あまりこのブログの趣旨と関係ないが、真田信繁と真田幸村という二つの名前について一言のべたい。信繁は、大坂の陣以降は幸村と改名したのだ。何としても実家に迷惑がかかることがないことを第一に願っている繊細な幸村の性格を考えれば、実家に多大な迷惑が及ぶ「信繁」という名を使い続けるわけがないのは明らかであろう。幸村は、上田の親族に送った手紙でこそ、さすがに信繁と表記していたが、配流中にお世話になった高野山の蓮華定院に大坂城から送った手紙にははっきりと「幸村」と表記されていたというのである。江戸時代に松代藩士の柘植宗辰がこの文書を転写しているのだが、残念ながらその後手紙は失われてしまって、原文が残っていない。 . . . 本文を読む