この絵は、アイヌの人たちの風俗を描き続けた小玉貞良さんという絵師の方の筆。
古代蝦夷風俗之図(小玉貞良画)
アイヌの長老たちが松前城にウイマム(お目見え)に至る図。
小玉は18世紀中葉のもっとも古いアイヌ絵の画家であった。
当館北方資料室所蔵原画より複製。(貞良 宝暦年間頃活躍)
こういう絵画というのは、いろいろなことを教えてくれる。
アイヌの人たちは文字を記録しなかったので、
その生活文化を表すよすががない。
そうした隙間を埋めてくれるのが、こういう絵。
日本の国家は、律令制時代の対・蝦夷以来、
伝統的に、「まつろわぬ」人々に対して「教化」するように
かれらを招いて、文化に触れさせる儀式を行ってきた。
小さい「外交」ともいえる。
で、それに招かれたアイヌの人たちを描いている様子。
アイヌの人たちにも階級分化があって、立派な蝦夷錦を着た
酋長と、その夫人、こどもと
従者と思われる荷物を背負った人物が表現されている。
アイヌの人たちは活発に交易していたようですが、
その着ている蝦夷錦も北方アジアの民族から手に入れた中国の官服生地。
肩からは、たぶん、日本社会との交易で得られた日本刀を背負っています。
従者が持っているのは、交易の品であるのかも知れませんね。
一方で、こうしたアイヌの人たちを描いて記録した
絵師というような職業が、少なくとも松前では成立していた。
このひとは、継続的に作品を残し続けているので、
ほぼそのような職業であったことはあきらかなんですね。
たぶん、松前藩のほうから、
「今度、アイヌの連中がやってくるから、記録にするので絵をひとつ頼むよ」
というような注文を受けて、描いたものでしょうね。
出来上がった作品は掛け軸にして
場合によっては、松前藩から幕府や、京都など上方に献上されたかも知れない。
たぶん、上方や江戸などでは、こういう異国情緒が好まれるだろう、
というような計算が働いていたに違いないと思います。
そういう「交易関係」がこうした絵が生産され、残ってきた背景にあるのでしょう。
いろいろな想像を掻き立てられる絵でした。
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