代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

宇沢先生の業績は初期から晩年まで一貫している

2014年10月04日 | 新古典派経済学批判
60年代の宇沢先生が、ソローの新古典派成長モデルを発展させて、より現実的に、財を資本財と消費財の二部門に分けたモデルを構築したところ、成長経路の不安定性が示された。このときから、宇沢先生の社会的共通資本の理論への模索は始まっていたのである。宇沢先生は、均衡を信じていたし、現実の経済を均衡させたかった。その意味では宇沢先生はまぎれもない新古典派の経済学者である。しかし、すべての財の私的所有と市場機構を通じた配分、つまり万物に私的所有権を付与して、万物を商品化していくということを前提とする市場原理主義の経済システムは本来的に不安定であり、それを推し進めると市場不均衡(需給ギャップの拡大)と社会的不安定性(貧富の格差の拡大)がとめどなく進んでいく。では、現実の市場経済を均衡させるにはどうすればよいか。「万物の私有化・商品化」という市場原理主義から決別するしかない。 . . . 本文を読む

宇沢先生は「反経済学」ではなく「反市場原理主義」なのである

2014年10月04日 | 新古典派経済学批判
どうしても気になるのは田中秀臣氏による、「反経済学」というレッテル貼りである。宇沢先生は、「反自由放任主義」「反市場原理主義」ではあったが、もちろん「反経済学」ではない。経済学を愛するがゆえに、フリードマンの自由放任主義やルーカスの合理的期待形成仮説や、ラッファーのサプライサイド経済学などの誤った理論が許せなかっただけである。経済学を正常な姿に戻したかっただけである。 . . . 本文を読む