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綺麗に片付いた机を見る。
本社に来てからずっと見てきた当たり前の風景が、もうそこにはなかった。
机の主は、先日の株主総会終了をもって退任したのだ。
本当に存在感がある人だった。
黒光した肌、ポマードが塗られた頭、サスペンダーがすごい弧を描く腹、金光する時計。
イタリアのマフィアの親分みたいな怖そうな風貌をしていながら、
「ボク、ボクサー」
などというヲヤジギャグを大声で披露し、ウケないと「なんだ!なんで笑わないんだ!」と勝手に怒りだす人だった。
挙げ句、ふざけ半分に男性社員に頭突きをし、サラリーマンには似合わないバイオレンス行為を炸裂させていた。
また、吉熊上司の四季報や電卓を「これ、いいな。くれや。」と勝手に取って行ってたりし、みんなを笑わせていた。
私との仕事の接点はあまりなかった。
資料を持っていくときに挨拶を交す程度だった。
しかし、その際に目を見て「いつもありがとうな」と言ってくれるのは彼だけだった。
総会終了後、立ち去ろうとする彼に「お世話になりました」と挨拶した。
「今までありがとうございました。お世話になりました。」
頭を下げて他人行儀に挨拶する彼。
大きくて、明るくて、いつもみんなを困らせ、そして笑わせていた彼ではなかった。
どうしようもないガキ大将の彼でも、もう会えないと思うと寂しかった。
また、私が本社に来たときからいる人が、いなくなる寂しさもあった。
でも、この寂しさも殺伐とした日常に飲み込まれ、
去った者が「ああ、あんな部長もいたよね」という思い出話の主人公になる日も、
私はどこかで予感できる。
「お友達クラブじゃないんだから」
よく上司が部下に言う台詞だ。
その人がいなくても、運営が円滑にいく…これが会社とお友達クラブとの根本的な違いだ。
流動的に回る世界。
会社内にも例外なくその流れがあり、毎日同じような日常でも、社員の内面などを含め、少しずつ変化しているのを感じる。
会社というクールな場所で、いかにその変化をうまく処理し、流していけるか。
それがサラリーマンに求められることなのだろう。
綺麗に片付いた机を見る。
本社に来てからずっと見てきた当たり前の風景が、もうそこにはなかった。
机の主は、先日の株主総会終了をもって退任したのだ。
本当に存在感がある人だった。
黒光した肌、ポマードが塗られた頭、サスペンダーがすごい弧を描く腹、金光する時計。
イタリアのマフィアの親分みたいな怖そうな風貌をしていながら、
「ボク、ボクサー」
などというヲヤジギャグを大声で披露し、ウケないと「なんだ!なんで笑わないんだ!」と勝手に怒りだす人だった。
挙げ句、ふざけ半分に男性社員に頭突きをし、サラリーマンには似合わないバイオレンス行為を炸裂させていた。
また、吉熊上司の四季報や電卓を「これ、いいな。くれや。」と勝手に取って行ってたりし、みんなを笑わせていた。
私との仕事の接点はあまりなかった。
資料を持っていくときに挨拶を交す程度だった。
しかし、その際に目を見て「いつもありがとうな」と言ってくれるのは彼だけだった。
総会終了後、立ち去ろうとする彼に「お世話になりました」と挨拶した。
「今までありがとうございました。お世話になりました。」
頭を下げて他人行儀に挨拶する彼。
大きくて、明るくて、いつもみんなを困らせ、そして笑わせていた彼ではなかった。
どうしようもないガキ大将の彼でも、もう会えないと思うと寂しかった。
また、私が本社に来たときからいる人が、いなくなる寂しさもあった。
でも、この寂しさも殺伐とした日常に飲み込まれ、
去った者が「ああ、あんな部長もいたよね」という思い出話の主人公になる日も、
私はどこかで予感できる。
「お友達クラブじゃないんだから」
よく上司が部下に言う台詞だ。
その人がいなくても、運営が円滑にいく…これが会社とお友達クラブとの根本的な違いだ。
流動的に回る世界。
会社内にも例外なくその流れがあり、毎日同じような日常でも、社員の内面などを含め、少しずつ変化しているのを感じる。
会社というクールな場所で、いかにその変化をうまく処理し、流していけるか。
それがサラリーマンに求められることなのだろう。