外交の格言として「戦場で失ったものを外交交渉のテーブルで取り返すことはできない」というものがある。これは現代のみならず、日本の戦国時代にだって同様に通用する。
★歴史学者の解釈(単に仮説にすぎないが定説のようになっている):
天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いでは、家康は秀吉に痛打を与え、軍事的なアドバンテージを得た。であるにも関わらず、家康が秀吉に臣従せざるを得なくなった。これは秀吉の外交手腕の勝利である。
★非専門家の解釈(仮説):
小牧・長久手で勝利した家康が秀吉の軍門に降ったのは、天正13(1585)年8月に徳川軍が上田合戦で真田昌幸に惨敗し、秀吉に対する軍事的アドバンテージを失ってしまったからである。 . . . 本文を読む
薩長公英陰謀論者さんから、歴史に関する仮説の問題、また歴史認識に関する非専門家の役割について、長大な論文をいただきました。コメント欄にとどめておくのはもったいないので、そのまま新記事として転載させていただきます。比叡山焼き討ち事件を例にとって、この問題を掘り下げて下さっています。
*****以下、薩長公英陰謀論者さんのコメントの枢要部分を転載*******
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