代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

アクト・オブ・キリング ―今度こそ虐殺の真相解明は進むだろう

2014年05月24日 | 政治経済(国際)
 
 ドキュメンタリー映画の製作にたずさわる私の友達が「最近観た映画の中で一番衝撃的だった」という感想述べていた「アクト・オブ・キリング」。これは観なければと思って行ってきた。私の中でもモヤモヤしていた気持ちが、若干ではあるが晴れたような気がした。この映画を制作したジョシュア・オッペンハイマー監督に心から敬意を表し、また感謝したい。
 記憶が埋もれて忘れ去られてしまう前に、それを掘り起こし、呼び覚ましてくれたのだから。多くの方々にこの映画を観てほしい。映画の概要は以下の予告編を参照されたい。

映画『アクト・オブ・キリング』予告編
 

 第二次大戦後に発生した大量虐殺事件というと、多くの方々はカンボジアのポルポト派による大虐殺やルワンダの民族抗争による大虐殺事件などを思い出すだろう。それらに匹敵する大虐殺事件でありながら、「大虐殺」とも呼ばれず、虐殺された人々の実数すら把握されず、真相は闇の中のまま、何の反省もなされず、それを行った国家権力は虐殺の事実を誇らしげにすら語っているという国がある。インドネシアだ。

 1965年から66年にかけて当時非共産圏で最大といわれたインドネシア共産党が壊滅させられ、100万ともいわれる共産党員や華僑や共産党員と疑われた人々が殺戮された。何の罪も犯していない人々ばかりだ。なぜこの大虐殺事件は闇に葬られ、犯罪とすら認識されていないのだろうか?
 事件が曲がりなりにも犯罪と認識され、その責任が追及されてきたカンボジアやルワンダの虐殺と何が違うのだろう? 人間の命の重さには何の変りもない。私にはそれがどうしても納得がいかなかった。

 疑問を解く鍵の一つは、クーデターを支援したのがアメリカのCIAである点にあろう。アメリカが支援して展開された虐殺事件は、その国で親米政権が続く限りにおいて免罪される。チリ、グァテマラ、ニカラグア、エルサルバドル・・・みなそうだった。

 しかし、理由はそれだけではないだろう。インドネシアの人々は、この事実を皆で忘れたがってきたように見える。記憶を書き換えようとしてきたように見える。事実を直視しようとしてこなかったように見える。
 被害者の遺族すら忘れよう、忘れようとする中、そして今でも語ることが身の危険を生じさせるという政治状況の中、忌まわしき記憶を記録として残したい、事実を後世に伝えたいと心から願っていた一群の人々がいたのだ。他ならぬ、虐殺した側の人々であった。

 被害者側の視点から事件を描くことが不可能だと悟ったオッペンハイマー監督は、事実を加害者側から描くという発想のコペルニクス的転回によって、記憶の再生に成功した。それは、前者の方法以上に劇的な成功を収めた。この映画は、失われた記憶を呼び覚ますという劇的な効果をインドネシア社会に及ぼしつつある。


 1998年5月、32年間にわたってインドネシアに君臨したスハルト独裁政権が崩壊したとき、私はフィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学に留学していた。私が所属していた研究所にはインドネシアからの留学生も何人も来ていて、スハルト退陣のニュースを聞いたとき、皆で歓声をあげて喜んでいた。フィリピンの友人にも、インドネシアに軍事占領されやはり殺戮が繰り返されていた東チモールの独立支援運動をしていた人々がいて、彼らも喜んでいた。インドネシア人とフィリピン人と日本人の私と、皆でスハルト退陣を祝ったものだった。
 
 その前年、1997年には無秩序なアブラヤシのプランテーション開発が主因となってインドネシアの熱帯林が200万haも消失していた。インドネシアで違法伐採や違法開発などの無秩序な破壊が起こる背景理由も、この「アクト・オブ・キリング」を観れば分かるといっても過言ではない。

 スハルト体制が崩壊したとき、期待したことはたくさんあった。インドネシアによる軍事占領が終わり東チモールの独立が承認されること、無秩序な熱帯林破壊が収束すること、そして1965年の虐殺の真相解明が進むこと・・・・。しかし実現したのは最初の一つのみで、後の二つは実現しなかった。いずれも「全人類的犯罪」といっても過言ではない。

 スハルトの軍事クーデターで失脚したスカルノ大統領の第三夫人だったデヴィ夫人とジョシュア・オッペンハイマー監督とのトークショーが youtube にあった。
 デヴィ夫人は、「この映画で真実が世界的に広まる、ということにおいて、私は本当に嬉しくて、心より感謝をしております」と述べている。私もこの映画を観た感想を一言で述べれば、このデヴィ夫人の感想と全く同じである。

 
映画「アクト・オブ・キリング」トークショー:デヴィ夫人ほか


 さらにデヴィ夫人の発言は歯に衣着せぬもので、すさまじい。
 
 安倍晋三首相の大叔父であるところの佐藤栄作元首相が、「自分のポケットマネーから600万円を拠出して、虐殺を繰り返した暴徒たちに資金援助していた」という驚愕の事実。その上で、「そういう方が後にノーベル平和賞を受けた、ということに、私は大変な憤慨をしております」とも。そして夫のスカルノ大統領はアメリカによって5回くらい暗殺計画を仕掛けられていることも・・・・。
 
 デヴィ夫人、都知事選で田母神さん応援している場合じゃないでしょう。1965年の殺戮を生き抜いたサバイバーとして、この事件の真相解明に取り組むことが、亡き夫への何よりの供養なのではないでしょうか?

