私のブログのコメント欄に、何の脈絡もなく「チベット問題」を書きこんでくる方々が多いので、それに関する私の見解を書いておきたいと思います。日本の親米右派(小林よしのり氏の言う「ポチ保守」)は、何かあれば「中国政府のチベット虐殺」をあげて、私のように対米自主独立論を訴える人間を非難します。正直なところ、脱米論とチベット問題がどう関係するのか、私は全く理解不能なのです。そして、彼らが本当にチベットの人々の人権状況を憂慮して人道的にそれを主張しているのかというと、それも極めて疑問なのです。私には、「親米路線」(ポチ保守路線)を正当化するための口実として使っているとしか思えません。もし彼らが本当に、「国民国家」によって弾圧されている少数民族の人権状況を憂慮するのであれば、チベット問題よりももっと先にやるべきことがあるだろうと思われます。
まず、「日本政府が、中国政府によるチベット独立運動の弾圧を非難する資格があるのか?」と問うと、残念ながら私の回答は「ノー」です。日本政府は過去において、インドネシアのスハルト独裁体制やフィリピンのマルコス独裁体制のような、国内の少数民族の独立運動を苛烈に弾圧し、独立運動家たちを虐殺してきた政権を、米国とともに熱烈に支援し、そうした虐殺行為に間接的に手を貸してきたからです。
中国政府によるチベット弾圧は、日本とは直接的に関係のないところで進められた事件です。それに対して、スハルトやマルコスによる少数民族・先住民族の弾圧・虐殺は、最大の援助国であり、それら独裁者たちの「パトロン」であった日本政府が、国際的に問題にし、止めさせようと外交的に努力していれば、かなりの程度は防げた、あるいは緩和させることが可能だったはずなのです。
私は、自国とは直接的に関係のないところで進められた虐殺事件よりも前に、自国も関係のあるところで進められた虐殺事件にまず関心を持ち、それを止めよう、あるいは二度と起こさないように勤めるのが先だろうと思います。それができる国の政府や人々のみが、はじめて「中国の人権侵害」を批判する資格も生まれるだろうと思うのです。
米国など、世界中でどれだけ民主的な政権を転覆し、ラテンアメリカ、アフリカ、中東諸国の残忍な独裁者たちを支援し、それらの独裁者たちが行なう人権弾圧・虐殺を直接・間接に支援してきたのかを考えれば、とても本来ならば中国に対して、「民主主義」とか「人権」などと口にする資格もないはずです。米国政府が、「民主主義」とか「人権」を口にするのは、私から見ると「笑止千万」としか言いようがありません。
日本国内の親米右派は、そもそも日本が間接的に手を貸してきた虐殺事件に関心すら持とうとはいたしません。まず、それらの事実を知り、関心を持つことの方が先ではないかと思います。でなければ、「人権」とか「少数民族問題」など、議論するための共通土壌すらありません。
日本が支援した独裁者たちが行なった数々の虐殺事件の中でも、最悪なものの一つはインドネシアのスハルト独裁政権による東チモールの大虐殺でした。アムネスティ・インターナショナルの調べでは、インドネシア軍は、1975年の東チモール侵攻から1989年までで合計20万人以上を殺害したとされています。当時の東チモール人口が60万人から70万人ほどであったことを考えれば、じつに全人口の3分の1が虐殺されたわけです。これは、虐殺された人々の人口に対する比率で見れば、ポルポト派の虐殺以上の虐殺といえるでしょう。
そして日本政府は破廉恥にも、米国とともに、東チモールの軍事支配の正当性を主張するインドネシア政府を一貫して擁護し続けてきました。国連総会の場で、東チモール問題に関するインドネシア非難決議が出されても、日本政府は米国や豪州とともにインドネシアを擁護し、非難決議に反対し続けてきたのです。
(益岡賢氏のサイトなど参照のこと)http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/articles/timorintro.html
親米右派の方々は、「中国はチベットの民族浄化を進めている」と糾弾します。それならば、インドネシアが東チモール、イリアンジャヤ、アチェなどで、フィリピン政府がミンダナオ島で進めてきた(いる)ことも同様な、あるいはもっと残酷な「民族浄化」政策です。「民族浄化」を進める中国とは付き合えないと主張する方々は、インドネシア、フィリピン、ミャンマーなど、「民族浄化」を進めている政権をODAで支援してきた日本政府をまず糾弾し、それらの国々と断交するよう訴えては如何でしょうか?
