代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

堤防強化を怠ってきたのは民主党ではなく河川官僚

2015年09月13日 | 治水と緑のダム
 鬼怒川水害の際、テレビに連続出演して、頼りないコメントをしていらっしゃった布村明彦氏(日本災害情報学会会長)。彼はかって国交省河川局の河川計画課長でした。国交省を退職されてからも天下りと渡りを繰り返し、現在は学会の会長に天下っておられるようです。この方の名前は河川史に刻まれるべきだと思います。

 ジャーナリストのまさのあつこさんはツイッターで、その布村氏を以下のように紹介していました。

みなさんお気づきかどうか、最近、官僚は、学会に天下るんですよ。この元国民交通省河川計画課長は「日本災害情報学会」会長に。堤防決壊による被害を防げなかった人です。

布村明彦、国土交通省元河川計画課長で近畿地方整備局長に。ダムありき治水からの卒業を提言した淀川水系流域委員会を潰す策を弄した人物だ。天下ってなお河川ムラにお住まいか。





 かつて国交省の改革派官僚たちが、「淀川水系流域委員会」を立ち上げました。この委員会は、住民も委員に加え、徹底した住民参加によって治水計画を立案し、できるだけダムに頼らず、越流しても破堤しない堤防の整備を最優先に掲げていました。
 その淀川水系流域委員会を「成敗してやる」と本省から送り込まれ、潰してしまったのがこの布村明彦さんです。ダムにばかり頼る治水政策を推し進め、予算をそこに集中し、本来やるべき堤防の強化をおろそかにして、脆弱な堤防が連続する現在の河川をつくってきた側の方だといえるでしょう。

 まさのさん、梶原さんと私の共著である『社会的共通資本としての水』(花伝社、2015年)の座談会において、「N氏」として紹介されていたのが、この布村氏です。以下、本の座談会の一節を一部紹介させていただきます。

****『社会的共通資本としての水』より引用(211-212頁)****

まさの: その後宮本さん(注:淀川水系流域委員会を立ち上げた改革派河川官僚)がどうなったかという話ですが、彼は近畿地方整備局から本省に戻されて、防災課長にされてしまいます。役人としては栄転なんですが、河川にはタッチできないように干されてしまったわけです。入れ替わりに河川課長をやっていたN氏が「成敗してやる」と近畿地方整備局に乗り込んで、流域委員会を休止すると発表したのです。

佐々木: 人事権を行使して、宮本さんとまったく正反対の考えをもつ官僚に入れ替えたわけですね。住民たちにとっての成功事例が官僚の「成敗」の対象になるというのは、なんとも象徴的ですね。

関: そのN氏は2005年の河川整備基本方針の審議会で「森林が回復しても洪水流量は減らない」と虚偽資料を出して堂々と嘘を述べたので(第5章参照)、虚偽公文書作成および行使の罪で告発しようと思ったんですよ。、河野太郎さんの国会質問で虚偽が発覚したのですが、その時点で既に時効でできませんでしたが。

梶原 淀川流域委員会は宮本さんの時代、一次、二次と行われ、その間308回も委員会が開かれたのですが、二次の途中でN氏が来たことでぴたっと止まります(2006年10月)

******引用終わり******************

 まさのあつこさんがツイッターで布村氏を紹介した後、別の方が布村氏によって潰されてしまったされた淀川流域委員会を立ち上げた宮本博司さんが山形県の最上小国川で行った講演動画を紹介されていました。以下の動画です。

 改革派河川官僚だった宮本さんはこの動画の中で以下の点を強調されています。

「堤防の決壊対策は、住民の命を守るために最優先であるべきなのに、実施しない。なぜか…ダム建設の理由がなくなるから」。

お分かりでしょう。ダムに執着し、本来やるべき堤防の決壊対策を怠ってきたのは、宮本さんを干して辞職に追い込んだ布村氏ら保守派河川官僚たちです。蓮舫議員ではありません。

宮本博司氏「ダムと治水」講演会 at 最上小国川。2012.7.14




 




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2 コメント

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日本国は近代国家? (renqing)
2015-09-14 02:12:36
ブログ主 様

 まったく忌々しい話です。
 同じことは、当然、他の官庁でもあります。C型肝炎ウイルス汚染血液製剤問題です。下記、弊ブログ記事参照を願います。
死んでも直らない病→「厚生労働省」 解体すべきなのは社保庁より、その本丸
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2007/10/post_34d8.html
 文科省の「スーパーなんちゃら」おバカ計画や、財務省のバブル発生責任と破綻銀行救済のコスト転嫁問題も同根でしょう。
 また、このような事態について何とか国賠訴訟に持ち込もうとすると、法務省(Ministry of Justice !!)のコントロール化にある裁判所によって敗訴するか、そもそも訴権がない等と門前払い(棄却)されます。
 この、中央省庁があたかも主権国家のように、自己以外から制約をうけず自主独立し、かつ並立する構造は、明治憲法体制から、実は連綿として続いているものです。
 このような国家中枢においてアナーキーな状況ができている現状は、敢えて言えば、中央集権化の失敗です。 日本国という巨大なサイズの近代主権国家に、権力と責任の集中がない、恐るべき事態です。この事態を辛うじて弥縫しているのが、米国による安保支配体制、というのが現下の構造でしょう。
 では代替案は?というと、そんなスーパーな妙案があるはずもありません。ただ、辛くもインディペンデントなメディアである、ネット上で、代替的情報、代替的事実を拡散周知することが、まずできることと思われます。
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近代の断末魔? ()
2015-09-18 00:43:53
>国家中枢においてアナーキーな状況ができている現状は、敢えて言えば、中央集権化の失敗です。

 私たちは、長薩が生み出した日本の官僚独裁機構の断末魔を見ているといえるのではないでしょうか。
 支配の目的も見失った彼らは、主権を宗主国に投げ渡すことによって、かろうじて自分たちの権力と利権を確保することしか眼中にないように思えます。

 この醜悪な官僚独裁国家、崩壊するときは意外に早く、音をたてて崩れ去ることでしょう。
 長薩の亡霊を退治した暁に、パックストクガワーナに負けない250年の平和を実現するような分権的民主制の到来を見たいものです。
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