歩かず完走しました。
絶好のマラソン日和。
直前まで出走を迷っていましたが、咳もだいぶ落ち着いたし、咳きこむと痛む肋骨もこの日の朝はほとんど気になりませんでした。
「とにかく無理をしない」ということをもう一度肝に銘じクルマで会場に向かいました。
気温は暖かく、朝でも15℃前後はあったと思います。空も雲に覆われ、直射日光にさらされることもなく絶好のマラソン日和。体調さえ万全で
、「きちんと練習を積めていればなあ」と悔やまれました。
開会式でのQちゃんの余りにも元気のよいあいさつに尻を叩かれる思いで、気合を入れ直しスタートの列に並びました。
※西田ひかるさんも2年ぶりの参加。
前半はそれでもサブ4ペースをキープ。
昨年にも増して込み合っている感じのスタート。スタートラインまで2分弱かかりました。
スタートしてしばらくは、動きようのない集団の中で流れに身を任せていたので、
最初の1kmは8分03秒。いくら込み合っているとはいえこのラップは今まででも圧倒的に遅い。
身体が万全で、記録を狙うならいくらなんでも遅すぎてじれていたと思いますが、大して気にもならず。
スタート前から時々咳きこんでいたし、スタート後もどうしても咳は出るので、序盤は特に用心しながら走りました。
ただ、昨日までと違って走りはじめてしばらくしても、咳が肋骨に響くようなことはなかった。2、3日前と比べたら雲泥の差です。
事前の心配は杞憂に終わったのでした。
2km目以降は、昨年より15~20秒遅いラップながら、
サブ4ペース(5分41秒/km)をキープしていけるところまでいこうと思っていました。
今年もこどもたちと連続ハイタッチ。たくさんの笑顔に元気をもらいました。ありがとう!
楽しみにしていた子どもたちとのハイタッチは「いびがわ」を走る最大の楽しみの1つでしょう。
ところがこれが予想外の事態に。
コース右側に並んでいるこどもたちとのハイタッチは当然右手ですることになる。それが骨折が治りかけの右手にはまだ痛くて、最初のハイタッチのあと、一端コースの左側に移動しました。
こどもたちはまた右側に並んでいます。ハイタッチを待ちかまえるこどもたちの笑顔には抗しがたく再びコース右端に移動。
「多少の痛みくらいまあいいか」と開き直り、今年は手を差し出すほとんどの子どもたちとハイタッチできました。
終盤の苦しい場面では特に、今年もこのハイタッチがどれだけ元気をくれたことか。なんなんでしょうね、あの力は。
Qちゃんとも念願のハイタッチ。
昨年は、Qちゃんとハイタッチできたのはハーフ参加者だけでした。
開会のあいさつで「今年は8千人のランナーとハイタッチすることを目標にします」と宣言したQちゃんこと高橋尚子さん。
8.5km、真っ赤な揖斐川大橋の上で待ちうけていました。
Qちゃんと念願のハイタッチ!
この橋から見る揖斐峡は最初の絶景ポイントでもあります。紅葉といい、玉露のように鮮やかな水の色といいやっぱり感動しました。前日に撮った写真ですがご覧ください。
ハーフをサブ4ペースで通過。
折り返しを2時間1分34秒で通過。最初の1kmが混雑のため8分かかっているので、実際には
順調なサブ4ペース。
今回意識した走りの1つは下り坂でしっかりスピードアップすること。
下りの走りがへたくそなために、つま先が前に突っ込んでしまい、爪下血腫(いわゆる黒爪)になり痛みが走りに影響してしまうことがこれまでしばしばでした。
これを嫌がるあまりスピードが出せないという悪循環。
昨年、金さんのランニングクリニックで質問しました。
「『いびがわマラソン』はアップダウンがきついコースなので、目標タイムは普段よりどのくらい落ちると考えたらよいですか?」
金さんの答えは意外なものでした。
「登りではタイムが落ちますが、下りで挽回できるから、それほど大きくタイムが落ちると考えなくてもいいと思いますよ。いびがわでベストを更新するランナーもけっこういますからね」
つまり
、「いびがわ」では下りでスピードが出せないということになるとダブルパンチでタイムが落ちることになるということでもあります。
今回は、
上半身が突っ込みすぎないように身体を立てることを意識し、つま先(もしくはフラット)着地と膝をしっかり曲げるように気を付け、かかとをしっかり後ろに振りぬく「BORN to RUN」仕込の走法を試したつもりでした。
それからシューズもサイズの小さなもので、
ヒール・ロックするひもの縛り方をして臨みました。
完璧な対策を練ったはずでしたが、結果から言うと、これまでにないほどひどい爪の状態になってしまいました。まだまだ意図したとおりに実践できていないということだと思います。
爪がはがれる恐怖と闘う
折り返し直後、携帯したザヴァス・ピットイン・リキッドを半分補給。疲れた体にはおいしい。