日本政府は、戒厳令を布告し、少数民族によるモロ民族解放戦線のミンダナオ独立運動に対して全面戦争を仕掛けたマルコス独裁体制に対し、ODAを大増額して支援しました。国内で30万人から100万人ともいわれるインドネシア共産党員を虐殺して成立したスハルト独裁体制に対し、多額の円借款を供与し、1975年以降は東チモールの虐殺を間接的に支援しました。
日本の親米右派の方々が、なぜ中国政府の人権侵害にはあんなに厳しい態度を取るのに、自国政府が支援した独裁者たちが進めた人権侵害にはかくも寛容なのか、私には理解できないのです。
フィリピンのマルコス独裁政権は、日本からフィリピンになされる戦後賠償プロジェクトと円借款プロジェクトを、談合による15%の水増し費用で日本企業に落札させる見返りとして、15%の水増し分を「手数料」として請求し、自分の政治資金源として蓄財していたのです。マルコスによる人権侵害に対し、日本のお金が平然と流れていたのです。賠償もODAもその供与総額の15%は、独裁者マルコスのポケットに消えていたのです。日本の外務省はそうした事実を、見て見ぬふりを続けました。
マルコス政権が1986年の市民革命で倒されると、ODAに絡むマルコス疑惑が大きく報道されましたが、日本の外務省はフィリピン政府に対し圧力をかけ、疑惑の解明を止めさせたのです。
この辺の話は、私も著者の一人として執筆した『開発援助の実像 ―フィリピンから見た賠償とODA―』(亜紀書房、1999年)に詳しいです。よろしかったらご参照ください。
さて、長くなって参りました。中国の少数民族の問題などに関しても書きたいことはあるのですが、別のエントリー記事で書きます。
まず、「日本政府が、中国政府によるチベット独立運動の弾圧を非難する資格があるのか?」と問うと、残念ながら私の回答は「ノー」です。日本政府は過去において、インドネシアのスハルト独裁体制やフィリピンのマルコス独裁体制のような、国内の少数民族の独立運動を苛烈に弾圧し、独立運動家たちを虐殺してきた政権を、米国とともに熱烈に支援し、そうした虐殺行為に間接的に手を貸してきたからです。
中国政府によるチベット弾圧は、日本とは直接的に関係のないところで進められた事件です。それに対して、スハルトやマルコスによる少数民族・先住民族の弾圧・虐殺は、最大の援助国であり、それら独裁者たちの「パトロン」であった日本政府が、国際的に問題にし、止めさせようと外交的に努力していれば、かなりの程度は防げた、あるいは緩和させることが可能だったはずなのです。
私は、自国とは直接的に関係のないところで進められた虐殺事件よりも前に、自国も関係のあるところで進められた虐殺事件にまず関心を持ち、それを止めよう、あるいは二度と起こさないように勤めるのが先だろうと思います。それができる国の政府や人々のみが、はじめて「中国の人権侵害」を批判する資格も生まれるだろうと思うのです。
米国など、世界中でどれだけ民主的な政権を転覆し、ラテンアメリカ、アフリカ、中東諸国の残忍な独裁者たちを支援し、それらの独裁者たちが行なう人権弾圧・虐殺を直接・間接に支援してきたのかを考えれば、とても本来ならば中国に対して、「民主主義」とか「人権」などと口にする資格もないはずです。米国政府が、「民主主義」とか「人権」を口にするのは、私から見ると「笑止千万」としか言いようがありません。
日本国内の親米右派は、そもそも日本が間接的に手を貸してきた虐殺事件に関心すら持とうとはいたしません。まず、それらの事実を知り、関心を持つことの方が先ではないかと思います。でなければ、「人権」とか「少数民族問題」など、議論するための共通土壌すらありません。
日本が支援した独裁者たちが行なった数々の虐殺事件の中でも、最悪なものの一つはインドネシアのスハルト独裁政権による東チモールの大虐殺でした。アムネスティ・インターナショナルの調べでは、インドネシア軍は、1975年の東チモール侵攻から1989年までで合計20万人以上を殺害したとされています。当時の東チモール人口が60万人から70万人ほどであったことを考えれば、じつに全人口の3分の1が虐殺されたわけです。これは、虐殺された人々の人口に対する比率で見れば、ポルポト派の虐殺以上の虐殺といえるでしょう。
そして日本政府は破廉恥にも、米国とともに、東チモールの軍事支配の正当性を主張するインドネシア政府を一貫して擁護し続けてきました。国連総会の場で、東チモール問題に関するインドネシア非難決議が出されても、日本政府は米国や豪州とともにインドネシアを擁護し、非難決議に反対し続けてきたのです。
(益岡賢氏のサイトなど参照のこと)http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/articles/timorintro.html
親米右派の方々は、「中国はチベットの民族浄化を進めている」と糾弾します。それならば、インドネシアが東チモール、イリアンジャヤ、アチェなどで、フィリピン政府がミンダナオ島で進めてきた(いる)ことも同様な、あるいはもっと残酷な「民族浄化」政策です。「民族浄化」を進める中国とは付き合えないと主張する方々は、インドネシア、フィリピン、ミャンマーなど、「民族浄化」を進めている政権をODAで支援してきた日本政府をまず糾弾し、それらの国々と断交するよう訴えては如何でしょうか?