 またジョシュア・オッペンハイマー監督のインタビュー記事は雑誌『世界』の6月号にも掲載されている。この映画が与えたインパクトがよく分かる。

  
 

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8 コメント

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インドネシアの9・30~3・11。その件の前に、お詫びとお礼を申し上げます。 (薩長公英陰謀論者)
2014-05-26 19:48:40

 関様、本記事に先立つ御記事「赤松小三郎の夢はこれから叶う」(2014年05月23日)に於ける拙投稿へのあたたかいご言及のお礼と、何より、御記事「憲法案 ー 赤松小三郎の理想を憲法へ」(2013年05月07日)を確認することなく投稿をしておりましたことのお詫びを申し上げます。週末に、と思っておりましたところ、この「アクト・オブ・キリング」記事に衝撃を受け、youtube でフル・ムービーが視聴可能なインドネシア語版 ( https://www.youtube.com/watch?v=3tILiqotj7Y )の動画画像を含めていろいろと見ておりまして、今になりました。かさねてお詫びいたします。

 結果として関様のあとを忠実にたどっていた・・・と言えば聞こえはよいのですが、おしえていただいたばかりのボリビア2009年新憲法についてさっそく触れたこと以外は、2013年05月の御記事に何もつけ加えるものがない投稿にかかわらず、あらたな記事を立ててご言及をいただき、「念ずれば夢叶う」という赤松小三郎の遺した言葉をタイトルと結語に力強く掲げられたことに強い感銘を受けました。ありがとうございます。

 ちなみに、判決要旨結論の前に置かれた「パラグラフ9」の、その前半がまことに感動的な、福井地裁「大飯原発運転差止請求事件判決」( http://www.news-pj.net/diary/1001 )を見ておりますと、人間と生命のいとなみの価値を見失わない理性と、カネと力に従わない知性とが、この時代に、関様以外にも存在することが示されていると感じます。絶望に膝を屈してしまいがちになる今日、関様のお言葉と強いご祈念とあいまって、ひとが生きてゆくこと、若い人びとが未来をつかんでいくことに対する、確信・信頼がおのずから湧いてくるように思います。錯綜したなかであってこそ、緩慢に、持続的に、潮目がかわってゆくような感じがいたします。
 どうか底ぬけの明るさと楽天性をもって、若い人びとに赤松小三郎の持っていた「夢を描き構想を組み上げる力」を伝えていただきますよう。

 なお、赤松小三郎の「議会制民主主義と法の支配」による政体構想の価値は、歴史家・歴史学関係者より、おそらく法律専門家・法学研究者のほうが、はるかに正確にかつ敏感に受けとめることができるのではないと思います。その方面には乏しい交友しかありませんが、憲法研究者のあいだの赤松小三郎「口上書」構想に対する認識について、当方なりのいささかの照会をこころみたいと思っております。

     ☆☆☆

 本記事「アクト・オブ・キリング」を拝見し、さまざまな意味で深い意味を持つと思われる映画についてのみならず、事件の発生と経緯について土曜日ほぼ徹夜状態で見て回りました。ことの経緯についてもっとも整理されていると思われた、Wikipedia「9月30日事件」の叙述が事実に近いとして、大量虐殺「発生」の経緯を要約しますと:

01 1965年9月30日(木曜日)深夜、大統領親衛隊第一大隊が、翌10月1日未明までに陸軍の高級将校6名を殺害、国営ラジオ局を占拠し、インドネシア革命評議会の設置を宣言した。

02  革命評議会は、これらの陸軍将校による政権転覆のクーデターを阻止するために決起した、と説明した。

03 6名の殺害によって陸軍最高位に立つこととなった戦略予備軍司令官スハルト少将は、速やかに指揮下の部隊を展開して首都の要所を制圧し、運動に呼応した共産党傘下の共産主義青年団や共産主義婦人運動も排除し10月2日には混乱に終止符を打った。

04 10月3日、古井戸に投げ込まれていた6将軍の遺体が発見され、翌日その葬儀が大々的に行なわれた。以後、スハルト政権下では毎年10月1日、このときの模様をテレビ特番で放送した。

05 「共産主義者狩り」に動員された青年団、イスラーム団体、ならず者集団を動員して、スカルノの責任を追及する街頭示威行動を取らせた。1966年3月11日、スカルノはスハルトに大統領権限を委譲する命令書にサインして、インドネシアの政変劇は終幕した。

06 衆議院議員、西村眞悟は、インドネシアに共産主義政権を樹立しようとした中華人民共和国の首相、周恩来がクーデターの謀略を主導していたと主張している。

 また、本記事で言及されているデヴィ夫人の証言から( http://www.webdice.jp/dice/detail/4161/ ):

07 「7番目に偉かった将軍がスハルト将軍で、10月1日の朝早くに、インドネシアの放送局を占領しまして、「昨夜、共産党によるクーデターがあった」「将軍たちが殺害された」と言って、すぐに共産党のせいにしました。そして赤狩りと称するものを正当化して、国民の怒りを毎日毎日あおって、1965年の暮れから1966年、1967年にかけまして、100万人とも200万人ともいわれるインドネシアの人たち、共産党とされた人、ないしはまったく無関係のスカルノ信仰者であるというだけで罪を着せられて殺されたといった事件が起こりました。

