もう1ヶ月以上前になるのですが、
播州の西方、英賀の神社の光景がまだ、印象深くこころに残っています。
この写真の場所は、神社の本殿の手前にあって
本堂とは違う空間です。
まぁ、屋根の付いている大きな舞台のようではある。
周辺の地盤面からは、3段くらいの上り階段でここの平面に至る。
梁や天井空間一杯に、奉納の絵馬や額の類が
所狭しと満艦飾に飾り立てられている。
それらには統一性は特段なく、それこそさまざまな絵柄、文字面が
見るものに、一気に迫ってくる。
時代背景も、描写テーマもまったく違っていて、
それこそ、民衆的なパワーがまざまざと伝わってくる感じがする。
ここの空間には、神様はいないと思われる。
英賀というのは、
石山本願寺への補給基地機能をいちばん担っていたようです。
一向宗の西国における一大拠点だった。
どうもこの「御堂」は、
そういった歴史背景を表しているのではないか。
ありようが、どうも権威的ではなく、
より民衆的というように感じられる。
まったく、その成立の思想がほかとは異質な物のように思われるのです。
本願寺と織田氏政権、秀吉の征服事業などとの戦いは
戦国期でも最大の「天下分け目」であった。
広い境内の中に、この舞台のような場所が
かがり火の中に浮かび上がり、そして民衆の代表者たちが
どのように織田軍と戦うか、大衆集会を行っていたのではないか。
そういった余韻のような感覚がこの場所から
立ち上っているような白日夢を感じています。
単純に、民衆対専制との戦い、というものではなかっただろうけれど、
擬制的には、そういった見方もありえるような、
そういった光景が、ここには遠く残されているように思われます。
明確にこれはなになにの、という来歴がはっきりしないだけに
そうならざるをえなかった背景を想像力に伝え
むしろ強く残し続けてきた遺構なのではないのでしょうか。
どうも、強く惹かれ続けている場所であります。