代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

第三次グローバル化の終焉とその後の社会構想

2014年09月21日 | 政治経済(国際)
 先日、母校(地元の公立高校)の社会講座に呼ばれ高校1年生向けに話してきた。その概要を紹介しておく。演題は「グローバル資本主義の危機と今後の社会構想」。


 日本政府は「グローバル人材の育成」を掲げ、「グローバル資本主義システム」を支える歯車となる人材の育成を教育現場に押し付けようとしている。これは時代錯誤も甚だしい。

 現在進行中のグローバル資本主義は必ず終わる。過去においてもグローバル化の波はあったが、行き詰まり、最後は戦争や恐慌によって終焉を迎えている。いまのグローバル化もそうなるだろう。過渡期に戦争が起こる可能性はある。覚悟が必要な時代になっている。

 行き過ぎたグローバル化を終焉させ、各国は経済主権を回復し、安定した国民経済を取り戻さなければならない。これこそ戦争を回避し、国際平和を可能にする途であり、国際協調で取り組むべきグローバルな課題である。

 現在のグローバル化が必ず終焉するというその根拠は過去の歴史を見ればわかる。16世紀と19世紀の二度のグローバル化の波と、それが行き詰って終焉した様子を確認する。 
 

(1)第一次グローバル化 (16世紀から17世紀初頭の大航海時代)

 ポルトガル、スペインの覇権。中南米、アジアの一部が植民地化される。
→ スペインの衰退によって終焉。

【その後】
 世界は内向きの時代へ移行(その背景に気候変動の影響も指摘されている)。
 ヨーロッパでは30年戦争など凄惨な宗教戦争を経験し、その末に、国民国家を形成していく。
 

 日本の場合、ポルトガルやスペインの拡張主義をまねて、豊臣秀吉が対朝鮮・中国侵略戦争に乗り出したが敗北した。これが豊臣政権の命取りになった。大坂の陣と島原の乱を経験した後、日本も内向きになり、平和と安定を実現した。

 今年は大坂の冬の陣で真田幸村が活躍してから400周年になる。大阪の陣で大きな戦乱は終焉し(元和偃武)、江戸の公儀は対外拡張主義と理不尽な戦乱の時代に終止符を打った。徳川政権に反省を促したのは真田幸村の奮闘のおかげかも知れない(ここは上田での講演なので・・・・)。

 日本は綿織物・絹織物等輸入品を国産化し、内需主導の自給的経済へ移行。貿易を長崎の出島に限定(薩長などの密貿易はあったが)。その後、250年間の平和と安定の時代を迎えた。

 グローバル資本主義が行き詰りを迎えているいま、大坂の陣の元和偃武から400周年を迎えるのには、象徴的な意味があるだろう。大阪の陣の戦乱を教訓に平和国家に移行していった当時の日本のあり方から、いまこそ学ぶべき点は多い。


(2)第二次グローバル化 (19世紀から20世紀初頭の帝国主義時代)

 イギリスの産業革命。
 デイビッド・リカードが比較生産費説を提唱。
 イギリスは不平等条約を押し付け、アジア諸国から関税自主権を奪う。
 アジア、アフリカ諸国は植民地化される。(自由貿易帝国主義)
 著しく貧富の格差が拡大。

→ 第一次世界大戦と世界恐慌によって終焉。

 日本も格差の拡大にともない、戦争を歓迎するムードが蔓延。国民は満州事変・満蒙開拓など拡張主義と対外戦争を熱狂的に支持した。
 敗戦によって海外領土を喪失し、対外拡張主義は終焉した。

 
【その後】
 旧植民地は独立。関税自主権・国家主権を回復。
 西側諸国は、GATT体制という、各国の関税自主権を認めた穏当でゆるやかな貿易システムの下で発展。
 西側諸国では国民国家単位での国民経済の下、ケインズ的再分配が機能。
 日本では、傾斜生産方式といった計画経済の手法と、保護関税、公共事業を通したケインズ的再分配がよく機能し、一億総中流となでいわれた貧富の格差が少なく、安定した社会を実現。 

 
 以上のように過去2回のグローバル化とその後の時代を見ると、少なくとも日本においては、ポストグローバル化時代には内需主導の持続可能で安定した経済構造と、長期にわたる平和を享受していることが分かる。この教訓は今に生きる。


(3)第三次グローバル化 (1990年代~現在、新自由主義時代)

 冷戦終結。覇権国アメリカによる市場原理主義政策の押し付け。
 国民経済の多様な政策決定権が奪わる。画一的グローバルスタンダートの押し付け。
 途上国や東欧・ソ連にはIMF・世銀の構造調整、日本に対しては年次改革要望書などの手法を駆使して米国は利己的スタンダードを押し付けていった。

・国営企業の民営化
・金融・資本自由化
・貿易自由化
・規制緩和(環境や労働者を保護する諸規制まで緩和)
・自国産業保護政策の廃止 (補助金削減、関税撤廃等・・・)

→ 国家主権の空洞化 
→ 国民国家解体へ?  

*第三次グローバル化が生み出した諸問題

 貧富の格差の拡大
 賃金下落
 政府税収の減少 → 財政危機
 農産物価格の高騰 → 飢餓・戦争の原因
 失業者の増大
 産業移転による地域経済の空洞化 
 民族排外主義勢力の台頭と紛争の激化
 地球環境破壊
      熱帯林破壊、砂漠化、生物多様性の喪失・・・・

(4)結論

 第三次グローバル化は持続不可能であり、その終焉は近い。
 今後、国民主権と安定した国内経済を取り戻すために、国際的に遵守すべき諸原則は以下のような点である。

*21世紀で優先すべき価値観は効率性よりも持続可能性。

*労働基準、最低賃金、法人税率、環境基準等を高い水準で国際的に適正化する必要あり。タックスヘイブンは国際的に禁止。それを破る国には経済制裁を加えるくらいの取り決めが必要。
 日本のように労働者を平気で過労死、うつ病、自殺に追い込むような劣悪な労働環境の国も規制対象。

*穀物は各国の食料主権を尊重し、国内農業を保護する権利を各国に付与する。

*生活必需性が高い「医療、教育、社会インフラ、水道、農地、自然環境など」は自由化・民営化・規制緩和の対象としてはならない。社会的共通資本として社会各層の協力によって管理していかねばならない。


 

 

 

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2 コメント

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全く同感です ()
2014-09-27 21:35:31
 高校の政治経済の教科書などでも比較生産費説は必ず教えられていますが、イギリス、アメリカ、日本などの歴史的経験と照らして、いかに現実離れした机上の理論かということもセットで教えないとフェアではありませんね。
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Unknown (12434)
2014-09-21 20:32:23
リカードの比較生産費説は、当時の後進資本主義国家から相当顰蹙を買ったと思われます。
英国に追いつこうとする国の多くは、「農産物の需要は有限だから、工業を発展させないと経済成長はできない。比較生産費説はイギリスの手前勝手な理屈だ!」と思ったのではないでしょうか?

歴史を紐解けば、比較優位と劣位の関係が固定されるはありえないです。イギリスもけっきょく工業が比較優位でなくなり、1917年からすでに不足分払いの農業保護に転換してしまいました(関税政策をとったのは1933年から)。

自由貿易を掲げながら外国の関税自主権を奪っておきながら、都合が悪くなったら自国の産業に関税をかけたのだから、やはり比較生産費説は手前勝手な理論だったかもしれません。
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