赤松小三郎はとくに薩摩藩のみに英国式兵制を伝授したわけではなかった。薩摩塾とは別に、私塾の「宇宙堂」を開いており、そちらには越前、肥後、会津、鳥取などの諸藩から、何と新選組の隊士まで聴講に来ていたという。まさに赤松塾は「呉越同舟」状態だった。塾の名前の「宇宙堂」は、大宇宙の中のチッポケな惑星の中で諸国が対立し、さらに狭い国の中で幕府だ朝廷だなどと争っているのはじつに不毛なんですよという、赤松のメッセージが強く込められている。「宇宙」の中ではみな平等。だから宇宙堂では、薩摩も肥前も会津も新選組も分け隔てなく教える。 . . . 本文を読む
赤松小三郎は、幕府と朝廷と諸藩の対立を、「民主的議会制度」という高次の政治システムの導入によって解消し、不毛な内戦の悲劇を避けようとした。そのため、暗殺という手段により、その思想の抹殺が図られた。赤松の構想を引き継いで、その実現を目指したのが坂本龍馬であった。赤松の思想が邪魔で抹殺しようとした人々にとっては、龍馬の思想も同様に邪魔であり抹殺されねばならないことになる。
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