前回の記事で紹介した利根川の基本高水が国交省の計算値よりも20%低いという東京高裁に提出した意見書に関して、ブログ「どうする、利根川? どうなる、利根川? どうする、私たち!? 」がすばらしい解説記事を書いて下さいました。ブログの著者のKAJIWARA氏は今回提出した意見書の作成にも携わって下さった方々の中の一人で、同氏は利根川水系を中心としたダム開発の国側の論理構造の問題点を指摘した研究で博士号を持っております(その博士論文は一刻も早い出版が待たれる内容です)。このブログ、住民・市民をケムに巻くために官僚側が構築してきた難解な屁理屈の虚構をじつに分かりやすく解説しており、ダム問題に関心のあるすべての人々にとって必読の内容です。
国交省が利根川のダム計画を策定する上で「憲法」のように不可侵な数値として扱ってきた基本高水の計算過程の誤りを解説した記事は以下の三つです。
八ッ場ダム住民訴訟資料解説① 関・意見書その1
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/3336560.html
その2
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/3455147.html
その3
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/3484354.html
この三つの記事の内容、単にダム計画の是非を論じたものではありません。「科学的とはどういうことか」という科学リテラシーの問題を扱っており、ダム問題に関心のある方々のみならず自分たちの払った税金の使われ方に関心のある全ての人々に読んで欲しい内容です。遺憾ながら科学的リテラシーの欠如は、ダムのみならず、原発、道路、リニア、さらにはTPP・・・・と、日本国の官僚たちによる政策決定のプロセスに共通して現れる問題だからです。
上記の記事の中から、重要な部分を一部引用させていただきます。
***上記解説「その2」より引用開始****
***引用終わり*****
国交省が難解な専門用語と難しい数式を使いたがるのは、むしろ彼らの結論が科学的でないがゆえに、素人には簡単に見破られないように煙幕を張るための偽装工作だとすらいえるでしょう。いかにデタラメな計算モデルやパラメータを用いても、数式が複雑になれば一般市民は簡単には見破れなくなるからです。
科学的を装いつつ、その内実で科学的リテラシーから全く逸脱している官僚の意志決定にお墨付きを与える御用学者の問題は、河川工学、新古典派経済学、金融工学、原子力工学、お恥ずかしながら私の出自である林学などなど、難解な専門用語で市民を排除し閉鎖的なムラ社会を形成している、多くの学問分野に共通して現れる病理です。
国交省が利根川のダム計画を策定する上で「憲法」のように不可侵な数値として扱ってきた基本高水の計算過程の誤りを解説した記事は以下の三つです。
八ッ場ダム住民訴訟資料解説① 関・意見書その1
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/3336560.html
その2
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/3455147.html
その3
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/3484354.html
この三つの記事の内容、単にダム計画の是非を論じたものではありません。「科学的とはどういうことか」という科学リテラシーの問題を扱っており、ダム問題に関心のある方々のみならず自分たちの払った税金の使われ方に関心のある全ての人々に読んで欲しい内容です。遺憾ながら科学的リテラシーの欠如は、ダムのみならず、原発、道路、リニア、さらにはTPP・・・・と、日本国の官僚たちによる政策決定のプロセスに共通して現れる問題だからです。
上記の記事の中から、重要な部分を一部引用させていただきます。
***上記解説「その2」より引用開始****
国交省がいう科学的は、要は「専門的な計算」ということでしかありません。科学者という言葉はえてして自然科学(理系の学問)がイメージされるように、難しい数式を用いた話が“科学的”という理解があるかもしれません。しかし、科学の意味は全く異なります。科学的な議論・考察とは、「結論に至る過程を全て明らかにして、第三者が客観的に追検証しても、同一の結論にいたる」ものではなければなりません。難しい数式が用いられているかどうかはその本質に関係ありません。重要なことは
1 第三者が客観的に追検証できるか。
(その目的は、結論の確認)
2 その前提として、結論に至る過程(データ、実験方法など)を全て明らかにすること
です。これが科学の基本であることを踏まえると、計算過程を一切示さず「科学的な計算」だというのは全く言語矛盾だということが理解してもらえると思います。
(中 略 )
法で定められた手続きを履践しているといっても、「科学的な手続き」が踏まえられていなければ、そこに実質的な正当性はありません。科学者と自らを名乗りながら、「科学的な手続き」が踏まえられていないことを平気で看過する御用学者は、今本先生のように、「科学者は真理にのみ忠実であれ! 恥を知れ!」と言ってやる必要があります。
1 第三者が客観的に追検証できるか。
(その目的は、結論の確認)
2 その前提として、結論に至る過程(データ、実験方法など)を全て明らかにすること
です。これが科学の基本であることを踏まえると、計算過程を一切示さず「科学的な計算」だというのは全く言語矛盾だということが理解してもらえると思います。
(中 略 )
法で定められた手続きを履践しているといっても、「科学的な手続き」が踏まえられていなければ、そこに実質的な正当性はありません。科学者と自らを名乗りながら、「科学的な手続き」が踏まえられていないことを平気で看過する御用学者は、今本先生のように、「科学者は真理にのみ忠実であれ! 恥を知れ!」と言ってやる必要があります。
***引用終わり*****
国交省が難解な専門用語と難しい数式を使いたがるのは、むしろ彼らの結論が科学的でないがゆえに、素人には簡単に見破られないように煙幕を張るための偽装工作だとすらいえるでしょう。いかにデタラメな計算モデルやパラメータを用いても、数式が複雑になれば一般市民は簡単には見破れなくなるからです。
科学的を装いつつ、その内実で科学的リテラシーから全く逸脱している官僚の意志決定にお墨付きを与える御用学者の問題は、河川工学、新古典派経済学、金融工学、原子力工学、お恥ずかしながら私の出自である林学などなど、難解な専門用語で市民を排除し閉鎖的なムラ社会を形成している、多くの学問分野に共通して現れる病理です。