代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

マルクスから孫子へ: 共産党問題再論

2007年01月17日 | 運動論
 日本共産党が、民主党を「もう一つの自民党」と決め付け、「政権共闘はもとより、国政選挙での共闘も問題になり得ない」と表明していることに関して、参院選での与野党逆転を願っている多くのブロガーのあいだで大きな失望感が広がっています。私も心の底から失望しています。メンフィスからの声さんは志井委員長の幹部会報告での発言を引用して、「まったくため息をつくしかない」と書いていました。全く同感です。

 私も昨年4月に書いた「日本版『オリーブの木』の可能性」という記事で「民主党、共産党、社民党、国民新党、新党日本は、<反従米・反市場原理主義>の一致点で共闘すべきだ」という趣旨のことを論じました。その記事の中で、「共産党幹部は『孫子』でも読んだ方がよいのではないか」という趣旨のことも書きました。おりしも、NHKの大河ドラマで、孫子の兵法を活用した甲斐の武田軍団を描く「風林火山」が始まりました。それに因んで、この問題をもう一度論じてみたいと思います。

 日本共産党の学習文献には、マルクス、エンゲルス、レーニン(最近レーニンは減ってきたのかも知れませんが事情は良く知らない)などの古典ばかりがズラーッと並んでいます。『孫子』は当然ありません。
 そして、マルクスやエンゲルスの古典の理解力(=暗記力?)に優れた人々(=信じ込みやすい人々)が、「優秀」と評価され、党の幹部へと出世していきます。従順で、十分な批判能力を持たない受験エリート的な意味での秀才ばかりそろえると、組織そのものは劣化していくというのは、共産党にも霞ヶ関にも朝日新聞社にも共通していえることかも知れません。
 
 さてここで、私が根本的に疑問に思うのは、「そもそもマルクスに学ぶべき運動論などあるのだろうか?」ということです。だって、運動の仕方をマルクスになど学んだら、実際の社会運動では負けるに決まっているからです。
 マルクスは学問的な業績は多かったのかも知れませんが、肝心の社会運動の側面ではまともな成果など何も残していません。私はマルクスの経済学にも哲学にも歴史理論にも多くの批判を持っていますが、とりあえず百歩譲って、マルクスが優れた経済学者であり、哲学者であり、それらの古典を学ぶことは重要であるとしましょう。そうであっても、「マルクスが優れた社会運動家であった」とは、よほどのマルクス・ファンであっても主張できないでしょう。
 
 マルクスは「自分だけが正しいんだ」という態度で、たとえばプルードンのように、本来は当然に共闘すべきと思われる人々をも、口をきわめて罵り、徹底的に批判し、敵に回して行きました。そのくせ、「アソシエーション」のような重要概念を、ちゃっかりプルードンからパクったりしているのです。(この点は、柄谷行人『世界共和国へ』岩波新書、を参照)
 国際労働者協会(第一インターナショナル)においても、マルクスは自分の主張を押し付けようとばかりして、他の派閥の怒りを買い、ついにバクーニン派と決定的に対立して第一インターナショナルそのものを崩壊させてしまうのです。マルクスは運動の組織者としても、運動の戦術家としても全く才能がなかったといえるでしょう。

 「マルクス主義」を標榜する世界各国の共産党は、イタリア共産党のような例外を除いて、基本的にこのマルクスの独善性を継承しました。自分たちのみが労働者階級を代表し、大衆をリードする存在なのだという妄想の上に成り立つ「前衛党」理論がそれです。日本共産党はこの妄想を破棄すべきでしょう。手始めに、月刊誌の名前を『前衛』から『市民』にでも変えてみては如何でしょうか? 
  
 日本共産党の選挙「戦術」は、勝ち目のない選挙区に無為無策のまま「万歳突撃」を繰り返しているだけで、ほとんど旧日本陸軍の愚かな姿とダブって見えるのです。
 その万歳突撃が、自民党政権を延命させるだけの利敵行為であると多くの人々が感じて共産党を批判しているのに、それに耳を貸そうとしないのも、「党益=国民益」と主観的に信じ込む前衛妄想に囚われているからでしょう。党幹部の認識は、市民意識から決定的に乖離しているといってよいでしょう。市場原理主義によって貧困化を強いられ、辛酸を舐めている人々の気持ちを、東大卒の共産党のエリート幹部たちは、親身になって理解してはいないのでしょう。

 日本共産党が民主党と協力するということは、中国共産党が「抗日」の一致点で中国国民党との合作に踏み切った故事を思い出せばできることだと思います。中国における国共合作は「抗日」の一致点でしたが、日本における「民共合作」は、「自民党政権を終わらせる」の一致点でよいのです。お互いに矛盾を抱え、対立しながらも、それのみを一致点として協力できるはずです。

 毛沢東は、『矛盾論』の中で、国民党とは「闘争しつつ連合する」という、弁証法的な含蓄のある表現を使っています。何故、日本共産党は「民主党と闘争しつつ連帯する」という戦術を採用できないのでしょうか。「国民党と対立しながら合作する」という戦術を採用できた辺りが、毛沢東が孫子をよく理解していた優れた戦略家であったことを物語っています。

 毛沢東は、政治家としてはメチャクチャでしたが、ゲリラ戦の指導者として優れていたことは確かだと私は思っています(ユン・チアンさんは、それも否定しているようですが・・・)。
 そして、毛沢東が権力を取れたのは、マルクスを読んでいたからなどではなく、孫子などをよく読んでいたからではないかと思うのです。ちなみにホー・チ・ミンも孫子を愛読していたそうです。