08 「佐藤首相はご自分のポケットマネーを600万円、その当時の斉藤鎮男大使に渡して、その暴徒たち、殺戮を繰り返していた人に対して資金を与えているんですね」

09 「・・・ただ、その当時私が持っておりました高価なものをお預けしました。そうしましたら、斉藤鎮男大使が私の預けたものを庭に放り出したという噂を聞きまして、その当時の大使のところにいらした料理人夫妻が、わたしが預けたものを全部私のところに届けにきてくれました。その後彼は、日本の外務省にとんでもない報告をしまして、その報告によって日本は、スハルト将軍応援のほうにまわったんです。この斉藤鎮男大使というのは、その当時のアメリカ大使と非常に親しくしておりました。このアメリカの大使は赴任する先々で内乱がおきたり、クーデターがおきたりする方で有名な大使だったんです」

 福島 香織「インドネシアの華人虐殺930事件『アクト・オブ・キリング』が語るもの」(日経ビジネスオンライン)2014年4月16日から( http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20140415/262868/?rt=nocnt ):

09 CIA工作説については、1990年に米退職外交官やCIAオフィサーが、インドネシア軍に共産党指導者名簿を提供して、その名簿をもとに虐殺が行われたという証言や、インドネシアが旧ソ連からロシア製ミサイルを購入し照準をオーストラリアに据えているとの情報を、CIAがインドネシア軍内に潜伏するスパイからつかんでいた、といった米国報道があり、それが事件への米国の関与があったとされる根拠となっている。当時のCIAはキューバやイラクでクーデターや政権転覆支援(未遂も含む)を行っていたので、十分ありえる話ではある。

 ・・・これまで見聞してきたさまざまの事態からの「経験的直感」をはたらかせますと、発端となった「9月30日クーデター」が「とってつけたように」起きたものであるように見えること、「クーデター制圧」から大量虐殺に至るまでの手順がみごとに迅速で、一直線であることから、スハルトの背後にあったのは、当時非共産圏で最大最強の勢力を持っていたインドネシア共産党の殲滅をはかったCIAであることを、上記01から09まで一体となって示していると思います。
 ただし、08はいったい・・・ そのようなことをするのか、不可解です。ポケットマネー?

 あわてて注文した『9・30 世界を震撼させた日 ー インドネシア政変の真相と波紋』(倉沢愛子著、岩波現代文庫、2014年3月)という本が明日届く予定です。じつは「台所」の方で抱え込んでいることがありまして、しばらくそちらに集中しなければならないのですが、もし「真相」について上記書からいささかなりとはかばかしい発見がありましたらあらためて報告いたします。
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インドネシア9・30から垣間見る「東アジア(東北・東南アジア)の世界史」。#01 (薩長公英陰謀論者)
2014-06-02 03:27:33
 関様、なるほどやはりと、取りあえず手近で見ることができるもので見ますと:

http://jp.mongabay.com/news/2011/0308-0225-indonesia_sumatra_borneo.html

 インドネシア政府の森林法で伐採が許可されている地域では79.9%が伐採され、規制・禁止地域で20.1%が伐採されている。

http://www.greenpeace.org/japan/ja/campaign/forest/indonesia/
 ・・・インドネシアの熱帯雨林は・・・世界でもっとも早いスピードでその姿を消しています。原因は、マレーシアの企業による違法伐採です。すでにインドネシアの72%の森が切り倒され、今も一年で東京都と同じ広さの森(約200万ヘクタール)が消失しています。

 とのこと。人間の手による「地球史的激変」が同時代のごく短い期間に起きていることに息をのみました。

 そこで、仕事の遠い関連で本棚に置いてあった『緑の帝国 世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム』(マイケル・ゴールドマン、京都大学学術出版会、2008年)をはじめて開いてみました。メコン川流域、ラオスにおける「緑化投資」というべきものが取り上げられていましたが(同書;第5章「エコ統治性と環境国家の形成」)、インドネシアについてはジャカルタの水道事業の反民営化運動が継続中であるという言及があるのみでした(同書;p232~233)。
 そこで見ますと、1998年スハルト治世下に英仏の資本による水道事業民営化がなされましたが、上水供給の問題を量、質ともに何ら改善できず、水道普及率が1996年の41%から民営化後11年かかって2009年の63%にすぎなかったという、貧困層無視で営利主義の多国籍資本による事業に対する反発による運動であるようです( www.kyoto-seas.org/wp-content/uploads/2013/10/510105.pdf  「東南アジア研究51巻 1 号 2013年7月. インドネシアの首都ジャカルタ水道事業 と. 民営化政策をめぐる攻防。ーポスト・スハルト期の政治経済構造の継続と変容ー。茅根由佳 )。

 原子力を含むエネルギー産業にせよ、遺伝子組換え産業にせよ、オカネ(資本)が人間の本能に置き換わることの結末をこのように同時代の目前に露わに見なければならないのは耐えられない苦痛です。この流れの総本山である欧米系金融体がじつは断末魔への過程にあることが2007&2008年のサブプライム・リーマンショックで見て取ることができるようになりましたが、その地獄への道に無辜の民を巻き込むのか、と考えますと・・・ウクライナしかり、いったい「時代の正気」を取り戻すことができるのか瞑目しています。
 そういえば、アベ総統はヴェトナムに加えてまさかウクライナ「内乱」のPKOにアメリカ軍の代役で出るつもりではないでしょうね。こわいですが、メディアが繰り出す数字如何にかかわらず、多くの人びとが人の命と平和を何より大切にすることを信じています。

