世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「人間、死ぬことに意味はないけれど、生きていることには意味があるんだよ」

2006年09月10日 23時43分23秒 | Weblog
昨夜から嶽本野ばら先生の「ハピネス」を読んでいる。

「私ね、後、一週間で死んじゃうの」
突然ロリータに転身した「彼女」の言葉に戸惑いつつも、残された7日間を彼女と共に大切に生きる高校生の「僕」の話。
ファンタジーでもなく、でもどこか現実離れした話の流れ。
同じような話で「世界の中心で愛をさけぶ」があるが、あれほど悲観的ではなく感じられるのは、「彼女」がお転婆で陽気で微笑ましいからだ。…これはあくまでも途中まで読んだ感想なんだが。

あと少しで読了するのだが、レース越しに見えるかのような朧気な「たぶんこんな結末」を直視したくなくて、読み進められない。
残酷な結末をどうやって表題の「ハピネス」…幸せに結び付けるのか、嶽本先生の腕の見せどころなんだろう。

ロリータとは無縁の私だが、嶽本先生の描く女の子(大概はロリータ)の生態が気になって、いつも読んでしまう。
夕方、ふと、「宵待草」に行きたくなった。
嶽本先生の「カフェ小作品集」や、今回の「ハピネス」にも登場する喫茶店である。
小説を読んだり映画を鑑賞するとうことは、五感だけその世界に置くことだ。
私はそれだけでは飽き足らず、その土地に身を置かないと気が済まない。
それは、物語の中の主人公たちと何かの繋がりを持ちたいという欲求から派生しているんだろう。勿論、そこを訪れたであろう作者への愛や尊敬ゆえの行為でもある。

薄暗くなり始めた井の頭公園を散策する。
園内の彼方此方に蔓延る虫の音と蒸し暑さの不思議な調和は、私を物語の主人公にさせた。

暫く歩くと、「宵待草」はあった。ひっそりと。
ドアを押すとチロリンと音がする。
間接照明が散りばめられた店内を歩くと、木の床がギシギシとレトロな音を刻んだ。
壁には大正ロマン溢れる絵が点在し、見入ってしまう。

アップルミルクティーとバナナケーキを待つ間、鞄の中から「ハピネス」を取り出し、頁を捲った。

作中、女の子が言う。

「人間、死ぬことに意味はないけれど、生きていることには意味があるんだよ」

余命宣告をされた少女は、確に可愛そうである。
でも、その限られた時間で毎日大好きなカレーを食べ、大好きな洋服に包まれて、好きだったけれど勇気がなくてなかなかなれなかったロリータになれ、そして最愛の殿方と共に過ごせて、最高に幸せなのではないか、と思う。
そして、彼女の考える生まれた意味とは、そんな「大好きなもの」の中に隠されてあり、幸せということは、其々己のみにに決定権があるものだと、思った。
そんなことが基盤となって、今生きている幸せなんかに比べれば、死なんて怖くない…即ち「生>死」という哲学が彼女に根付き、「人間、死ぬことに意味はないけれど、生きていることには意味があるんだよ」という言葉を生み出させた…。

ミルクティをすすりながら、ぼんわり思う。

私は幸せなのだろうか。

…答えを考えている内に、満たされた腹が、「幸せだなぁ~」と加山雄三の如く呟いた。