さらにエイド(夕日谷)でバナナ、レモン、塩を補給。あんぱんはパスしたんですが、太巻きやカステラは目に入りませんでした。
給食で時間をロスし、初めて
ラップが6分台に落ちました。次の1㎞(23~24㎞)で5分31秒とすぐにペースを取り戻したのもつかの間、
左足の親指の爪が浮いてはがれそうな感触に気付きました。
親指の爪は両方とも爪下血腫の末、爪と肉の間に隙間ができている状態だったので、ここまでの何度かの下り坂でさらに血腫ができた結果、隙間がいっそう広がって爪全体がはがれそうになっているのだと思いました。痛みも徐々に強くなってきていました。
意識的に少しスピードを落とし、つま先に力を入れ足全体を丸めるようにして、親指が靴の先端に突っ込まないように気を付けて走りました。
ところが、しばらくすると今度は
右の親指にも同じ感触が。
「やばい! 爪が完全にはがれたら走れない」
そこからは痛みに耐えつつ、
ひょっとしたら爪がはがれてしまうかもしれないという恐怖におびえながら走り続けることになってしまいました。新たな試練。
「いびがわマラソン」最大の難所はやっぱり32㎞から続く上り坂だった!
再び6分台に落ちたラップ。27㎞のエイドでは熱い揖斐茶をせっかくだからいただくことに。さすがに走りながら飲めないので、立ち止まっていただきました。熱いがうまい。27~29㎞もう一度5分台のラップに戻したのはこのお茶のおかげかもしれません。
※30㎞すぎ、一番きついところに掲げられたK.hatoriさんの応援メッセージ。Jognoteで何度も励ましの言葉をいただきました。
昨年は、30㎞から7分台のラップに急激に落ちました。心が折れそうになるのをこらえてそこから2km踏ん張ったのですが、
32㎞からの坂がまるで垂直の壁のごとく思え、ここでとうとう歩いてしまったのでした。
昨年の苦い経験を思い出しながらも、今年はこの坂に立ち向かう気持ちの準備はきっちりしてありました。
歩くつもりはさらさらありませんでした。今年もきつかったけれども、それは直前1か月の走りこみができなかったせいで、
気持ちさえ切れなければどんなに遅くなろうとも歩かずに走ることができるし、ゆっくり走り続ければ、必ずまた体力も気力も回復することをすでに知っています。故障が発生してしまったならまた別ですが、幸い親指以外に痛いところはありませんでした。
脚の動きが自分でもスローモーションのように思えましたが、それでも確かに走っていました。
ラップは7分台後半まで落ちましたが、どんなに遅くとも歩いてしまった昨年よりは間違いなく全然速いはずです。フルマラソンでは歩いたことによるタイムロスは取り返せないほど大きなロスになります。
歩いたほうが回復が早いのも分かっていました。しかし、「歩いてしまった」というショック、自分に負けたという挫折感をもう味わいたくなかったのです。人それぞれ年齢も体力も経験も違うので、目的や目標も違っていいと思いますが、今のわたしにとっては
歩いて時間内に完走してもそれはマラソンを完走したことにはならないのです。昨年、はっきりそう思いました。これはトレイルレースでもウルトラマラソンでもない。どこも痛くないのに歩くのは、自分にとってはただつらさに負けたことでしかない。
急坂ではないがだらだらと続く坂を、ノルディックスキーで坂道を登るイメージ(やったことないですけど)でガッシガッシと登りました。遅くても、確実に。
いつか下りに変わらない登りはないのです。
坂を下ってようやく視界が開けると残り5㎞。再び沿道の応援も増え、こどもたちとのハイタッチで元気をもらうことができました。
しかし、走りこみ不足はてきめんに表れ、スパートをかけるような脚はもう残っていませんでした。堤防を走っているときは「とにかく1秒でも早くゴールになだれ込みたい」、そればかり考えていた気がします。
ただ「残り1㎞」の表示には心を奮い立たせました。最後のこの1㎞だけはあらんかぎりの力でスパートしてみよう、と。
ラスト1㎞のラップは5分51秒。限界でした。ゴール前195mはジャスト1分(5分08秒/㎞)で駆け抜けました。
「○○さん、おかえりなさい!」と泣かせるアナウンスの演出(泣いたわけではありません)。
出来る限りの力は振り絞った気がして、両腕を突きあげてゴールラインをまたぎました。
後半は昨年のタイムを上回る。
詳細は別表の通り。後半は歩かなかった分昨年のタイムを3分上回りました。ネットでのゴール・タイムは昨年より2分16秒遅かったけれど、今年の身体の状態、走りこみができなかった状況を考えれば、ほぼ昨年並みのタイムでゴールで来たのは上々の出来といえなくもありません。
家に帰ってこわごわ靴下を脱ぐと、爪ははがれてはいませんでしたが、
両親指は半分赤く腫れ上がり、血腫で膨れたせいで、爪は浮き上がり、触った感触はフカフカのベッドみたいでした。
さていつからランを再開できるだろうか?
