世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

母からの絵葉書

2006年07月27日 | Weblog
コンビニ袋をぶら下げながらの帰宅。
いつものことだ。
いつもどおり、ポストを確認。

チラシやDMに紛れて、絵葉書が入っていた。
母からのものだった。
母は筆無精である。
そんな彼女の一生懸命さが伝わってくる絵葉書だった。
クレヨンで大胆に描かれたかき氷が美味しそうである。

「身体に気を付けて仕事頑張って下さい。」
「宮まつり、楽しみです。」

ありがとう。
あなたの娘は今日も元気です。

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余命5年…?

2006年07月27日 | Weblog
会社帰り、「美的」を購入して、ドトールで読み耽った。

紙面上で、化粧品会社が挙って秋色を発表。
まだ本格的な夏を迎えていないのに、早すぎるんでは?と突っ込みながら、熟読。
連日、化粧品の話題が続いているこのブログ。
現在、宝石会社に勤務しているが、もしかしたら本当は化粧品の方が好きなのかもしれない…自分。

「美的」は、化粧品情報の他に、健康美や心理面での美について毎月熱く語っている。
夏バテ対策や低容量ピルに至るまで、よく研究している。
齋藤馨さんの連載エッセイも、いつも面白い。

今回は「輝く自分を手に入れるための4ステップ・簡単ドリル」…という特集があった。モヤモヤした現状を打破するためには?みたいな特集である。
その中に、「余命5年をイメージしたときにやりたいことは?」という問掛けがあった。
やりたいことを列挙し、優先順位をつけて具体化し、やる気を高める起爆剤にしよう!ということらしい。

余命5年を宣告されたら?

…。

悩んだ。
悩みつつ、煙草3本吸ったが…そんなもの、無い。

無いんである。

あと5年しか生きられないとしても、特別やりたいことが浮かばない。
ただ、「仕方無い」「なるべく痛くないように死にたい」と思うんだろうなあ…と漠然と思う自分しか想像できないんである。

「3億円もらったら?」という質問には、「都内のマンションに住んで、ウーパールーパーを飼育したい。」とか思い付くのに。
余命宣告されても「絶対~したい!」「~しなくっちゃ!」という欲求が生まれないのである。

ただ、今のままでいたい、というのが唯一の望みだ。


現状に満足し、それ以上も、それ以下も望まない。
それは不幸なことなのだろうか。
今が一番幸せだと信じ、太陽に向かってそれを宣言できるという現状は、幸福なことなのだろうか。不幸なことなのだろうか。

よく、わからない。


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『嗚呼、青春の日々』

2006年07月27日 | Weblog
帰宅後、昨年秋に亡くなられた本田美奈子.さんの特番を観た。
TVを消しても、命の儚さや闘病中の彼女の笑顔について考えてしまう。

音楽をかけながらブログを更新。
流れてきたのは、ゆずの『嗚呼、青春の日々』

なんとなく聴いていたが、途端に涙が止まらなくなった。

青春と命の輝き…
こう書いてみると、けっこう臭くて恥ずかしいのだが、でもやっぱり命は尊いものなんだと思う。
全ての人は、死という病のキャリアだが、それを忘れていられることは特権に違いない。
明日も生きて、会社に出勤することを無邪気に想像できることは、幸せなのだ。

私にも青春があった。
故郷、家族、友達。それらを取り巻く、匂い、日差し、ぬくもり、風景。
そんなものがミックスされて、今でも心の底に冷凍保存してある。
時々、生きていることが嫌になったとき、それらを解凍して慰めや励ましの養分にする。

こうして、心のレンジで思い出をチンすることも、生きている者にしか許されないことだ。




『嗚呼、青春の日々』(ゆず)

初恋のあの人がもうすぐ母親になるんだって
小さな町の噂話で耳にしたよ
一緒になって馬鹿やったアイツが父親の後を継いで
一人前に社長さんになるんだってさ
それぞれの想いを胸に 互いの道を
確かに歩んでゆくんだね

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ
嗚呼 嗚呼 青春の日々よ・・・

みんながお似合いだって 長い事付き合ってた
二人にも別れがきて
いつも強気だった あいつガラにもなく
俺なんかの前で泣いてたよ

「そっちの世界はいったいどんなだい?
俺もそのうち行くけどさ
そん時までめーいっぱい悩むこともあるけど
自分なりに生きてゆくよ
この唄は聞こえているのかい もし聞こえているのなら
下手くそな唄 いっしょに歌おうぜ」

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ
嗚呼 嗚呼 青春の日々よ・・・
嗚呼 嗚呼 懐かしき町よ
嗚呼 嗚呼 素晴しき友よ
嗚呼 嗚呼 美しき命よ
嗚呼 嗚呼 青春の日々よ