 インドネシア9・30~3・11政変&大虐殺に戻ります。第3世界の盟主であったスカルノ追い落としと東側諸国以外で最大の党勢を持ち毛沢東中国に接近していたインドネシア共産党の物理的消滅を強行した一連の動きはまさに世界史の渦の中心部にあったように思えます。1965年2月の米軍によるヴェトナム北爆開始、1960年以降の中ソ対立と、1966年からの中国文化大革命、1967年のASEAN結成(本部はジャカルタ)にはさまれたかたちになっています。

 倉沢愛子著『9・30 世界を震撼させた日』(岩波現代全書、2014年)に急ぎ目をとおしました。CIAを含む米政府が「実行共同正犯」であったことを裏付けるものは当然ながら見あたらないようですが、同書と英文 Wikipedia「 30 September Movement 」とを併せ読みますと、おそらく「共謀共同正犯」であったと推定させる状況証拠は相当あることがわかります。

 少し首をひねっていることが三つあります。

(1)9・30決起声明になぜわざわざCIAへの名指しの言及があったのだろうか。

 日系企業のインドネシア進出のコンサルティングをしているインドネシア企業のサイトにインドネシアの歴史のかなり詳細な紹介があります。そこでは、このように( http://tokada.net/mangaku/mg25.html ):

 1965年9・30事件はいまだに不可解な事件として真相は解明されていない。大統領親衛隊長ウントウン中佐による6将軍殺害、革命政府樹立を一夜にして鎮圧して躍り出たのが無名少将スハルト陸軍戦略予備軍司令官だった。決起軍は「アメリカCIAに指導された将軍評議会の反スカルノクーデターを阻止する」名目だったが、共産党と共謀したクーデターとされて、鎮圧後共産党(360万党員2千万大衆団体、資本主義国最大規模)の国家転覆陰謀として非合法化、徹底的に弾圧され、近来ジェノサイトとしては中規模の、60万人以上が粛清される恐怖が全土に荒れ狂った。・・・庶民のこの恐怖はその後長く尾を引いて「もの言えば唇寒し」警察国家となってゆく。

 インドネシア共和国はジャワ・スハルト王国と変わらなくなった。・・・強権にしろ独裁にしろ、途上国が政治的に安定する事が強国の思惑なのは言を待たない。資源と人口を有するインドネシアは計画通りに資本主義国の草刈り場として「開発」の名の下に1967年初頭、外資導入法を発令、我先の投資合戦の火蓋が切られる。

 930事件: 封印された不可解な事件である。クーデター発生から数時間もたたず、戦略予備軍は首都を包囲する水際立った展開は、事前に察知しなければ物理的に不可能である。・・・米海軍機動部隊はジャワ南岸沖に集結していた。・・・スハルト失脚後、首謀者の一人で収監中のラテイフ元中佐は陰謀は、事前にスハルトに報告したと、スハルト自伝と食い違いを証言した。

 以上のように。他方で、英文Wikipediaによれば、クーデターに決起した部隊はなぜかスハルト将軍隷下の戦略予備軍司令部のある地域は制圧せず、占拠したラジオ局から「10月5日の陸軍記念日に計画されていた、CIAの援助を受けた反スカルノ派将軍たちのクーデター計画を事前に阻む」ための決起であると発表したといいます。

 They proclaimed that this was to forestall a coup attempt by a 'General's Council' aided by the Central Intelligence Agency, intent on removing Sukarno on 5 October, "Army Day".

 ・・・CIAがインドネシア内で反スカルノ工作をおこなっていることは周知の事実であることから、わざわざCIAを名指しして、9・30決起が反CIA勢力すなわちインドネシア共産党側によるものであることを「印象づける」効果があったというわけでしょうか。

 <つづく>
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インドネシア9・30から垣間見る「東アジア(東北・東南アジア)の世界史」。#02 (薩長公英陰謀論者)
2014-06-02 03:32:28

(2)英国(国際諜報機関MI6)の関与。米国との「協力」ないし「対抗」関係はどのように。

 英文 Wikipediaにおいては、9・30事件について、現在に至るインドネシア政府の公的見解であるインドネシア共産党首謀説に続いて、インドネシア国軍内部の派閥抗争説と米国関与説を紹介し、続けて、英国による心理工作と題して相当以上の叙述をおこなっています。1997年に暴露記事が出て、マクミラン首相がスカルノ失脚工作を決断し、ウィルソン首相が実行したのだと。1962年のCIAメモランダムによれば、マクミラン首相とケネディ大統領が状況と機会を見てスカルノ大統領を始末する( liquidate )ことに同意したことを示していると。ただし、この主張を裏付ける文書はないとのことですが。

 倉沢愛子著『9・30世界を震撼させた日』によれば、諜報活動研究の専門家ポール・ラスマールの共著を参照してこのように( Lashmar, Paul & James Oliver " Britain's Secret Propaganada War ", Sutton Publishing, publishing year unknown ):

 ・・・マレーシア問題で悩まされていたイギリスは、すでに1963年のマクミラン政権時代から、スカルノ追い落としに向けての工作を開始しており、9・30事件の第一報を受けて、このチャンスを利用しようと直ちに工作を開始した。・・・10月15日に、外務省情報調査局の高官で宣伝工作の専門家であったノーマン・レッダウェイを、10万ポンドの資金を持たせてシンガポールへ派遣した。レッダウェイの活動の中には諸外国のメディアを反スカルノの方向へ誘導することも含まれていた。・・情報が政府から出たものではないように装うために「ザ・タイムズ」「デーリー・メール」などの新聞やBBCを活用した。彼が接近したのはBBCのローランド・カリスという記者だった。・・・彼はレッダウェイの本当の使命を知らないでやっていたと述懐しているという。