今年最後のレース、「奈良マラソン」が3週間後に控えています。サブ4を狙う最後のチャンス。このままでは終われません。
最後になりましたが、「いびがわマラソン」にかかわったすべてのスタッフ、ボランティア、沿道で応援してくださった町民の皆さん、励ましてくれた応援者、ランナー、皆さんに感謝の意を表します。
とりわけ沿道で
ハイタッチしてくれたこどもたちの輝かしい笑顔とたくさんの小さな手の平に、ありがとうを。
家内も歩かずにフルを完走しました。あっぱれ!?
昨年はハーフを走った家内も今年はフルに参戦。ただ、わたし以上に体調が悪く、北海道マラソン後練習もほとんどできていませんでした。わたしの咳風邪は家内からうつったのだと思います。ひどい咳が続いてました。正直に言って確実にDNSだと思っていたのに、「とにかくスタートには立って最初の関門くらいまでは走ってみる」と言うじゃありませんか。わたしは耳を疑い、「ほんとに?走るの?」と聞き返しました。お医者さんに聞いたら100人が100人「やめなさい」と言うと思います。でも言い出したらきかない性格。ほぼ確実に10km以内でストップすると思ってました。
ところが19km過ぎですれ違いわたしの名前を呼ぶ家内は信じられないくらい元気に走ってるじゃありませんか! 驚いたのなんのって。もう一度無理しないようにと叫びましたが、この姿を見て「こりゃあ本当に完走するかもしれない」と半ば確信しました。
ピックアップされていればゴール近辺で自分を待っているはずでしたが、ゴールには家内はいませんでした。救護所も一瞬気になりましたが、汗で冷え切り震えながらも、まだダメージが残っている足をひきずり、コース脇で家内が来るのを待ち続けました。とにかく最後のランナーがやってくるまで待っててやろうと。
そのうちどこからかQちゃんが現れて、ゴール前でハイタッチしたり、ランナーと手をつないでゴールインしたり。まあとにかく働いてましたね。すごい人です。
わたしがそこに立ち続けて40分、スタートから5時間20分後家内がやってきました。Qちゃんともハイタッチし、次はわたしの声に駆けよってきて感動的なハグなんかしちゃうかもなあ、などと思ったりしてたんですが、声に反応しただけでまっすぐゴールに駆けこみました。
ちょっとばかり感動さえしてた(半分は無謀さに呆れつつ)わたしのほうには目もくれず、なんだかさっさと歩いていってしまい、肩すかしをくらったような気分でした。
まったくどれだけ心配してたかわかってんのかな?という若干の不平と、無事ゴールした安堵が入り混じった複雑な感情。
とにもかくにもその根性を称えたわたしに「せめて5時間は切りたかったなあ。5時間20分じゃ全然ダメだ」ですと。まったく目標だけはいつも高い。大物だなあ。
普通に練習できたらけっこうなタイムで走るんじゃないかと思うんですけどねえ。
とにかく二人とも歩かずに完走できたというのはなかなかどうして悪くない結果だったと思います。
<おしまい>