情報が非公開だと「どうせごまかしてもバレないだろう」という甘えが発生する。国交省が「22000先にありき」で、その数値を維持するため、飽和雨量の値をごまかしてきたのは、情報を隠すことに慣れっこになって甘えが生じていた結果であろう。
今回の「基本高水事件」を契機に、多くの人々が再認識したことは、「情報公開がいかに大事か」ということであった。実際、飽和雨量のパラメータ問題が浮上したのは、八ツ場ダム住民訴訟の原告側が粘り強く情報公開を求めてきた結果であり、それがなければ飽和雨量が48mmで過少であることも誰も知らなかった。さらに、その飽和雨量の値が過少と報道したのは東京新聞であったが、東京新聞が報道しなければ、裁判に関係のない一般の人々は、そうした事実関係がある事も知る由もなかったのだ。
今回の事件は図らずも、情報公開法を改正の動きに弾みをつける結果になったといえる。行政は、国民の税金を使わせていただく以上、その財政支出の根拠になったすべての情報を公開せねばならない。市民の検証にさらすことをおろそかにすれば、いかなる財政支出も納税者の同意を得ることは、今後ますます難しいであろうことを認識せねばならない。
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