 ・・・イギリスの宣伝工作の中には、スカルノがいかにひどい人間かを書いた手紙を入れた瓶をサラワクで川に流す、月の出ていない夜ジャワの南海岸にゴムボートで上陸し、中国人がスカルノに影響力を行使しているという印象を与える・・・・といった方法もあった。

 とのこと。さすがイギリスです。表面化したのは事件発生の後の宣伝工作官派遣だけとは。

(3)倉沢愛子氏が、英文 Wikipedia の「米国黒幕説」のソースを参照していないのはなぜなのだろうか。

 英文 Wikipedia は、「Suharto with support from the United States」という項目を設けて、もと外交官でUCバークレーの教授であったピーター・デイル・スコット氏の「米国黒幕説」を紹介しています。9・30決起部隊がスハルト将軍の戦略予備軍の拠点を占拠しなかったこと、スハルト派ではない将軍たちだけが連行されていること、決起部隊のうち三大隊が、スハルトの指揮下にあって米国で訓練された要員からなっており、決起中の行動に不審なところがあること、将軍たちの殺害がわざわざインドネシア共産党メンバーが訓練されていた空軍基地近くでなされていること、インドネシア陸軍は米軍から訓練や航空機の提供を受けてきたことを指摘しています。

 Wikipediaは、この項目の最後に決起首謀者の一人であったラティフ大佐が事件前夜にスハルトを訪ねたことが明らかになったことをつけ加えています。

 スコット氏の論点とCIAの関与については:
 http://www.namebase.org/scott.html
 http://www.namebase.org/kadane.html
 を見なければなりませんが・・・

 前掲、倉沢愛子氏『9・30 世界を震撼させた日』(2014年)は相当量の参照資料をを掲げているのにかかわらず、」なぜかスコット氏の所論への言及はありません。それは措いて、同書からの<孫引き>をしますと:

 アメリカやイギリスは、国軍が単に事件の首謀者を粉砕してけりをつけるだけで終わってしまうことを何よりも恐れており、この機会にインドネシア共産党一掃にまでいたることを望んでいた・・・(同書;p142)

 アメリカのグリーン大使は、「インドネシア駐在公館の規模を縮小しており大量虐殺については直接情報確認ができなかった」と述べた・・・(同書;p143)

 ( Bradley Simpson によれば)虐殺に対するアメリカ政府の反応は熱烈( enthusiastic )であった。ワシントンは、まさしく虐殺がスタートしたとき国軍に援助を供与し始めた。・・・役人は誰一人として公的にも個人的にも殺戮に対する懸念を表明したものはいなかった。「我々の政策は沈黙である」と安全保障問題担当大統領特別補佐官のロストウは大統領あてに書いた。(同書;p144)

 のちに明らかにされたところに当時ジャカルタのアメリカ大使館は、インドネシア共産党一掃作戦をたやすくするために自分たちが作成していた党員5000名の名簿をインドネシア国軍に提供したという。(同書;p144)

 アメリカ大使は「インドネシア共産党の罪、裏切り、残虐性についての物語を流布する秘密の宣伝活動こそが今一番必要とされている緊急援助だ」と促した。・・・アメリカはまた事件の背後に北京がいたことをにおわせるような宣伝を行い、結果的に中国系住民への攻撃を誘発したので、インドネシア国軍はそのあまりに耳障りなトーンを案じて、「復讐を求めているということをあまり不当に強調しないでほしい」ろ申し入れたほどであった。(同書;p149)

 とのことです。「アクト・オブ・キリング」に直接手を下した人びとはみごとにあやつられて恐怖の大虐殺を演じたわけで、そのあげくにインドネシアの社会全体を殺してしまった・・・ということになったと思います。息を殺して生きる社会に。あまりに無惨な。

 虐殺に対して一貫して公然と非難を続けたのは中国のみで、ソ連はインドネシアへの投資を復活させて債務の返済を求めることを優先して、1966年になって非難声明をだしたものの、インドネシア共産党員を大使館に保護するようなことは避けた。ジャカルタに総領事館を持っていた東ドイツは北京派のインドネシア共産党を「極左」とし、その体質から9・30決起に関わっていた可能性はあると見ていた。(同書;p148)日本共産党は北京訪問の結果、9・30事件は北京があおったものだと確信して批判的になり反虐殺キャンペーンを組織することはなかった。(同書;p146)

 ・・・ということです。中ソ論争による亀裂とインドネシア共産党ならびにスカルノの親中国(毛沢東)路線が、もたらしたものであるとは言え(人間とは)やはりそういうものなのでしょうか。

 インドネシアの事態については、朝日新聞、読売新聞、赤旗が現地取材にもとづき大きな写真入りで相当詳細な報道をおこなったとのこと。(同書;p145)しかし、西側諸国同様に世論は喚起されなかったようです。「反共勢力と共産勢力の衝突」となれば沈黙を?