日本政府は、戒厳令を布告し、少数民族によるモロ民族解放戦線のミンダナオ独立運動に対して全面戦争を仕掛けたマルコス独裁体制に対し、ODAを大増額して支援しました。国内で30万人から100万人ともいわれるインドネシア共産党員を虐殺して成立したスハルト独裁体制に対し、多額の円借款を供与し、1975年以降は東チモールの虐殺を間接的に支援しました。
日本の親米右派の方々が、なぜ中国政府の人権侵害にはあんなに厳しい態度を取るのに、自国政府が支援した独裁者たちが進めた人権侵害にはかくも寛容なのか、私には理解できないのです。
フィリピンのマルコス独裁政権は、日本からフィリピンになされる戦後賠償プロジェクトと円借款プロジェクトを、談合による15%の水増し費用で日本企業に落札させる見返りとして、15%の水増し分を「手数料」として請求し、自分の政治資金源として蓄財していたのです。マルコスによる人権侵害に対し、日本のお金が平然と流れていたのです。賠償もODAもその供与総額の15%は、独裁者マルコスのポケットに消えていたのです。日本の外務省はそうした事実を、見て見ぬふりを続けました。
マルコス政権が1986年の市民革命で倒されると、ODAに絡むマルコス疑惑が大きく報道されましたが、日本の外務省はフィリピン政府に対し圧力をかけ、疑惑の解明を止めさせたのです。
この辺の話は、私も著者の一人として執筆した『開発援助の実像 ―フィリピンから見た賠償とODA―』(亜紀書房、1999年)に詳しいです。よろしかったらご参照ください。
さて、長くなって参りました。中国の少数民族の問題などに関しても書きたいことはあるのですが、別のエントリー記事で書きます。
ちょっと待て、おまえらは現在進行形だろう!
・・・それだけの話なのでは。
アメリカ追従はイカンと言われても、他にどの国がある?
中国と手を組もうと思っても、結局は中国もアメリカと同等の危険な国なわけです。
つーか国際社会って弱肉強食な印象です。
日本はアメリカに負けたので占領されるのも諦めなければならないのかな、と。
そこはそれ勝負ですからね。
日本の反中国派の心理は、そういうことなのでしょうね。
でも、日本の場合だって、現在進行形で途上国の人権侵害に手を貸しているわけです。
私の立場としては、日本は過去の問題にも誠心誠意に対処したうえで、疚しいことがなくなったら、その上で晴れて、中国の少数民族の人権問題にも発言すべきだと思うのです。
お互いに開き直って敵対しながら相手の悪いことを攻撃し合うのではなく、友好関係を持ちながらお互いの悪い部分を建設的に提起しながら修正することを目指すべきだと思います。この事は、次のエントリーでも書きます。
>中国と手を組もうと思っても、結局は中国もアメリ
>カと同等の危険な国なわけです。
私は、現段階においては米国が世界に押し付けている市場原理主義イデオロギーが、貧困・失業・紛争・テロの根源的要因だという立場です。
ですので、「敵の敵は見方」の論理で、米国の市場原理主義イデオロギーと対峙せねばならないと考えます。
その独裁がなかったらより悲惨なこと…共産化で文革やポルポトのような、または全くの無秩序…が起きた可能性がある、という反論がありえそうですが、それも疑ったほうがいいでしょうね。
原則として独裁、虐殺は許容するべきではないでしょう。
対米自主独立論が非難されるのには、「アメリカから自立する」=「中国の傘下に入る」という少し飛躍した考えがあると思います。
正確には「中国の傘下」以外にも、「核武装独立」「武装非核中立」「非武装中立」という道があります。
ただし、保守派は「非武装中立」=ソ連中国の侵略を受け入れ、その傘下に入ること、とみなしているのでしょう。そして後二者を単純に不可能と断じて、上の飛躍を支えていると思います。確かにこれまでの非武装中立論者は、侵略されたときのレジスタンスまたは非暴力不服従の困難を現実的に認識しているとは思えない…家族が目の前で拷問されても平和のために耐え抜く覚悟があるのか、それを全国民に強要していいのか…という欠点はあります。
