袋掛けを行います。
7、収穫
8月から9月頃が収穫時期です。
薄紫色の五裂した花弁がとても爽やかで美しい花です。
今日は、私の畑に植えてあるこの「チョウジソウ(丁字草)」をご紹介します。
「チョウジソウ(丁字草)」は、夾竹桃(きょうちくとう)科、チョウジソウ属に分類される多年性植物で、原産地は日本、朝鮮半島、中国といわれています。
日本では、北海道から九州までの川岸や原野のやや湿った草地に生えているそうです。
しかし、その個性的な美しさのため、無計画に採取されたり、育成地の開発や土木工事などによってその数を減らし、最近では野生の状態で見ることは少なくなったそうです。
2007年8月の環境省のレッドデーターブックでは、100年後の絶滅確立が97%と推計されており、準絶滅危惧種に指定されているようです。
・これが「チョウジソウ(丁字草)」の花です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/2f/80cf238a478e3e08e159181ab0336a08.jpg)
チョウジソウ(丁字草)は、草丈が40~80cmになり、葉の長さは6~10㎝、幅は1~2cmの細長い披針形で互生します。
花期は5月~6月で、茎頂に青紫色の小花を多数咲かせます。
・薄紫色が爽やかで美しい「チョウジソウ(丁字草)」の花です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/2e/ce4109b2febb57fc66e1dfbf7e0f0856.jpg)
名前の由来は、花を横から見た形が漢字の「丁」の字に似ている事からといわれていますが、他にも、江戸時代にオランダから輸入していた香辛料になる蒲桃(フトモモ)科フトモモ属の乾燥チョウジ(丁子)を横から見た形が「丁」の字に似ている事からと言う説もあるようです。
なお、「チョウジ(丁子)」はインドネシアのモルッカ諸島が原産地の常緑高木樹で、古来より、蕾を乾燥したものが香辛料や生薬として用いられているようです。
沈丁花(ジンチョウゲ)の「丁」は、この「チョウジ(丁子)」の名前からとったそうです。
・真上から見た「チョウジソウ(丁字草)」の花です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/57/b896def8910516ad8987708fcfbdecf0.jpg)
「チョウジソウ(丁字草)」は、清楚で美しい姿とは裏腹に、かなり強い毒性を持った有毒植物だそうです。
根から種子に至るまでほぼ全草に有毒成分が含まれており、特に、葉、茎、根に含まれるβヨヒンビンが代表的な毒成分だそうです。
しかし、安心してください。 触ったくらいでは特に危険はないそうです。
誤食すると瞳孔が開き、血圧の低下や麻痺などを起こすそうなので絶対に食べないようにしてください。
・横から見たときに「丁」の字に見えるでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/99/bd95ce7550198394c9730d4d2daa2096.jpg)
今日は、「イチゴ栽培(その3)」として今年の栽培方法と収穫をご紹介します。
我が家のイチゴの収穫は大型連休中の5月2日頃から始まりました。昨年と比べて4~5日早いように思います。
私の今年のイチゴ栽培は、昨年の失敗を反省し、新たな栽培方法を試みているところです。
昨年の失敗とは、
1.アライグマによる被害
2.病害虫によるイチゴの腐敗
3.遅霜による花枯れと降雨対策の3つです。
新たな栽培方法とは、これらの対策を講じて収量の増加を図ろうとするものです。
・アライグマ対策としてイチゴの畝全体を防獣網で囲い、更に、降雨対策として雨の前日にはビニールシートでトンネルをしました。
前述したように、昨年のイチゴ栽培では次のような課題が残りました。
昨年の被害と今年の対策
1.アライグマの被害
イチゴの畝の四方に防獣網を張り、上部には防鳥網を張りましたが、防鳥網が破られて中に入られて被害に遭いました。
(対策)
・イチゴの畝全体を防獣網で覆いました。この網は建築用の防護網であるため糸が太く、アライグマが網を上っても破れない強度があります。
2.疫病被害
「灰色カビ病」にかかり、収量が大幅に減少しました。
(対策)
・2月下旬、畝にマルチをする前に、畝全体に殺虫殺菌剤を散布しました。
・更に、開花直後にもう一度散布しました。
3.遅霜被害と降雨対策
遅霜に見舞われて花が黒く枯れました。
(対策)
・TVの天気予報をよく見て、気温が下がる前日には寒さ対策として、畝に防虫網やシートを張り、霜除けとしました。
また、花後の降雨対策として、畝に透明のビニルシートでトンネルをしてイチゴが雨に濡れないようにしました。
・今年は畝にイチゴの株を一筋に植えました。
上記の対策に加えて、今年は風通しをよくするため一筋植えの畝にしています。
更に、イチゴに太陽がよく当たるように茂った葉はこまめに摘み取りました。
・下葉や倒れた葉を摘み取り、太陽がよく当たって真っ赤に熟れたのイチゴ(とよのか)です。
加えて、新しい試みとして週に2~3回液肥を施しています。
その方法は、株と株との中間に竹筒を挿しこみ、竹筒にじょうごを当てて、ジョウロに溶いた液肥を注入するものです。
これにより糖度が多少でも上がればと願い、実験しているところです。
・これは「あき姫」の品種です。「とよのか」より細長く、糖度が高いように思います。
これらの対策により、現時点では、昨年のような被害は発生しておらず、新たな試みは成功しており、自己満足しているところです。
・これは「あき姫の」蕾です。
・こちらは「とよのか」の蕾です。
今年は「あき姫」と「とよのか」を各々55~56株ずつ植えました。
この2品種の収穫時期は、「とよのか」が5月初旬から、「あき姫」は少し遅れて5月中旬以降であり、昨年より長期間にわたって収穫が楽しめる予定です。
現在収穫しているのはその殆どが「とよのか」で、「あき姫」少しずつ熟れはじめたところです。
・右側の赤い色の濃い細長いイチゴが「あき姫」で、それ以外は「とよのか」です。