 すみません、タイトルが羊頭狗肉となっても、もうこれ以上あとをつづけることはできません。気を取り直してまた・・・。
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返信遅れてすいませんでした ()
2014-06-08 21:50:01
薩長公英陰謀論者さま

 詳細なレポートありがとうございました。倉沢さんの著書、私はまだ読んでいないのですが、どうも記述に遠慮があるようですね。真相の解明が進むのはこれからだと思います。

 佐藤栄作がポケット・マネーから600万円を出して虐殺支援というのは、意味不明な感じもしますが、お兄さんの岸信介もCIAのエージェントであったことを考えれば、CIAから揺さぶられてカンパをしてもおかしくないかも知れません。

 オバマ大統領自身、9・30事件の2年後にインドネシアにわたり小さいころはインドネシアで過ごしていますので、クーデターへのCIAの関与のこともよく知っています。たしか、著書の『合衆国再生』では、インドネシアの軍事クーデターにアメリカが支援したことへの反省も述べられていたと記憶しています(同書を古本屋に売ってしまって正確に引用できませんが・・・・)

 オバマがその気になりさえすれば、真相の解明などすぐにでも進むと思います。

 ネットで調べたら、オバマのお母さんがインドネシアにいたとの理由も、CIAのエージェントとして反スカルノのクーデターに関与していたのだという説もありました。真偽のほどは定かではありませんが・・・・。以下です。これが事実であれば、ケニアとインドネシアに親族がいるオバマの複雑な出自に関する謎はとけます。http://plaza.rakuten.co.jp/historeview/diary/201205230000/
 
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関様、驚くべき事実をありがとうございました。オバマ大統領の背後の絵が・・・ドラマチックで衝撃的ですが、おそらくじつにそのようなものなのでしょう。ゆっくり追いかけてみます。 (薩長公英陰謀論者)
2014-06-08 23:26:02

 関様、アメリカとそしてアベ日本を見抜く、きわめて重要な暗号とその解読法をありがとうございました。関様のコメントをいただく前に書いていた「9・30と大虐殺」に関するコメントを、時宜おくれと冷や汗をかいてあえてそのまま後に投稿させていただきます。どうかあしからずよろしくお願いいたします。

 なるほど、されば、密約付きの沖縄「返還」を果たす佐藤栄作に対するCIAからの「踏み絵」がインドネシア大虐殺「協賛」だったのではないかと思います。

 オバマ大統領の出自の問題・・・父母とも「CIA絡み」ということで、ハワイからの黒人大統領の誕生という背後の事情について興奮気味に考えさせられます。オバマ大統領が、米国ネオコンのマリオネットである安倍首相と一線を画する「事情」を含めて。ダメもとで追いかけてみます。自分の出自にかかわることですから、オバマ大統領が在任中に「インドネシア9・30と大虐殺」の真相究明に乗り出すかどうか。ひょっとしたら、スノーデン問題と並べて辞任後に、と期待します。

 取り急ぎ、「重大発表」のお礼を申し上げます。ことのスケールがはるかに大きくなりました。腰を抜かしています。
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関様の本記事のタイトル通りの展開に向かっているのでは。そしてそれでもなお語られないであろう仮説以前のこと。 (薩長公英陰謀論者)
2014-06-08 23:31:19

 関様、先週の投稿コメントで触れました三つの疑問を解く仮説を千鳥足で追いかけました。その前に:

 インドネシアの「隣国」オーストラリアのメルボルン大学で、インドネシア軍と大量虐殺との「関連」をテーマにした博士論文に取り組んでいる Jess Melvin さんによる記事を、あの「アル・ジャーラ」が2013年10月07日付けで紹介しています。 

http://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2013/10/remembering-indonesia-bloody-october-2013102102543946665.html

 タイトルは、「Remembering Indonesia's bloody October The Indonesian government should apologise and acknowledge the military's mass killings during the New Order era. 」というもので、この記事の筆者による見方( view )は筆者自身のものでアル・ジャーラの編集方針によるものではないという断り書きが付いています。

 Jess Melvin さんは「スハルト側が『9・30決起』の声明がなされるまえに既にインドネシア共産党に対する攻撃を開始していたことを含めて、大量虐殺はインドネシア国軍が起こし、組織したものである」ということを明確にする相当の証拠文書を把握したように思われます。なお記事中には、軍による「 death map 」が存在したことへの言及があります。

 この記事は、関様が本ウェブログ記事のタイトルに掲げられていることと軌を一にする言葉で締めくくられています。この大虐殺を歴史的に評価しようとする機運が盛り上がりつつあり、オッペンハイマー監督の「アクト・オブ・キリング」がインドネシアでフリー・ダウンロードできるようになったことがそれを加速するだろうと。

 で、この記事の冒頭に掲げられた「スハルトの写真」、画面の中央に大きく写っているのはかの佐藤栄作元首相ではないかと思えます。インドネシア政府から叙勲されたのでしょうか。空似でしょうか?

     ☆☆☆

 さて先のコメント投稿において、抱えている疑問点として報告いたしました三点のうち(1)と(2)は一つの仮説の設定によって解くことができるだろうことに思いいたりました。当時の国際情勢、東西冷戦の中での中ソ対立とじつは米国の対中国局地戦でもあったベトナム戦争を睨んだ、英国/MI6部門による世界史的な意味を持った、そして自らは直接手を下さない、いわゆる「偽旗作戦」のオペレーションであったのではないかと。

 すなわち、スハルトを動かし、米国/CIAを巻き込み、毛沢東中国を牽制しつつ「利用」して、東南アジアにおける経済権益の確保を含む、東南アジアからオセアニアにまたがる「反共西側体制」を確立するための「スカルノ失脚とインドネシア共産党殲滅、中国/華僑勢力の一掃」作戦であったのではないかと思います。
 東方世界の歴史的画期となった、アラビアのロレンスを看板にしてアラブ民族の反乱によりオスマン帝国を葬った作戦、現代世界史をつくり出したとさえ言える、イギリスが深く関わったと思われるイスラエル建国工作、こういうレベルの「高度な」オペレーションに並ぶものではないでしょうか。火のない煙以前の勝手な憶測なのですが。
 トンキン湾事件しかり、イラク大量破壊兵器保有疑惑しかり、短兵急で力ずくで、時間の経過とともに底が割れてくる米国/CIAの仕業ではないような気がするのです。