 毛沢東は、『矛盾論』の中で、『孫子』や『水滸伝』には弁証法的事例が沢山あるとして、以下のように述べています。

<引用開始>
 孫子は軍事を論じて、「彼を知り、己を知れば、百戦するも危うからず」と言っている。彼が言っているのは、戦争する双方のことである。唐代の人、魏徴は「兼(あわ)せ聴けぱ明るく、偏り信ずれば暗い」と言っているが、やはり一面性の誤りであることが分かっていたのである。ところが、わが同志の中には、問題を見る場合、とかく一面性をおびる者があるが、こういう人はしばしば痛い目にあう。『水滸伝』では、宋江が三度祝家荘を攻撃するが、最初の二回は状況も分からず、やり方もまちがったので敗北する。そののち、やり方をかえ、状況の調査からはじめたので、迷路にも明るくなり、李家荘、扈家荘、祝家荘の同盟も切りくずし、また敵の陣営内に、外国の物語にでてくる木馬の計に似た方法で伏兵を入りこませたので、三回目には勝利した。『水滸伝』には、唯物弁証法の事例がたくさんあるが、この三度の祝家荘の攻撃は、そのなかでも、もっともよい例の一つといえる。(『毛沢東選集 第一巻』(日本共産党出版部、1965年より)。
<引用終わり>

 ものごとを一面的にしか見れないのは、日本共産党も同じです。自民党と民主党のあいだに明らかな政策的違いがあるにも関わらず、「もう一つの自民党」と平然と言ってのける辺りが、いかにもマルクス的で、非孫子的なのです。
 マルクスは、口では「弁証法」と言いながら、プルードンやバクーニンなどの論敵に対しては、全面的に屈服を強いただけで、「論争しながら連帯する」といった弁証法的な関係はちっとも築けませんでした。
 
 ちなみに、毛沢東と同じく孫子を愛読した武田信玄にも、『水滸伝』の宋江のようなエピソードがあります。信玄は若い頃、北信濃の大名・村上義清を単純に力で攻めて、手痛い敗北を二度喫しています。1548年の上田原の合戦と1550年の砥石城攻め(世に言う信玄の砥石崩れ)です。信玄の生涯における敗北はこの2回だけなのです(余談のお国自慢ですが、信玄敗戦の戦場は双方とも私の故郷の上田市内にあります。のちに徳川軍も上田を二度攻めて二度とも敗北しているのですが、武田信玄も上田を二度攻めて二度とも敗北しているのです)。

 さて、力攻めでどうしても落とせなかった砥石城を、頭脳作戦で乗っ取ったのが、新しく武田に召抱えられた新参の真田幸隆(昌幸の父で、幸村の祖父)でした。幸隆は、城の内部に内通者をつくり、内側からかく乱するという調略を用いて、味方の兵を損なうことなく、いとも簡単に砥石城を乗っ取ってしまうのです。幸隆の戦術はまさに孫子的でした。多分、大河ドラマの「風林火山」でも、上田原の合戦での敗北から真田幸隆による砥石城乗っ取りの辺りは、ドラマ前半戦の大きな山場になることでしょう。もっとも主人公が山本勘助なので、幸隆に戦術を入れ知恵したのは、じつは勘助だったというストーリーになるのかも知れませんが・・・・・・。

 真田幸隆による砥石城乗っ取り以来、武田信玄は、無理に力攻めにせずとも、調略を用いれば城を落とすことができるという事実に気付きます。そして信玄は、外交や調略を駆使して敵陣営を切り崩すという孫子的な兵法を、実践を通して習熟し、それを得意とするようになるのです。

 日本共産党も、これだけ実践で失敗しまくっているのですから、旧日本陸軍のような「万歳突撃」路線からは決別すべきではないでしょうか。
 民主党も、もう少し調略をうまく使いこなすべきです。自民党の造反派など、うまく調略を用いることができれば、取り込めたはずだと思います。

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3 コメント

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陣中見舞い? (馬油)
2007-01-19 23:22:13
オリーブが孫子の兵法で結実すると良いですね。
ご健闘をお祈りします。
返信する
本当にその通りですね (memphis)
2007-01-21 17:41:29
TBをありがとうございました。
いつもながら勉強になります。
孫子をちゃんと読んだことはないのですが、「たたかいに」必要な普遍的なことを教示しているということでしょうか。
民主主義の観点からは問題だらけのレーニンの戦術でさえ、マルクス主義の「観念的な正しさ」(「左翼小児病」)を打ち破る柔軟性があったように思います。
旧陸軍もそうですが、勝つために何が必要か合理的に考えるというところがない精神主義は、困ったものですし、危険ですね。
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馬油さま、memphisさま ()
2007-01-22 17:31:13
 コメントありがとうございました。

 孫子の全文は下記のサイトで読めます。
http://maneuver.s16.xrea.com/cn/sonshi.html

 戦後の日本では、「孫子」というと企業経営に活かせるというので、専ら企業経営者に愛読されました。
 「敵」が孫子を読んでいるのですから、マルクスばかり読んでいた日本の労働運動が経営側に負け続けたのも、もっともな事だと思います。
 
 孫子は単なる軍事論ではなく、政党政治家が読めば選挙戦に活かせますし、経営者が読めば経営に活かせ、さらに運動家が読めば社会運動に活かせるという性格のものです。
 
 また、時間があればこの問題を論じたいです。  
 
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