ここのところ、夏らしい日が続いています。
きのうなぞ、坊主は友人たちと学校帰りに海に日焼けに行っておりました。
まぁ、もう少し前までは、こどもたちを海に連れて行くのが
夏の定番で、そうやって楽しんでいたのが、夢のようですね。
でも、それはそれで、自然に親しみたいなと、
気をつけて見ております、札幌の街の中。
札幌って、わたしが小さい頃には
木の香りが街中に漂っている街だったのですが、
この40~50年間、大都市化、近代化する過程で、
どうも、そのあたり、大変怪しくなってきていると実感します。
以前、知り合いの石出和博さん(HOPグループ代表)が言っていたのですが、
札幌って、街の緑が少ない代表格になってしまっているそうなんですね。
東京は、過密が問題にされるけれど、
広大な皇居があり、街中には神社や仏閣施設も多く保存されて
緑が存続する環境は維持されている。
そして、民間の建築でも寸土の土地にも緑が意図的に配置されている。
人間が行動する範囲で、白茶けた土ばかりっていうような
そういう殺風景な風景は許されないような雰囲気、文化が存在している。
それに対して、札幌は、弛緩していて
一面、強い陽射しが照りつけている中で
日射を避けるべき基本的な工夫である
樹木が作り出す「木陰」が存在しない。
さらにそういう樹木育成に対する感受性の鈍感さは、比類がない。
まことに生活文化として恥ずかしくてたまらない。
そういうなかでもどうも、行政の側の怠慢ぶりというものは甚だしい。
たぶん、本州以南の地域の行政の基本スタイルが
札幌でもやられているのだと思うのですが、
本州以南の緑と北海道の緑は違いがあると思われます。
本州以南は高温多湿であり、ほっておいても緑は繁茂しやすい。
しかし、北方圏の緑は、管理していかないと、
一度切られた植生は、なかなか自立的には回復しない。
札幌の街中には、大通公園もあり、植物園もある。
けれど市街地になったら、ほとんど緑の空間、
植栽を心がけているような街路にはお目にかかれない。
住宅地に於いてはさらに決定的に緑が不足している地域が多い。
「開拓」ということが、木を切り続けることだ、というような
そういった無思想な気分が継続しているような思いがします。
わたしたちの年代、世代がこういう気分のままに
この街の雰囲気を継続させてしまったように反省しています。
どうすべきなのか。
そんなことを考えはじめています。
で、札幌の木ってなんだろうと考えてみています。
そしてその先に、「札幌らしい」木造住宅の素材、質感、などなど、
たくさんのテーマがあると思っています。
札幌らしい木ということで調べてみたら、
昭和35年に選定されていて、市民の投票では、
1 ライラック 2 アカシア 3 ポプラ 4 シラカバ 5 ニレ
っていう順番だったのだそうです。
この選定はどうも、印象としての「札幌の木」だったようで、
やや観光的な側面も意識しているように思います。
建築的に、あるいは環境的な見方からすると、
その風土性を表現する木が選定されてしかるべきだと思います。
そのように考えれば、この順番の中で
一番有用性が高い樹種は、あきらかにニレですね。
英語名では「エルム」。この木をこそ、札幌市は意識しなければならない。
<長くなりそうなので、明日以降に続けます>