 いきおいでまったくの余談(「予断」)ですが、薩英戦争(1863年)、下関戦争(1864年)、パークスによる薩長の江戸攻撃阻止(1868年)と、関様が下関戦争がアジア地域での自由貿易の確立のための関税改訂をねらったものであったことを見抜かれましたが、これを典型として、視界を広げてよく見ると隠された経済目的が遠近に浮かび上がる英国の一連の直接関与を考えると、明治維新が、その後半世紀あまりの英国の東洋戦略のキー・ストーンをつくりだし、経済権益の拡大をめざすためのいわゆる「偽旗作戦」であったと言えると思えます(慎重に言いますと、その一面が厳然としてあると)。脱線ご容赦を。

 『9・30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』(倉沢愛子、岩波現代全書、2014年)は「9・30決起」について、五説あるとしています(同著;p78~83)。第一に、インドネシア政府公式見解で正史となっている「インドネシア共産党陰謀説」、なおこの流れで毛沢東中国がその背後にあったとする説があります。第二に、インドネシアにくわしい、かのベネディクト・アンダーソンによるインドネシア国軍内部派閥抗争説、第三に、なお根強いスカルノ主犯説、第四に、知って放置したことを含めたスハルト黒幕説、第五に、スカルノ自身はそう受けとめていたというCIA関与説です。CIAは、倉沢氏による当事者ヒアリングによれば、インドネシア陸軍関係者とインドネシア共産党関係者の双方を巻き込んだとか(同書;p83)。
 倉沢氏は、イギリスの関与については、大虐殺に手を貸した米英の情報操作の一環としてイギリスによる国際的な「反スカルノ・キャンペーン」宣伝工作があったことを挙げています(同書;p149~150)。

 スカルノ体制転覆・毛沢東シンパの強大な共産党の根絶やし殲滅、脱中国化・開発独裁体制の確立による規制緩和と国内経済の外資への開放、という動きの「主体」は陸軍を主体とするインドネシア国軍であったことは明らかだと思います。米国はこの国軍に将校の留学や武器の供与を通じて強い影響力を持っていたとのこと。ただし、国軍内部にはインドネシア共産党派(毛沢東派を含む?)とスカルノ派という、反米派が強い勢力を持っていたことを思いあわせますと、倉沢氏の挙げる五つの説がすべて当て嵌まり、絡まりあっていたのであろうと推察することができます。そして、この五つの要素を組み合わせて、共産系農民主導の農地改革に対する反発とイスラム信仰によってドライヴされた大土地所有層を中心にした層の手による(前掲書;p107~108)インドネシア共産党とスカルノ派に対する無慈悲な「一方的」大虐殺パニックへの筋書きを描き得たのはイギリス/かの007のモデルが属した国際謀略機関のMI6ではないかと推測します。

 どう見ても周到に検討・計画され準備されたものとは思えない「9・30決起」の声明で「CIAの国軍への関与」を明示させることによって、上掲の Jess Melvin さんによる記事によれば、これに先行して決起鎮圧の動きを開始したスハルト派に対する米国/CIAのサポートを、米海軍機動部隊のジャワ南岸沖集結( http://tokada.net/mangaku/mg25.html のインドネシアの歴史に関する記述、先の投稿ご参照)を含む大規模で公然たるたるものとしたのではないでしょうか。そして、CIAの持っていたインドネシア共産党情報(党員名リスト)をスハルト派に提供させて大虐殺を発生させたと。
 
 他方で、反スカルノ・反インドネシア共産党の情報工作とともに、この双方が接近していた毛沢東中国を含めて国際的に孤立させるマス・メディアのキャンペーンを組織し、インドネシア大虐殺を「毛沢東共産派vs反共反毛沢東派の衝突」という構図にはめ込み、国内的のみならず国際的な批判の発生を抑え込み,沈黙させたと。いかがでしょうか。英国/MI6側であれば、どのようなことを考えるだろうかという想像にすぎませんが。

 それはそれとして、多数のスハルト派・CIA・MI6「工作員」がインドネシア共産党内に存在したとしても、なぜあれほどのワン・サイド・ゲームでインドネシア共産党が殲滅されたのか、あれだけの組織を持っていて物理的・政治的な反撃を有効に組織することがどうしてできなかったのか、という謎が強く残ります。軍による直接的な弾圧ではなく「民によるパニック的攻撃」が組織されたことが原因であろうかと思いますが、インドネシア共産党の指導部そのものに裏切りを含めて強力な「工作員」が長く送り込まれていて、1965年10月にはじまる攻撃と虐殺への反撃を党内部から混乱無力化させ封じ込めたのではないかというのが定番の推測になるわけですが。

 いずれにせよインドネシア国民による同国民の虐殺を引き起こした 「共産主義者狩り」は「逮捕は、1968年に南ブリタルの拠点に立てこもって最後まで抵抗を続けたインドネシア共産党関係者が一斉に捕まったのを最後に、少なくなったものの、散発的には1970年代初頭まで続いていた(前掲書;p207)」とあるように長く続きました。スハルト政権の開発独裁による「経済発展」にかかわらず人びとの心は深く傷つけられたままで、不安や猜疑が渦巻き、人間が人間らしく暮らす社会としては回復不可能なほどの機能不全に陥ったようです。「9・30とそれ以降」のオペレーションを考えた人たちは、その結果このような事態となると想像することができなかったのでしょうか。当然ながら事態の推移をトレースしていたであろうと思われますが、かような状況の進行をどこかで食い止めようとしなかったことの背景には、アジア「人種」に対する差別的偏見があったのであろうと思ってしまいます。と同時にスハルトとその一派の貪欲で偏狭な利己主義と資本への拝跪、それに人間性の欠如(人間的「教養」の不在)がどこか現在のアベ・シン総統を思わせるようで不安に駆られます。