核武装独立は倫理的にも力の論理からも非常に困難です。
なぜか武装非核独立は議論されませんが、スウェーデンはロシアと、スイスはドイツフランスと接していながら実現しています…多分一番現実性は高いでしょう。
また、アメリカのグローバリズムに抵抗する論理にはどのようなものがあるのでしょう…僕もまとまっていませんが、考えてはいます。
http://www.moemoe.gr.jp/~nakayosi/fiction/if.html
で、まだ書き出ですがちょっと描写してみました。
長文に加えて駄作の押しつけも失礼しました。
アメリカのメディア操作⇒世論操作を超えて、批判を脱したところで代替案を模索する関さんのスタンスに大いに共感を覚えます。今後とも意見交換、よろしくお願いします。
私は、水田稲作農業というのは、世界のあらゆる農法の中でもっとも持続性が高いと思っていますので、必ずしもメガフロートへ出て行く必要はないと思いますが・・・・。でも、エネルギー革命の部分などはほぼ賛同できます(^^)。
>「アメリカから自立する」=「中国の傘下に入る」
>という少し飛躍した考えがあると思います
私はもちろんこの立場ではないです。対米自立派で「中国の傘下に入れ」と主張している人は少ないと思いますが、親米派からはそのようなレッテルを貼られて攻撃を受けている現状は、確かにありますね。
「東アジア共同体は、現状では中国の覇権になるのではないか」と多くの人々が思うのでしょうが、インドまで含めれば中国の覇権にはならず、パワーバランスは取れるでしょう。
仰せの通り、スイス型の武装非核中立も選択肢として有力ですね。
でも私の理想は、日米安保破棄の東アジア集団安全保障体制への移行です。
日本人は全ての人権侵害に口を挟むべきでないと思いました
いま日本は少数民族を抑圧している中国をODAその他で援助している。すぐさまにでも、この種の対中援助を停止すべきだ。
そして、中国の少数軍事独裁体制を打倒するために、少数民族を応援してゆくべきだと目をさました。
すぐにでも中国との交流を最小限度にして、国際的な中国非難キャンペーンを始めるべきだと思った。
あなたのBlogのおかげで、私の中国への間違った親愛の念を消し去ることが出来た!ありがとう!
これって、
犯罪者の子孫に犯罪を批判する資格などない。
犯罪を見ても先祖のしたことを考えるなら見て見ぬ振りをしなければならない。
ということでしょうか?
犯罪を犯した経験のある人間が、目の前で起こっている犯罪を止めようとするのはおこがましいと言う事でしょうか?
将来、チベットの人々に「何故あなた方は我々が迫害されているのを黙認していたのですか?どうして助けてくれなかったのですか?」
と言われたら、「過去に同様のことをしたことがあるので批判するわけにはいかなかった」と答えるのですか?
それこそ過去の反省が活かされていないと思うのですが…
親米だとか親中だからという見かたに拘らず、
チベットであってもベトナムであってもチェチェンであってもイスラエルであっても、
現在進行形で行われている非人道的暴力には毅然とした態度で批判することが大切だと私は思います。
>あってもイスラエルであっても、
>現在進行形で行われている非人道的暴力には毅然と
>した態度で批判することが大切だと私は思います。
コメントありがとうございました。
もちろん、私もその立場です。よその国のことであっても、毅然とした態度で、人権侵害に立ち向かうべきなのです。そのために、米国の関係する人権侵害は許すという、ダブルスタンダードは取ってはならないと私は言いたいわけです。(この次のエントリー参照)
アメリカとその傘下の独裁者たちが行なう人権侵害には目をつぶっている人たちが、中国の人権侵害だけ糾弾するというのはおかしいからです。
米国とその傘下の独裁者がたちが行なった人権侵害にも厳しくあり、そして中国にも言うべきことを言いましょうというのが趣旨です。