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にんげん

2012-03-17 21:17:18 | Weblog
“にんげん” 小学生のころの道徳の時間にこんなテキストがあった。
今の学校にもあるのだろうか。 今回は 道徳についての独り言だ。

今朝の新聞で、現在の日本での暴走族グループは統計によると
80年代ピーク時の3分の1に減少しているという記事があった。
急速に減った理由として、厳しい処罰になったこと、改造するだけの費用が
捻出できないといった理由の他に、厳しい上下関係が嫌という理由もあるとのこと。
そして昔みたいに特攻服で統一された集団でなく、普段着で、しかも
仲のよい友だちと走る感覚でいる傾向が現代暴走族の姿と書かれていた。

一見、この記事は世間では不良とされてるグループが無くなっていることを
賛美するような話に見えるが、 正直私にとっては、このような世界にまで
現代人の風潮が波及しているのかと、これからの社会にいささかの不安をもってしまう。

この意味が どういうことか・・・

世間でいう一般社会の道徳に馴染めない連中はいわゆるアウトローな者とされているが、
ひと昔前では、そのような者たちが、反社会的な行動をすることに憧れやカッコよさを
求めて、暴走族や愚連隊などを結成したのである。
バイクを改造するにも先立つ費用が必要なら、そのために懸命に働いて稼ぐ。
そして彼らの世界には彼らの規律があり、仲間内での上下関係であり、協調性であり、
統率性である。そして暴力の中で生きることで、身体的な痛みや、精神的な仁義を身を
もって学んでいく。そしてグループを引退する時には、気づけば、落ち着いた優しさを
もつ人格者となった者が多い。

上下関係の規律がいや、同じ服を着るのが恥ずかしい、めんどくさい。
現代社会における若者を象徴した理由ではなかろうか。
叱られればすぐ拗ねる。辛いことや疲れることに簡単に背を向け、
忍耐・我慢といったことが、本来の真意とかけ離れたものになってしまう。
上下関係の規律や道徳というものがちゃんとわからないものに、
相手を敬うこと、ねぎらうこと、慈しむこと、等がどのようにできるであろうか。 
一体いつから実直さがみっともない、めんどくさいことになり、
だらしなさが当たり前のようになってしまったのだろう
道義道徳というものはどのようにどこで皆、学べばよいのだろう。。。

『誰も自分に指摘や注意しないから気づかない』…じゃない。
周囲は優しいから言わないのでなく、関係ない人、そこまでいう義理がない人、
どうでもよい人、指摘するとトラブルになるから、という理由がほとんどである。
このような考えをもった人達があふれかえった社会を想像してもらいたい。。。

“自分だけがよかれ主義”“自分のことしか考えない”の者が多くをしめる未来の日本国像を考えたとき、
タメ口社会、クレーマー社会、暴力を見て見ぬふり社会、人の心の痛みを理解できない社会は
おろか、日本の伝統格式といった国體までをも揺るがす事態ではないかと危惧してやまない私である。

この話、意味が理解できない人がいたとしても せめて
私が暴走族の減少を嘆いていると思わないでほしいと思う・・・