 最後に、先の投稿で「第三の謎」としましたこと、『9・30 世界を震撼させた日』のために驚くほど浩瀚な文献と一次資料にあたられ、また数多くの当事者へのインタビューをなさった倉橋愛子氏(現在は慶応大学名誉教授)が、カナダ生まれの詩人でカリフォルニア大バークレーで英語を教え、外交官から米国の戦争謀略の研究家となった Peter Dale Scott 氏( 同氏に関する 英文 Wikipedia による)の「米国/CIA黒幕説」(Wikipedia 「30 September Movement 」)をなぜ参照なさっていないのかは推測がつかずにいます。直接にうかがうしかないように思えますが、しかるべき「立場」を全く持っていない当方には到底不可能です。もしもご関心があれば関様の方からコンタクトしていただくわけには・・・と、ふと思いました。
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「インドネシアNOW@日経ビジネス」こんなものを投稿してどうするんだといわれますでしょうが、つい。 (薩長公英陰謀論者)
2014-06-10 18:46:55

 あろうことかたまたま今朝、<インドネシア進出>事業計画策定、赴任者必聴!トヨタほか事例も・・・という「日経BPMail」が届きました。

 大統領の交代でどう変わる!! ~親日経済大国インドネシア~
 世界第4位の人口を持ち、人口構成も若く、安定した政治、この5年間に最も経済成長を達成した国といえるインドネシア。そのインドネシアを政治手腕で牽引してきたユドヨノ大統領が任期を終え、この7月に新しい大統領が誕生します。これまでの政策は引き継がれるのか?成長路線をどう継続していくのか?注目が集まっています。
 ただ一方で、加熱する発展にインフラ整備が追いつかず、物流インフラ、法制度インフラなど、計画通りに進まないインフラ整備がGDPの成長阻害要因になってきました。慢性化する渋滞を見て「進出をあきらめた」という声も出てまいりました。 ただインドネシアの魅力は、単に人口数だけでなく、生産年齢人口の推移、中間層の台頭、GDPに占める内需の割合の高さ、豊富な資源、政治の安定など数多くありますが、いま最も注目されているのが「親日」であるという点です。

 <引用以上> ・・・と、なるほど(ため息)。日経BPにはわるいですが、その気になっても読みようによっては「進出は急がず待つべきである」ということになるかと思われる口上に続く、「第4期インドネシアビジネス基礎講座」の各講座内容から強引に抜粋引用しますと:

http://business.nikkeibp.co.jp/nbs/nbsemi/nesia/business/140710/index.shtml

 同国経済の発展のカギを握るのは、民主主義を貫き、雇用を創出し続けることができる政治・行政体制を維持・拡充できるかにかかっている。・・・政治と経済で棲み分けていた華僑とプリブミの垣根が低くなり中国企業やプリブミ企業がどのように変貌していくのか。・・・世界第4位の人口を持つインドネシアは近年、高い経済成長率を達成し、確実に大国への道を歩み始めているように見える。豊富な資源に頼らず、GDPの7割は内需が作り出しており、景気の好循環も生まれている。・・・製造業の生産性向上はまだまだこれから。・・・インドネシアを過去の中国のような「世界の工場」としてのみ捉えていては、アジアでの飛躍はありえない。中間層の台頭で魅力ある市場となりつつある同国で・・・ジャカルタを中心とした東ジャワに消費も生産も集中する同国だが、地方でも独自の発展を目指し着実に実現させている。・・・タイ財閥や韓国企業など、アジア企業も着々と進出を進めている。

 成長著しいジャカルタ首都圏。ここにはマレーシアの人口に匹敵する2600万人余りの人が住み、1人あたりGDPは1万ドルを超え、インドネシア平均の3倍とも言われ・・・

 <引用以上> ・・・長らくなじみの(すみません少なくとも当方には)「日経的」に描かれた、このいかにものピクチュアの裏に「ほとんど伐採され衰亡した熱帯雨林と、失われた太古以来のゆたかな自然」が透けて見えるようです。
 いわゆる新自由主義支配のもとで、都市と地方の格差、都市の中での貧富の差の拡大、それに遺伝子組み換え作物の蔓延と農村の飢餓、それにエネルギー確保のための原発建設の推進・・・は、おそらくは相当にすすんでいるのではないかと推察します。
 が、日経的には、「製造業の生産性向上はまだこれから」という魅力的なところで「<世界の(=米欧日の)工場>としての中国モデル」を追わない、ということはまさか、インドネシア発「アジア共同体」をめざすべきだと考えているのでしょうか。
 いえ、関様に投げていただいていま覚束なくトレース中の「バラク・フセイン・オバマ」のルーツという問題から単純に類推すれば「アフリカ・アジア共同体」という青写真を描くことができそうに思えます。
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真相解明 (春子)
2015-08-16 10:19:02
大前春子さんのお爺さんって佐藤栄作総理の同僚でしたよね?
1964年に芦屋精道町8の豪邸を突然売却した理由は
なんだったと思われますか?
風船アイスの特許まで売却したらしいのです。
今でも風船アイスって売れてるのにどうして売ったりしたのかな?まさかクーデター?
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