代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

30年戦争の再来

2015年01月15日 | 政治経済(国際)
 シャルリエブド事件について。「人々はユーモアの知性を知っている。テロリストにはユーモアがなかっただけだ」と、再びムハンマドの風刺画を掲載。私は、この発言と風刺画を見て凍り付きそうになった。全く笑えない。これで笑える人なんて、よほどどうかしているとしか思えない。

 フランスの風刺文化は尊重する。しかし自分たちの文化的基準を絶対化してはいないか。その行為によって、自分たちは笑えたとしても、違う文化圏に属する人々が傷つくのであれば、控えるべきだ。ユーモアの基準だって、文化ごとに違うのだ。

 言論の自由といっても、人の心を傷つけたり、いじめるのが許されてよいわけではない。ヘイトスピーチがいけないのと同じだ。

 同じ文化を共有する者同士で、大いに風刺しあうのは勝手だが、その価値観を他の文化圏の人々に押し付けてはいけない。
 彼らはムハンマドだけでなく、キリストやブッダも風刺しているというが、それが許される文化とそうでない文化があることを踏まえるべきだ。


 今の世界は、約400年前(正確には397年前)の1618年に勃発した30年戦争当時の状況に似てきている。30年戦争では、プロテスタントとカトリックのあいだで凄惨な殺戮戦が行われた。ドイツの人口は3分の1にまで減った。凄惨な宗教戦争という、悪夢の時代にふたたび突入しそうである。
 

 30年戦争が勃発する前は、世界経済のグローバル化が進展した時代であった。違う宗教観を尊重せず、国境を尊重せず、自分の価値観を押し付けた上で、分捕り自由の主権侵害がまかり通っていた時代であった。今日のグローバル化の状況も構造は同じである。グローバルな市場原理主義、ワシントン・コンセンサスを普遍的な価値観であるかのように世界に押し付け、イスラム圏に押し付け、その反発によって宗教戦争になってしまったのだ。

 血みどろの30年戦争がきっかけで、ヨーロッパは内向きになり、グローバル化の動きは止まり、反転して収縮に向かった。
 30年戦争の甚大な犠牲の反省の上に、ヨーロッパ人は、寛容の精神を学んだ。他人の心の中にまで分け入って、自分の価値観を押し付けてはいけないということを学んだ。ウェストファリア条約によって、国家主権が尊重されるようになり、政治と宗教を分離した国民国家の形成につながっていった。野放図なグローバル化の時代(第一次グローバル化)は終わったのである。
 

 現在は第三次グローバル化の時代である。今日、30年戦争当時のように、人々は不寛容になり、自分の独善を他者に押し付けようと躍起になっている。市場原理主義という身勝手な価値観を普遍原理などと称して押し付けていく傲慢なグローバル化が戦争に至るのは必然なのだ。
 
 私は新年のあいさつで、今年は元和偃武400周年であることを強調した。戦後70年が言われるわりに、元和偃武400年はあまり言われない。元和偃武こそ、今年は日本人が思いを馳せ、学ぶべき課題なのである。

 400年前に始まった30年戦争を教訓にヨーロッパは変わり、国民国家を成立させた。日本でそれに相当するのは400年前の大坂の陣であった。大坂の陣をきっかけに、日本人はグローバル化と戦争の時代から決別し、内向きに平和と安定を指向するようになったのだ。
 
 歴史は繰り返す。今日のグローバル化は、宗教戦争を再来させ、膨大な血を吸わないと終わらないのか。流れる血の量がまだこの程度の間に終わらせるのか(それは可能である)、それともむこう30年間こんなことを延々と続けるのか。

 遅かれ早かれ、悲劇を止めるため世界が選択するであろう方策はただ一つしかない。価値観押し付けのグローバル化を終わらせることだ。寛容さを取り戻し、国家主権を取り戻し、文化の多様性、違う価値観を尊重することなのだ。

 
 

 
 


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